なぜ、人は平気で「いじめ」をするのか? の商品レビュー
「いじめを許さない」という意識を持つ状態から一段階上の考え方をするために読む本だと思った。「いじめ」は、人への一方的な心理的、物理的な攻撃が問題視されるようになってから社会でいつの間にか使われるようになった言葉である。筆者は、いじめという広義な言葉を、「ケンカ」「ハラスメント」「...
「いじめを許さない」という意識を持つ状態から一段階上の考え方をするために読む本だと思った。「いじめ」は、人への一方的な心理的、物理的な攻撃が問題視されるようになってから社会でいつの間にか使われるようになった言葉である。筆者は、いじめという広義な言葉を、「ケンカ」「ハラスメント」「しごき」などの類義語と比較して説明している。他にも、メディアによるいじめについての伝え方や、学級での生徒の心理状態など、角度が変わりながら論が進んでいく。 平等が前提の学級では誰もが他者に嫉妬や妬みを抱きやすい。だから個人間で起こる争いを消すために、誰か一人を選んで攻撃する。これがいじめのメカニズムだという。人の残酷な面を改めて認識した。自分は人の負の面を理解しつつ、負の面のせいで起こるいじめの行為に抗議し続ける人でありたいと思った。
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(ネットいじめの特徴?)……ネットいじめの二つのパターン、(1)掲示板への書き込み、(2)ケータイメールによるいじめ。匿名性、ネットへの書き込みやメールの送信は、本名を明かさなくても行うことができます、「ネットいじめ」は時間と空間の制約を受けないで、無限定にいじめを行うことができるのです。 (なぜいじめは発生するの?)……みんなが同じだからかえって不安定になり、不安定だからいじめられる被害者をつくって自分たちの人間関係を安定させようとすること、そこに現代的いじめの特徴を見て取ることができます。 (外国のいじめ、日本のいじめ)日本では「中一ギャップ」という言葉が使われるように小学6年生から中学一年生にかけていっきに増加していきます。これに対してノルウェーの調査では、中学一年生はむしろ減少期です。
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「私たちの社会では、「みんなで仲良く」「みんな一緒に」「クラスは一つ」という形で同調圧力をかけることが少なくありません。」 「いじめ」がなぜ発生するのか、また「いじめ」とはなにものなのかについて書かれた本。とても読みやすく、多くの人にぜひ読んでもらいたい。 日本で個人主義と言...
「私たちの社会では、「みんなで仲良く」「みんな一緒に」「クラスは一つ」という形で同調圧力をかけることが少なくありません。」 「いじめ」がなぜ発生するのか、また「いじめ」とはなにものなのかについて書かれた本。とても読みやすく、多くの人にぜひ読んでもらいたい。 日本で個人主義と言えば、それはネガティブを意味する。個人プレー、ワンマンなどなど。しかし、本当は、他人も尊重し、自分も尊重することではなかろうか。多文化が共生する現代社会では、集団としての自分だけではなく、個人としての自分を育てる必要がある。さもなければ、どこか一つだけのグループに属し、メンバーにもそのグループのみに属すよう圧力をかける排他的な人間として生きていくことになる。いわゆる村社会。そういった村での生活の価値観が、今でも無意識下にあるの問題だ。 ”いじめ”と”いじり”の違いは客観的には判断しがたい。それならば、当事者がいじめられていると言えば、それを”いじめ”と認識するべきだという考えは、まさにその通りである。子供は善悪の区別がついていない。だから加害者には遊びでも、被害者にはいじめだと感じる事がある。そこで、当事者がいじめられていると思う気持ちを受け止め、共有していくことで、子供たちになにが悪いのかを伝えることができるのではないか。自分が受け身側に回らないと気づく事はできない。それは大人でも同じだ。 教師は、教師である前に一人の人間である。だから、生徒に対しても好き嫌いの感情があって当たり前だとする考え方がある。そうかもしれない。ただ、教師なのだ。すべての生徒に平等に接しなければならない。一部の生徒を排除し、クラスをまとめあげる方法しかとれないならば、教師としての能力がない。教師はとても大変な職業だと思う。むかつくことも多いかもしれない。しかし、教師の道を選んだからには、それなりの覚悟をもってほしい。教師にとって、30人の生徒かもしれないが、生徒にとっては一人の教師なのだ。 全体的に考えさせられる、とても良い本だ。
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親として、大人として…そして、とある「立場」として、自分はどうあるべきか 答えは明確ではないけれど…自分なりの考えを見つけるためのきっかけになる本
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いじめの解決策というよりも原因について論じた本。関連書籍が数多く紹介されているので入門編としては良い出来。内容はやや説得力に欠ける。
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資料の収集・分析はできているのにそこから提言となるとおかしなことになってしまう残念な本はよくあるけれど、本書はまさにそんな本。 「葬式ごっこ事件」などの有名な事例の紹介や、いじめという捉え方がどのように生まれたのかという経緯などの解説は分かりやすく、いい内容だと思います。 しかしそこから処方箋の話になると、とたんにおかしくなります。 対策とは要するに「教師がガンバレ」ということです。 いじめ対策の「最後の砦は教師」(P.240)だといい、クラス担任が「ルールと秩序に守られた学級をつくること」「いじめを許さないという原則を教師が堅持」(P.243)「いじめに対する鋭い嗅覚」(P.246)を持つことが教師に求められるとい言います。 つまり教師がしっかりすればいいのだ、ということですよね。裏表紙には著者による「読者へのメッセージ」として「いじめは、悪者さがしをして解決するわけではありません」とあるんですが、いじめの責任を教師に押し付けるのは、悪者さがしではないのでしょうか・・・・ もちろん原則として上記のことが必要だというのは、反論のしようがありません。というか、いじめにおいて教師に責任があるのは当然です。しかし問題なのは、この著者が言うような理念的なことを言うだけでは何も解決できない、ということです。 リアルに発生しているいじめという難問に対して、現実的な具体策を出せていないのが、非常に残念でした。
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高知大学OPAC⇒ http://opac.iic.kochi-u.ac.jp/webopac/ctlsrh.do?isbn_issn=9784284304467
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内容が薄い上に、学校に行くのは「アフガニスタン」に行くようなものとわざわざカッコ付きで例えている部分が最悪だ。戦場に行くようなもの、という表現ならば全く問題ないのに。。。 これで大学教授?人間の生き方を説く?教育学部? タイトルの「なぜ、人は平気で『いじめ』をするのか?」とい...
内容が薄い上に、学校に行くのは「アフガニスタン」に行くようなものとわざわざカッコ付きで例えている部分が最悪だ。戦場に行くようなもの、という表現ならば全く問題ないのに。。。 これで大学教授?人間の生き方を説く?教育学部? タイトルの「なぜ、人は平気で『いじめ』をするのか?」という問いにほとんど何も答えていない。被写体にカメラを向けているのに一向にピントが合わない感じが最後まで続いた。いろいろないじめ論を、上面だけつまみ食いしているのが本書と言えばよいだろうか。 本書で引用している、各種の著作を読めば、得るところが多いだろう。その意味では、ガイド本としての役割はあるかもしれない。本書だけでいじめに対しては、それこそ危険だ。
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たまたま読み始めた直後に、滋賀・大津でいじめが原因(と言われている)の中学生の自殺があったことが明るみになり、いじめについての誰へと向けてよいか分からない憎悪が渦巻いている中の読了。 具体的な対処法、というのに少しでも言及しなくてはいけないあたりに、「一般向けの教育書」の苦悩はあるのだと思う。 「いじめのようなものは子どもの<社会化>のうえで必要ではあるが、それはれっきとした人権侵害であり、周囲の人びとはそれを許さない姿勢を毅然と保たなければならない」 という一見何とも綱渡りかつ歯切れのよくない主張には、この問題のもつ事象・そこへのまなざしの両面が織りなす複雑性が折り畳まれている。 しかし、いじめの発生過程の分析、記述を丹念に重ねている筆者の姿勢こそが、そうしたアンビバレントで悩ましい筆致を可能にしているともいえる。誠実であるこそ、「こうあるべきだ」という結論を安易に提出しないのではないだろうか。わかりやすさ、に飛びこむことのなかった本著は、そうした意味で勇気のある著であることに疑いはない。 少なくとも大津の事件は、自殺した生徒へのいじめが外部からもわかりやすい形で展開されていたがゆえに、少し古いタイプのいじめだったといえるだろう。 「仲間はずれ」「シカト」などの形態であらわれる、すぐには死に直結しない微細はいじめは今日もどこかで確実に起きているのだが、センセーショナルな極例がそれらを明るみに出すことを妨害してしまうことは認識する必要がある。 何より、真に「被害に逢った生徒の気持ちをおもんぱかること」は、とりあえず彼が感じたであろう苦しみを想像すること、だけで済まされるものではないはずだ。 彼やその家族にいじめをめぐる社会や自分の反応や沸き立つものをこそできるだけ冷静に把握して、今後こうした事件を一件でも減らしていくうえで何ができるか、いじめという事象にどう「反応」していくべきか、それを時々でも考え直すことこそが、第三者にしかなれない(しかしいずれは当事者になるかもしれない)私たちに必要なのではないだろうか。 いじめを単に「絶対におかしなこと」とだけ言い募ることも肯首される現状において、多少なりとも自らの義憤の感情を相対化するうえで読んでおく価値はある。
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均等化された子どもたちが「みんなで仲良く」するために差異の目立つ一人をスケープゴートにしていじめる…という構造にはなるほど、と思いました。 今の子どもたちに必要なのは、無理に「みんなで仲良く」しなくてもいい、一人でもいいんだよ。というメッセージなのかもしれませんね。 そしてもっと人権への意識を育てないと!まずは自分からですね。
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