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空白の天気図 の商品レビュー

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17件のお客様レビュー

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2024/03/24

この本のことは、You Tubeでみた池上彰と柳田邦男の対談で知った。気象台絡みた戦争、戦後史とまとめれると思うが、あらゆるインフラを破壊された中での気象観測、原爆の後に襲ってきた台風。京都大学の研究班が台風で罹災したことは知らなかった。

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2023/09/06

広島の気象台から見た、原爆と枕崎台風のノンフィクション。 枕崎台風によって広島では2,000人もの方が亡くなられた。通常、台風によってこれだけ多くの方が亡くなることはない。なのになぜ、あまり注目されていないのか。 巨大な災害の後に起こった大災害。 それがどのような災害であったの...

広島の気象台から見た、原爆と枕崎台風のノンフィクション。 枕崎台風によって広島では2,000人もの方が亡くなられた。通常、台風によってこれだけ多くの方が亡くなることはない。なのになぜ、あまり注目されていないのか。 巨大な災害の後に起こった大災害。 それがどのような災害であったのか。なぜここまで拡大してしまったのか。実際、どんなことが起きていたのか。 そこにいた方たちの姿が、息遣いが、伝わってくるように感じ、震えました。 気象台の方々の、技術者、研究者としてのご尽力を知り、頭が下がる思いでした。 読み終えた後もずっと、頭と胸に感覚が残っています。 本書を読み、災害は、その規模の大きさゆえに二重に起こることもあることを胸に刻みました。

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2023/08/24

戦争と科学(者)、原子力の問題、情報伝達についてなど考えさせるノンフィクション作品。広島原爆、その1か月余り後に襲った枕崎台風の広島での惨害を主に広島地方気象台の職員の側から描いている。当然被害状況が描かれるが、割と冷静な表現になっている。その中からいろいろな問題点が浮かび上がっ...

戦争と科学(者)、原子力の問題、情報伝達についてなど考えさせるノンフィクション作品。広島原爆、その1か月余り後に襲った枕崎台風の広島での惨害を主に広島地方気象台の職員の側から描いている。当然被害状況が描かれるが、割と冷静な表現になっている。その中からいろいろな問題点が浮かび上がってくるのが特徴か。単行本は1975年のものだが今読んでも決して古びていない。というかむしろ必要だろう。ただ、1975年現在での記述なので若干今の若い人にはわかりにくい部分があるかもしれない。その辺は改訂の必要がありそうではある。 しかし帯文のうち「日本人の熱き心を描く」とか「果敢に立ち向かった男たちの記録」という煽りはいかがかと思う。そういう状況に至らしめた時代を考えなければいけないということだろうと思う。もっともこの文句にひかれて読んだ人が実際の本の内容を見ていろいろ考えてくれればということも言えるかもしれないが。

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2023/04/16

第2次世界大戦がはじまる前、当時の中央気象台は軍による統制を受けることになり、真珠湾攻撃における気象予報も行った。戦時は人員も拡大し、軍事に資する気象予報を行う。 昭和20年8月1日には、中央気象台が大本営に組み込まれ、大本営気象部となる発令がでるはずだったが、ポツダム宣言の諾...

第2次世界大戦がはじまる前、当時の中央気象台は軍による統制を受けることになり、真珠湾攻撃における気象予報も行った。戦時は人員も拡大し、軍事に資する気象予報を行う。 昭和20年8月1日には、中央気象台が大本営に組み込まれ、大本営気象部となる発令がでるはずだったが、ポツダム宣言の諾否にかかる調整で二の次のなるなか、原子爆弾が広島と長崎に落とされる。 終戦後、通信事情が悪くなったこともあり、気象電報の入電がほとんど止まってしまう。8月17日午前6時の入電は、前橋の熊谷の2地点だけという状態であった。 これでは天気図が書けるわけもなく、空白の天気図が残されている。しかし、8月22日には気象管制が解除され、NHKラジオ放送も再び再開された。 その後、9月17日にのちに枕崎台風と呼ばれる大型台風が九州、中国を横断して日本海に出たのち、奥羽を横断して太平洋に出た。この台風による災害が九州ではなく「広島県の死傷不明3066名を初とし」であったのはなぜか。これが、本書の導入。 「天気図の空白は、歴史の空白ではないかと感じた。記録を残すことが将来の災害、戦争、核戦争を防ぐうえで大きな役割を果たすと考えた。」と著者は述べている。 忘れてはいけない歴史が、本書にある。

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2021/08/30

1945年9月、1ヶ月前の原爆投下の傷もまだ癒えていない広島に新たな脅威が近づいていた。枕崎台風。その規模は11年前に大きな被害をもたらした室戸台風にも劣らぬほどの強さだった。 戦争において気象学は重要。攻撃を仕掛ける時の天候は勝負を分ける大きな要因の一つだからだ。戦時において...

1945年9月、1ヶ月前の原爆投下の傷もまだ癒えていない広島に新たな脅威が近づいていた。枕崎台風。その規模は11年前に大きな被害をもたらした室戸台風にも劣らぬほどの強さだった。 戦争において気象学は重要。攻撃を仕掛ける時の天候は勝負を分ける大きな要因の一つだからだ。戦時において各地の気象台の計測データは暗号化して中央気象台に伝えられ、中央気象台からの各地の観測データも同様に暗号化されて各地に配信されていた。 天気予報自体が敵に知られてはならない情報なので国民向けの天気予報、台風に関する情報も戦時は国民に一切提供されなかった。 そこに原爆投下で広島のインフラが大きな損害を受けた。そのために通信網が不通となり、中央気象台からの気象情報が届かないため広島気象台の台員たちはのちに昭和の三大台風の一つとされた枕崎台風についての詳細の情報を受け取れず、他方、広島で観測されてある情報を中央に知らせることもできなかった。 そんな中で台風は広島に上陸し、大きな被害を生み出していく、、、 前半は日本の気象学、軍にも協力しながらも気象台で働く人々を描く事から始め、原爆投下による被害や、被害を受けても欠測せず、計測を続ける観測精神の真髄と再度東京に対して観測データを送れるレベルに復帰するまでの苦労の話。 後半は京都大学から原爆被害の詳細の調査と、被爆した人々の救援を行うためにやってきた人々が台風被害に遭って、多数の人が負傷、または死亡してしまう顛末と、その時聞いた黒い雨の記録を残す事になった話など。 原爆の被害に比べれば台風の被害の規模など、数字の桁が2桁ほど違ってきてしまうのだが、そういう大きな災厄の影に隠れてしまった悲劇と気象観測にまさに命をかけた人々の記録。

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2020/09/11

良質なノンフィクション。筆者も言っているようにノンフィクションの旬の時期は短いが、この本は長く読み継がれて欲しい。 描れている人もプロフェッショナルなら、柳田さんもプロとして丁寧で熱い仕事をされていると思います。 戦後の日本はこういった人たちの必死の頑張りで復興し発展したのだ...

良質なノンフィクション。筆者も言っているようにノンフィクションの旬の時期は短いが、この本は長く読み継がれて欲しい。 描れている人もプロフェッショナルなら、柳田さんもプロとして丁寧で熱い仕事をされていると思います。 戦後の日本はこういった人たちの必死の頑張りで復興し発展したのだと思う。我々もしっかりしなければ。

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2020/08/26

終戦のあと2年ぐらいに大きな台風被害が日本で出たことはきいたことがあったが、原爆投下の翌月である1945年9月に広島を枕崎台風が襲ったことは、不勉強にして知らなかった。 その意味で、魂のこめられた(=臨場感があって読みたくなる)ノンフィクションとしてこのような記録がのこされたこと...

終戦のあと2年ぐらいに大きな台風被害が日本で出たことはきいたことがあったが、原爆投下の翌月である1945年9月に広島を枕崎台風が襲ったことは、不勉強にして知らなかった。 その意味で、魂のこめられた(=臨場感があって読みたくなる)ノンフィクションとしてこのような記録がのこされたことの意義は非常に大きい。著者があとがき(p.428)でも言うように。 自分自身も、読んで本当によかった。 原爆投下の瞬間の閃光・熱戦(p.91)や、その後の街中の人々の死にかけたような様子(遺言をきいて下さいとか、水を下さいとか。P.139)の描写も鮮烈で印象にのこるが、やはり9月の台風の時のおそろしさ(河川水位上昇、山津波、それによる京大調査隊の被災)は出色の描かれようだ(p.250~)。のちに広島市長になる浜井氏の「原爆砂漠が原爆湖水になった。このまま水が引かなければいいのに」といいたくなるのも、気持ちがよくわかり、痛ましいほどである(p.268)。 加えて、戦時に文科系から運輸通信省に移り、更には軍部との協力体制に組み込まれるという激動(p.28,38)にありながら、誇りないしは責任感を胸に観測を続け、「空白」を消そうといた観測員たちの様子には胸を打つし、枕崎台風の時「予報」ができなかったことも甚大な被害の一因、ということ自体も業務の重要性を語る典型的なメッセージだ。(p.293,394) 最後に、黒い雨の調査についてもふれておかねばならない(p.369,400)。こういう調査がなされていたこと自体が素晴らしいし、今まさになされている訴訟にあっても、参照できるのではないかとも思える。 いずれにせよ、聞き取りを重ねてマッピングするという手法が本質的で、効果的だとも思い知らされた。

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2017/12/01

広島の原爆投下後、その翌月に襲った巨大台風。広島気象台で働く人々の目を通じて知るノンフィクション。状況を伝えようにも手段のないもどかしさ、その後の被害状況を地道に調査し、それが後年私たちに伝わってきたありがたさ。そしてページを多くさかれた広島の原爆投下時、後の生々しさ。ひとつひと...

広島の原爆投下後、その翌月に襲った巨大台風。広島気象台で働く人々の目を通じて知るノンフィクション。状況を伝えようにも手段のないもどかしさ、その後の被害状況を地道に調査し、それが後年私たちに伝わってきたありがたさ。そしてページを多くさかれた広島の原爆投下時、後の生々しさ。ひとつひとつが貴重で重く、今も起こる山津波の被害などにも通じる、広い範囲で残してもらいたい1冊です。

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2017/08/05

終戦後すぐに広島を襲った台風に翻弄されながらも果敢に対応した気象台員を追いかけながら、同時に原爆の悲惨さを表している。僕だけではないと思うが、なんとなく知っているつもりの原爆被害について改めて考える機会になった。8月6日までにどうしても読みたくなる。

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2016/01/09

1945年、広島地方気象台の記録。 被爆直後の9月17日、枕崎台風が広島を襲っていたことを不覚にも初めて知った。 筆者は、8月6日まで、8月6日、8月6日以降の台員の動きを丁寧にたどる。8月6日の、気象台自身も被害を受けながら欠測なしの観測続行、中央気象台への通知手段探索の奮闘に...

1945年、広島地方気象台の記録。 被爆直後の9月17日、枕崎台風が広島を襲っていたことを不覚にも初めて知った。 筆者は、8月6日まで、8月6日、8月6日以降の台員の動きを丁寧にたどる。8月6日の、気象台自身も被害を受けながら欠測なしの観測続行、中央気象台への通知手段探索の奮闘には本当に頭が下がる。市内の惨状の記録は忘れてはならないだろう。また、黒い雨の記録は、後に被災地域の再評価に結実する。 一方、1ヶ月後の枕崎台風の襲来は、気象台にとって、痛恨事となった。情報の収集・発信共に貧弱な状況での被災が如何に悲惨な結果を生むか。3.11もつながる複合災害の教訓は学び、伝えてゆかなければならない。 観測し、記録する、気象人の魂を教えていただいた。

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