草すべり その他の短篇 の商品レビュー
南木佳士著 「草すべり」 生と死を見つめてきた医者である南木佳士の山岳小説。四編からなる短編の本ですが、それぞれが違った生を静かに語っている味わい深い本です。読んで良かったと思わせる本です。 重松清の解説も良かったです。
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戦場ほどあからさまではなく、世間の常識の厚い壁の内に巧みに隠蔽されているが、生き残る、あるいは生き延びるとは、必ずだれかしらの犠牲を伴うものなのだ。
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浅間山へは車坂峠よりトーミの頭、草すべりを経て、前掛山に登頂。釜山へのロープは越えなかったけども、Jバンドを登り返し黒斑山への外輪山縦走と、日帰りで浅間山の全貌を知るおよそ15キロの山行でした。 読みながら鮮やかにその光景を思い浮かべながら、またあそこに立ちたいと強く思う。 加え...
浅間山へは車坂峠よりトーミの頭、草すべりを経て、前掛山に登頂。釜山へのロープは越えなかったけども、Jバンドを登り返し黒斑山への外輪山縦走と、日帰りで浅間山の全貌を知るおよそ15キロの山行でした。 読みながら鮮やかにその光景を思い浮かべながら、またあそこに立ちたいと強く思う。 加えて、涸沢を経て穂高岳にも行ってるし、八ヶ岳も、妙義は中間道なら経験がある。 山のことを全く知らない人は面白さ半減だろうが、知ってる私もストーリーはあまり面白いとはおもわなかった。
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以前におなじ著者が書いた『エチオピアからの手紙』を読んで感動した記憶があるが、医療小説であったそちらとは異なり、本作は著者の勤務先にほど近い浅間山などを舞台にした山岳小説である。とはいいつつ、著者が現役の医師であるという軸はブレていないので、ヒューマニズムなどにかんして思索を巡ら...
以前におなじ著者が書いた『エチオピアからの手紙』を読んで感動した記憶があるが、医療小説であったそちらとは異なり、本作は著者の勤務先にほど近い浅間山などを舞台にした山岳小説である。とはいいつつ、著者が現役の医師であるという軸はブレていないので、ヒューマニズムなどにかんして思索を巡らせる場面もあり、実態としてはむしろ旧来どおりの医療小説に近い部分も多い。山岳小説というと、とかくガチガチのスポーツ系で、熱い登山の物語を聯想してしまいがちではあるが、屹立する勇壮な山山に挑む物語を、ここまで静謐な筆致で描き出せることには、感動を禁じ得ない。やはり、この著者の作品が個人的な好みとみごとに合致しているということを再確認する。著者はかつて鬱病を患い、爾来趣味として山に登るようになったというエピソードでも知られるが、そういった背景も、巧みに料理されており、けっして精神的に不健康な感じはしない。だからといって健康そのものとか、明朗快活とか、そういったイメイジとも明確に懸け離れており、やっぱりそういうひとことでは書き表されない微妙な感覚を描き出すことがじつに上手な作家である。『エチオピアからの手紙』においても、生と死のあわいを絶妙な筆致で描き出していた。わたし自身は登山とはあまり縁がなく、今後も始めるかどうかはわからないが、つねに生命の危険と隣り合わせな難易度の高い登山さえ、本作を読めばけっして否定的な感情では捉えることはできないであろう。
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ひたすらに浅間山を登る本。 一番最初に言えるのは、浅間山の付近に詳しくないとちょっと楽しめないということ。それでも山のぼりの爽快感や、山の風景の描き方は秀逸でなんとも言えない安心感は“山”ならではだなと思う。 紀伊国屋のほんのまくらのイベントで購入。なんと本の書き出しと値段以...
ひたすらに浅間山を登る本。 一番最初に言えるのは、浅間山の付近に詳しくないとちょっと楽しめないということ。それでも山のぼりの爽快感や、山の風景の描き方は秀逸でなんとも言えない安心感は“山”ならではだなと思う。 紀伊国屋のほんのまくらのイベントで購入。なんと本の書き出しと値段以外は情報が全くない中で本を買わせるという大胆なもの。相変わらずいい本屋だ。今日行ったら答え合わせをやっていた。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
題名の草すべりとは、山の登山ルートの名前だ。 浅間山にあるそうだが、遠い山なので浅間山自体あまり馴染みがない。 昔、子供の頃に起きた立てこもり事件を連想してしまう。 主人公は末期患者を毎日何人か見送る激務に耐えかねてうつ病を発症してしまい、療養を兼ねて山登りをしている、ほぼ作者とかさねてしまうような中年男性だ。 昔のできごとや、幼い頃の記憶や、現実のできごとなどを交錯させながら、淡々と綴られている、そのあきらめではないがすべては受け入れるしか無いのだという一種悟りのような境地はこの年になると、すんなりと入ってくるものがある。 文中に出てきた言葉で「山歩きは人生の復路に入ってから始めた方が、より多くの五感の刺激を体に受け入れられる気がする。 若い身体は余剰の熱を外に向けて、発散するばかりだが、老い始めると代謝の低下した身体は外部からのエネルギーを積極的に取り込むようになる」という件は大きく頷いてしまった。
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落ち着いた雰囲気で物語が進む。主人公は、医者であり、多くの患者を看取って来て調子を崩した経験がある。そのせいか、自然を見る目、周りの人を見る目が穏やかで、観察的で、少し諦観的でもある。山に登ることを通じて主人公が触れた、自然や人間の静かにみなぎる力、生きる力が読んでいる私のもとに...
落ち着いた雰囲気で物語が進む。主人公は、医者であり、多くの患者を看取って来て調子を崩した経験がある。そのせいか、自然を見る目、周りの人を見る目が穏やかで、観察的で、少し諦観的でもある。山に登ることを通じて主人公が触れた、自然や人間の静かにみなぎる力、生きる力が読んでいる私のもとにもひたひたとしみ込んでくるような作品。 作品のところどころに現れる様々な病気の影が、少し読むのを辛くさせる。私がまだ若いからかしら。
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人間は還暦を過ぎると幼児に戻っていく。浮世の垢がきれいに落ちて、子どもの頃の純粋さが戻ってくる。澄み切った、ぎりぎりまで透明度の高い本書を読了して、ふとそんなことを思った。この小説の真価は、30代の私には理解できなかっただろう。今、50代も間近になって、「齢を重ねる」とはこういう...
人間は還暦を過ぎると幼児に戻っていく。浮世の垢がきれいに落ちて、子どもの頃の純粋さが戻ってくる。澄み切った、ぎりぎりまで透明度の高い本書を読了して、ふとそんなことを思った。この小説の真価は、30代の私には理解できなかっただろう。今、50代も間近になって、「齢を重ねる」とはこういうことなのだと実感できる。そして、そう実感できる自分が決して鬱陶しいとは思わない。どころか、少しだけ誇らしくさえ思えるのだ。同年代の方々にはぜひ手に取っていただきたい1冊です。重たいけれど清々しい。
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最近、南木さんが題材にとり挙げるという、山歩きを描いた短編集です。 山歩きの小説といえば、颯爽とした冒険譚や悲劇、自然の賛歌や脅威が描かれているものですが、そこは南木さん、かなり風情が違います。 著者と等身大の、かつて鬱を患い、復帰はしたものの未だに過激な勤務には耐えられない中年...
最近、南木さんが題材にとり挙げるという、山歩きを描いた短編集です。 山歩きの小説といえば、颯爽とした冒険譚や悲劇、自然の賛歌や脅威が描かれているものですが、そこは南木さん、かなり風情が違います。 著者と等身大の、かつて鬱を患い、復帰はしたものの未だに過激な勤務には耐えられない中年の勤務医の主人公が、必要以上に慎重に、トボトボと山を歩く姿が描かれます。 死を見つめる話ばかりを書いていた南木さんが、活き活きとした所まで行かないものの、山歩きと言う生きる話を書き始めたのは、やはり病気から離れられて来たせいでしょうか。 元々静けさの漂う作品が多いのですが、テーマが死から山歩きに変わったせいで、物語としての起伏が小さくなり、より静謐感が強くなったようです。ただ、その分、面白みには欠けます。 第36回泉鏡花文学賞、第59回芸術選奨文部科学大臣賞 受賞作品
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