魔利のひとりごと の商品レビュー
やっぱり好きだなぁとしみじみ。時刻の翼で書かれている時間の感覚。私の中にあったなんとも言えない、表現できずにいたことはこういうことか、と思う。森茉莉の辛辣な言葉もロマンティックな言葉や感覚も、確固とした軸があり、真似できない何かを持っていることに憧れる。
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「私は森茉莉から沢山のものを学んだ。幸わせで美しい世界は存在するものではなく、自分で勝手に創り出すものである、もうそれは、事実がどうであれ強引に創り出すものであって、それが出来る魂を大切に大切に手入れをしなくてはいけないという事であった」(佐野洋子)。茉莉の作品に触発されエッチン...
「私は森茉莉から沢山のものを学んだ。幸わせで美しい世界は存在するものではなく、自分で勝手に創り出すものである、もうそれは、事実がどうであれ強引に創り出すものであって、それが出来る魂を大切に大切に手入れをしなくてはいけないという事であった」(佐野洋子)。茉莉の作品に触発されエッチングに取り組んだ佐野、二人の豪華な紙上コラボ全開。全集未収録作品初の文庫化。カラー多数。 森茉莉全集に入っていない作品ですが、文字が大きいので他の文庫より早く読み終わりました。佐野さんのエッチングは正直あまり響かなかった(というか、内容と関係ないのかな?つながりが分からず)けれど、父の帽子や貧乏サヴァランに近い感じで、茉莉さんの美しい日本語を味わえます。フランスのデパートの話が非常に面白くて、彼女がフランスを愛しているのがよく伝わってくる大好きなエピソードです。話し方によってはただの自慢なのに嫌味にならないところもいい。
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「新婦人」に連載された森茉莉のエッセイ。石鹸や宝石、フランスの雑誌、巴里のカフェ、マギャザンといった彼女が愛したものから、幼い記憶を辿った「沐浴」や彼女の思想の片鱗を見せる「時刻の翼」など、どれも森茉莉ならではの言葉で編まれた世界が広がる。今では輸入雑貨などは簡単に、手頃な値段で...
「新婦人」に連載された森茉莉のエッセイ。石鹸や宝石、フランスの雑誌、巴里のカフェ、マギャザンといった彼女が愛したものから、幼い記憶を辿った「沐浴」や彼女の思想の片鱗を見せる「時刻の翼」など、どれも森茉莉ならではの言葉で編まれた世界が広がる。今では輸入雑貨などは簡単に、手頃な値段で買えてしまうだけに森茉莉が語る石鹸や固形香水などは何か夢のように高貴な、ロマンチックな香りを感じる。なかなか手が届かない憧れがそうさせるのだろう。頻繁に出てくる巴里の話も同じで、実在する場所だし、今は飛行機で簡単に行けるけれども、やっぱり手の届かない感じが巴里を神秘的に、魅力的に見せているのではなかろうか。「時刻の翼」はとても好きなエッセイ。彼女の聡明さ、鋭い感性が感じられて素敵だと思いました。
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茉莉さんの文章は、詩のようだ。中身がどうだとかよりも、言葉から立ち上ってくる香気とか官能とか…それとは対照的な、おべっか嫌いで言いたいことをズバズバ言う性分との対比が、皆さんやっぱり面白いのであろう。 この本、私は図書館で借りた。実は文庫じゃなくてハードカバーで借りたため、本の...
茉莉さんの文章は、詩のようだ。中身がどうだとかよりも、言葉から立ち上ってくる香気とか官能とか…それとは対照的な、おべっか嫌いで言いたいことをズバズバ言う性分との対比が、皆さんやっぱり面白いのであろう。 この本、私は図書館で借りた。実は文庫じゃなくてハードカバーで借りたため、本の判型やフォント、佐野洋子さんの挿画などの影響もあって、日曜の午後、いいかげんな気分ともちょっと違う。なんて言えばいいか。そう、休み休みにページを繰るにはぴったりの、瀟洒な印象を持ちながら、お菓子をかじるように読んだ。それは、別れようか別れまいか、迷い迷いに。好きな人の手を、つなぐような離すような様で甘えている風情に似ていて、後にはそんなに難しいことは残らない。 茉莉さんの皮膚感覚が、極めて鋭敏なのと、誰に対しても(それが身内でも)自分以外はかっきりと他人なのだという印象が、何を読んでも胸に来る。愛らしいものも美しいものも、ただ与えられ、するりと失ってゆく。自分が得ようと足掻いたものでないから、何に対しても執心しない。執着するのは内心に蓄積した、美のイメージに対してだけ。まことに特異な、文学の中に詩心のある女性だったのだなあと思う。 私が、生な感覚で思い出したのは、祖母から伝わった練り香水のペンダントのこと。この本に石鹸や香水にこだわるお話が収録されているけど、コティの練り香水が入ったロケットペンダントを母が持っていた。その香水は、よそ行きからいつしか、私のおもちゃになり、うっすらと耳の後ろに、いい匂いをさせてもらったことや、父のところに来ていた、きらきらと綺麗な、上等の贈答用の石鹸。それも山程あるような…で、顔を洗ってもらう時の、すべらかで気の済む感じ、だったりして。 森茉莉さん以外のひとの文章では、ついぞコティのペンダントなんて、思い出しもしなかったから、ああやっぱりこのひとは、不思議な魔法使いだな、なんて思うのだ。お父様の鴎外は、ドイツ贔屓なのに、お嬢さんの彼女の方は、ドイツなんぞよりフランスの方がお好きらしいのも、ちょっと可笑しい。 ギャルリ・ラ・ファイエットで買い物をしたお話は、もう60年ほども前に出た本なのに、私が同じ店で帽子を買い求めた時と、雰囲気がまことに変わらず、自分よりよほど年重の売り手の女性に、『マダム』と敬語を使われながら買い物をした時と同じなのも親近感が湧いた。 その当時私は、大学でフランス語の授業を取っていたが、先生からは一応、「社会人だけどあなたは学生だから。」と言われて、マドモワゼル・ルリカ、と出席を取られていたのに、ここではマダムと呼ばれている。マドモワゼルと呼ばれるのと、似つかわしいのはどっちだろう?と首を傾げながら、売り手の女性に、思わず―。 「ねえ、マダム。本当のところ、この帽子私に似合っていますか?自分の娘と思って、どうかほんとのことをおっしゃって。」 と切り込み、目をまんまるにした優しいマダムに、それがセールストークだったとしても、破顔一笑。「あら、何を言うの。これは本当に貴女に似合っています。」と一時に親しい笑顔になってくれ、乗せられやすい私は夢見心地で、夏のパリだというのに、来たるべき秋冬の帽子を買ったこと。中二階のサロン・ド・テ・アンジェリーナで、銀座と同じ、泣きそうに甘いモンブランを当時の恋人と食べて、ギャルリを後にしたこと…などを思い出した。 これらは森茉莉さんとは関係がない、わたしの思い出であるけれど、もうとうに忘れかけていたような甘い思い出を、私の記憶から引っ張り出してしまう。昨日のことみたいに、それにブラシを当てて、ほら、と差し出す芸当は、やはり、茉莉さんならではで、他のご本ではこうはいかなかっただろうと思うのである。
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ほんものの贅沢 からの言葉通りの内容だった。贅沢というのは高価なものを持っていることではなくて、贅沢な精神を持っていることである。。 佐野洋子さんの絵もとても素敵で、何度となく手にしては眺める。それも楽しい贅沢なこと。。
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森茉莉の綴る 言葉の可愛らしさといったら! 石鹼ひとつについての文章でさえ、 信じられないくらい可愛い。
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森茉莉のエッセイ。貧乏暮らしの中にも楽しさや美しさを見いだす、真の貴族らしさに感服する。多用されるフランス語の単語にうっとり。
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