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間宮林蔵 新装版 の商品レビュー

4.2

22件のお客様レビュー

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2024/11/04

前半の樺太の測量は、鬼気迫る情熱、意志を感じます。 後半は、隠密として、江戸末期の混乱と革命前夜の様子を知る事が出来ます。

Posted byブクログ

2024/05/27
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

樺太は島か半島か。サハリンと樺太は別物か。アイヌ人を説得し、ギリヤーク人と協力し、山丹人をかわし、当時の世界地図上のただ一つの謎に決着をつける。”間宮海峡”のその人物を描いた小説。…つくばの農民の子として生まれ、地理と算術の才能を買われ役人に登用。北海道の地理を探索。海峡発見後は、幕府の隠密となる。シーボルト事件発覚のきっかけを作ったとされ、洋学者らからあらぬ恨みを買う。日々足の鍛錬を怠らず、高齢まで全国を行脚。生涯独身。時折寂しさを感じながらも、プロ意識を欠かさず、激動の時代の人生を全うしたと想像する。

Posted byブクログ

2023/06/12

感情的に盛り上げることなく淡々と客観的に綴る文体だからこそ、林蔵の執念というか情熱が強く強く伝わってくるような気がした。 断片的な史料を想像で繋ぎ合わせた部分が大きいって後書きには書いてあったけど、普通に細かな手記とか残ってたんじゃないかって思ってしまうくらい端々に「実際の出来事...

感情的に盛り上げることなく淡々と客観的に綴る文体だからこそ、林蔵の執念というか情熱が強く強く伝わってくるような気がした。 断片的な史料を想像で繋ぎ合わせた部分が大きいって後書きには書いてあったけど、普通に細かな手記とか残ってたんじゃないかって思ってしまうくらい端々に「実際の出来事らしさ」を感じた。 周りの人々やシーボルトを題材にした物語や伝記にも触れて、多角的に味わってみたいな……。

Posted byブクログ

2023/05/18

いやこれはまた重厚な本なのですよ。 基本的には間宮林蔵がどこで何したかとか書いてるだけ、っちゃあだけなんけどね。 とりあえず樺太を探検した人って感じの認識だったんで、半分ぐらい読んで探検終わって、あれどうなるんじゃろって思ったら、残り半分は隠密の旅だった! というわけで、3へぇ。...

いやこれはまた重厚な本なのですよ。 基本的には間宮林蔵がどこで何したかとか書いてるだけ、っちゃあだけなんけどね。 とりあえず樺太を探検した人って感じの認識だったんで、半分ぐらい読んで探検終わって、あれどうなるんじゃろって思ったら、残り半分は隠密の旅だった! というわけで、3へぇ。 しかし欧米の奴らは勝手にやってきてクジラを殺しまくってしかも油だけ取って捨ててしまうとか酷い話ですよ。しかも陸地に上陸して薪とか要求してって何様なんだこれ。いや流石であるよニンニン。

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2023/04/30

かなり面白かった。歴史物で文章が頭に入りづらいこともあったが、間宮林蔵と海峡について知識を得ることができ面白かった。

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2023/01/24

樺太が島であることを発見して海峡に名を残した間宮林蔵の伝記的小説。前半は探検家として、後半は隠密としての半生を描いた作品ですが、個人的には前半に山場が来てしまった感じ。北樺太と東韃靼の探検の場面は神からの使命を受けたかのよう。

Posted byブクログ

2022/12/27

間宮林蔵といえば、樺太の地図作った事くらいしか知らなくて、「ひたすら歩いて測量して地図作ってる、クソ地味な男」くらいに思ってたけど、これ読んでほんともうすみません、って思った。 めっちゃ気合い入ってる漢でした!! そーいえば樺太って昔日本領だったもんねーだから地図書いたのね〜とか...

間宮林蔵といえば、樺太の地図作った事くらいしか知らなくて、「ひたすら歩いて測量して地図作ってる、クソ地味な男」くらいに思ってたけど、これ読んでほんともうすみません、って思った。 めっちゃ気合い入ってる漢でした!! そーいえば樺太って昔日本領だったもんねーだから地図書いたのね〜とか思ってて、ほんとそれもすみません…。笑 「江戸の文化」として、ただ人名を丸暗記してただけだけど、江戸後期の異国船対応を迫られた時代や政治の中で彼の人生が動いていくのが、臨場感あっておもしろかったなーー。 幕末までいかない、揺れ動く江戸後期の話も面白い。

Posted byブクログ

2022/05/08

間宮海峡を発見した間宮林蔵の一代記。1780年に常陸国の農家に生まれた林蔵は、小貝川の改修作業で普請役の村上島之充に才能を見出され、12歳から付人として測量術に親しむ。 その後、師に従って専ら蝦夷地の測量に従事するが、1807年の択捉赴任時にロシア艦の強襲を受け、林蔵の反対にも...

間宮海峡を発見した間宮林蔵の一代記。1780年に常陸国の農家に生まれた林蔵は、小貝川の改修作業で普請役の村上島之充に才能を見出され、12歳から付人として測量術に親しむ。 その後、師に従って専ら蝦夷地の測量に従事するが、1807年の択捉赴任時にロシア艦の強襲を受け、林蔵の反対にも関わらず、怯えて算を乱して撤収する幕府方。反対姿勢が買われて詮議は逃げ切るが、起死回生の一策として自ら樺太調査を申し出る。 樺太は当時西欧の探検家が西から入ったものの、海峡最狭部の水深が浅すぎて進めず、未確認ながら半島と考えられ、島か半島かというのが世界的な未知の課題となっていた。 樺太調査は上司の松田氏と共に概ね島であることを確認したのが一回目。林蔵は、東海岸側に回され、中知床岬・北知床岬方面を探査したが、北知床岬から北は激浪と早潮で進むことを断念。南に戻って南部の島の東西最狭部から横断して西海岸からに出て、そちらに最初から向かった松田と合流して、西欧人よりは先に進み、アムール河口を遠望する地点まで来て島だと思うが、まだ不鮮明。一度宗谷に戻るが再度の単独行動を願い出る。樺太で越冬し、翌年再度アイヌの力を借りて北上し、もう少し北に出てギリヤーク人から北には海しかないと言われる。翌年、ギリヤーク人の集落で許可を得て暮らし、ロシアの影響はないものの東韃靼の清の影響下にあることを突き止める。酋長に無理を言って東韃靼のデレンへの朝貢に同行。粗野な山丹人に殺されかけることもあったが、ギリヤーク人や清の役人の助けで何とか生き延びる。清の役人(満州人)とも筆談で交流する。帰りはアムール河口経由で帰路に着き、宗谷〜松前〜江戸へと戻り、体の衰弱に悩まされながら紀行や地図を仕上げて幕府に提出。これが評価され、昇進・加増となる。 実はここまでは三十代半ばまでで、ここから第二の人生が始まる。一つは、伊能忠敬に師事して測量・天文術を極め、蝦夷地・千島中心に測量→地図化を淡々と進めたこと。もう一つは、幕府隠密として、対外政策に関わる調査を各地で行い(俳諧師や乞食に偽装)、海防担当として老中等に意見も述べる役割。このせいか、特にシーボルト事件が林蔵の密告に始まるものとして蘭学者や町人などから毛嫌いされた悲しい側面もあった。 そして、海防の危機が高まる中、65歳で没した。 児玉さんの後書きを読むと、相当資料を綿密に確認し、専門家とも議論しながら書き進め、資料に無いところを創作で埋めていった模様。その前提での読書での発見として、 ・日本が江戸後期に国後・択捉は確保し(幕府主導で南部・津軽藩等が兵員を出す)、得撫にも進出しようとしていたがその先はおぼつかない。逆にゴロブニンがロシア領のラショワ島と言っているように北千島にロシアの根拠地があった模様。 ・樺太は、南海岸のみ日本の会所があったが、樺太アイヌから山丹人の被害の訴えがあったことによるものであり、それより北には和人はおらず、アイヌも樺太南部のみ。北部は、東側にオロッコ人、西側にギリヤーク人が住み、アイヌは居ない。アイヌはこれらをウィルタ・ニヴフと読んでいる(漫画のゴールデンカムイではそのように紹介されていた)。19世紀半ばまでは樺太北側は清朝の勢力下にあり、朝貢もしていた。山丹交易は大陸側の山丹人が日本側と交易していたものだが、樺太自体は北と南で自然と民族が異なり、緩やかなるものの支配者が異なった点で薩摩と清に両属した琉球とは異なっている。 ・幕府の軍事力は弱く、ロシア海軍もさることながら英国の捕鯨船団にも太刀打ち出来ないレベルであった。 読書体験としては、前半は手に汗握る展開で、後半は役柄的にも家族にめぐまれないことからも暗いトーンであった。いずれにしても良い本に巡り会えた。

Posted byブクログ

2022/02/23

吉村先生、記録文学はハードボイルドです。主人公の心情を抑えながらも乾いたと言うより客観的文体で、人物を追います。北方先生が題材【林蔵の貌】にしたのもわかります。凄い日本人がいました。もっと知られて良いですね。NHKでドラマにして欲しいです。

Posted byブクログ

2022/02/15

吉村昭「間宮林蔵」 東京・深川 私にその術の何分の一かをお教えいただけませぬか 2022/2/12付日本経済新聞 夕刊 樺太は島なのか。それとも大陸の一部である半島なのか。 伊能忠敬の元に足しげく通った林蔵。歩幅を一定に保つことは測量に大事な能力だった=三浦秀行撮影 伊能忠敬の...

吉村昭「間宮林蔵」 東京・深川 私にその術の何分の一かをお教えいただけませぬか 2022/2/12付日本経済新聞 夕刊 樺太は島なのか。それとも大陸の一部である半島なのか。 伊能忠敬の元に足しげく通った林蔵。歩幅を一定に保つことは測量に大事な能力だった=三浦秀行撮影 伊能忠敬の元に足しげく通った林蔵。歩幅を一定に保つことは測量に大事な能力だった=三浦秀行撮影 江戸時代、だれも知らなかったこの問題にはっきり決着をつけたのが、間宮林蔵だ。 北へ、ただひたすら北へ。厳しい自然のなかを突き進み、ついに離島であることを確認する。その名はいまも「間宮海峡」として、地図に残っている。 本書はそんな彼の生涯を、史料をもとに立体的に描き出す。樺太北部の探査だけでも大仕事なのに、さらに海を越えて東韃靼(だったん)に足を踏み入れ、当時の清とロシアの情勢まで探っていた。 また、後年には幕府の隠密として全国各地をめぐり、藩ぐるみの密貿易を暴いたりもする。高い見識を持つ林蔵を信頼して意見を求める人は、水戸藩主徳川斉昭をはじめ多くいたが、身に覚えのない世間の悪評にさらされることもあった。波瀾(はらん)万丈な人生で、手に汗を握るような臨場感が伝わってくる。 ただし、決して派手な話ではない。その底流を流れているのは、まっすぐ物事に向き合おうとする、鋭いまでに真摯な生き方だ。 もともと農民の子として生まれ、その才気を見込まれて幕府の役人になった。 樺太北部の探査に出発する前のこと。彼は正確な探査と測量に役立てようと、第一人者だった伊能忠敬に羅針(磁石)を譲ってくれるよう思い切って頼み込む。忠敬も意気に感じて、改良に改良を重ねた羅針を2つも譲り渡す。 無事に樺太・大陸から江戸に戻り、幕府から高い評価を受けたのちも、林蔵の学ぼうとする姿勢は変わらない。自分の測量技術は、まだまだ足りない。忠敬に頼み込んで、さらに教えを乞うたのだ。 これにより林蔵の技量は向上。北海道を測量して目覚ましい成果をあげ、日本の地図づくりに大きな貢献をすることができた。 東京・深川は、林蔵が江戸にいるときによく住んだところだ。ここ深川と、生まれ故郷のつくばみらい市との2カ所に、林蔵の墓がある。 周辺には、林蔵が何度も足を運んだ伊能忠敬の自宅跡がある。作中で林蔵が測量へと旅立つ忠敬を見送った富岡八幡宮も、すぐ近くだ。 深川江戸資料館は、江戸の町並みを再現した施設だ。7月まで改修・休館中だが、ここでは当時の空気感がよく分かる。 どんな偉業のかげにも、地道な日々の努力がある。人と人は響き合い、思いと知識をつなげていく。なぜ林蔵ははるか遠くまで行けたのか。深川を歩くと、胸におのずと浮かんでくる。 (編集委員 辻本浩子) よしむら・あきら(1927~2006) 東京生まれ。学習院大学中退。66年「星への旅」で太宰治賞。「戦艦武蔵」「関東大震災」などで73年、菊池寛賞を受賞する。多彩な記録文学、歴史文学を次々に発表。主な作品に「ふぉん・しいほるとの娘」(吉川英治文学賞)、「破獄」(読売文学賞)などがある。 小学校6年生のとき国語の教科書で林蔵のことを知り、「北天の星」「ふぉん・しいほるとの娘」のなかで取り上げた。さらに関心が高まり、研究者のもとを訪ねて本書を執筆したという。「史料は、あたかも庭の飛石のように点在している。私は、その史料と史料の間の欠落部分を創作によって埋めていった」とあとがきで記している。 (作品の引用は講談社文庫)

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