アンアンのセックスできれいになれた? の商品レビュー
ananをここまで研究したってことがまずすごい。 好きなんだろうな~ということが伝わってくる。 実際その時代を生きていないので序盤はなんともいえず へぇ~という感じだが、 終盤は著者の言ってることがビシバシ実感として湧いてくる。 現在の、セックスがコミュニケーション、だから難しい...
ananをここまで研究したってことがまずすごい。 好きなんだろうな~ということが伝わってくる。 実際その時代を生きていないので序盤はなんともいえず へぇ~という感じだが、 終盤は著者の言ってることがビシバシ実感として湧いてくる。 現在の、セックスがコミュニケーション、だから難しい は言い当てていて妙。 なんかここまでセックスのついて考えてしまえることが本当に感心する。 思っていて、もやもやしてても言語化できない自分。 飯島愛さんのことについて書いた項も、激しく共感した。
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日本のジョシの歴史を知れて、純粋に面白かった。ファッションとかに限定しないテーマを持っている女性誌ってアンアンくらいしかないし、頑張ってほしいんだけどなー。
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多くの人々、特に男性のほとんどには理解も共感もできないだろうが、私には北原さんの怒りや嘆きが、痛いほどよくわかる。 子どもの頃から抑圧されてきた性的欲望を語っていい、肯定していいのだと、女たちの背中を後押ししたバブル経済と雇用機会均等法がもたらした力は、もしかすると一時の幻想だ...
多くの人々、特に男性のほとんどには理解も共感もできないだろうが、私には北原さんの怒りや嘆きが、痛いほどよくわかる。 子どもの頃から抑圧されてきた性的欲望を語っていい、肯定していいのだと、女たちの背中を後押ししたバブル経済と雇用機会均等法がもたらした力は、もしかすると一時の幻想だったかもしれない。だからと言って、女たちがようやく手にした性的主体性が、男が支配する商業主義の世界に、不気味にねじくれた形で絡めとられてしまったことを、女たちだけのせいにすることはできないはずだ。私たちが夢みたものそれ自体は、決して時代の徒花ではないのだから。 なつかしさや悲しみではなく、怒りとともに、あの時代をふりかえれ。まだ実現せぬ私の主体性のために。
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自分の中にあったセックスへの疑問が的確に指摘されており、おそろしいほどの共感にくらくらときました。 結婚するまで処女でいるという貞操観念が薄くなったとはいえ、女性が不特定多数とセックスすることは「ヤリマン」で「ビッチ」は当然、下手すると「自傷癖」なんて言われてしまう。 でも男性...
自分の中にあったセックスへの疑問が的確に指摘されており、おそろしいほどの共感にくらくらときました。 結婚するまで処女でいるという貞操観念が薄くなったとはいえ、女性が不特定多数とセックスすることは「ヤリマン」で「ビッチ」は当然、下手すると「自傷癖」なんて言われてしまう。 でも男性は本能だから認められて当然。 女にも性欲があるのに、不思議ですね。 本書で一番面白かったところは、「セックスで女がする仕事」を金額で表したところ。 アンアンの付録である女性向けアダルトビデオ、その内容(草食系のカレをその気にさせて喜ばせる方法)を観て驚愕した著者が、女優の行動を仕事として金額化しています。 例えば、決して自分からパンツを脱がない(控えめな女と思わせる演技力と手間)……○○円 など。 どうして風俗並の技術を身につけて奉仕に徹してまでカレを喜ばせなければならないのでしょうか? セックスが愛と不正確な形で結びつけられた風潮によって、愛を得るために奉仕セックスをすること。それを自ら求めて「セックステクニック特集」を漁る現代の日本女性の姿を哀しく思います。 主体的に、自由で、楽しむセックスを提案したかつてのアンアンはどこへ行ってしまったのでしょうか? そして、そんな形をとった雑誌は再び現れるのでしょうか。
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ananのセックス特集の変遷から、時代に左右される女のセックスを追いかける一冊。 70年代の自由を求める女たちから考えれば、確かに今の女のセックスは「水商売化」してると思う。それを嘆くのは仕方ないとしても、「水商売みたい」になってでも「愛」を手に入れて安心したい女の子のたちの気持...
ananのセックス特集の変遷から、時代に左右される女のセックスを追いかける一冊。 70年代の自由を求める女たちから考えれば、確かに今の女のセックスは「水商売化」してると思う。それを嘆くのは仕方ないとしても、「水商売みたい」になってでも「愛」を手に入れて安心したい女の子のたちの気持ちをもっと もっと知りたいと思う。
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アンアンの変遷をたどることは、日本の女の変遷をたどることだった。買うだけで、バッグに入れてるだけでかっこいい女になれたような気がしたアンアン。自由でかっこいい女が一番輝いていた時代の一番かっこいい雑誌。みんなが自由に私らしく生きられるんだと信じていた時代の。私もそのひとりだったか...
アンアンの変遷をたどることは、日本の女の変遷をたどることだった。買うだけで、バッグに入れてるだけでかっこいい女になれたような気がしたアンアン。自由でかっこいい女が一番輝いていた時代の一番かっこいい雑誌。みんなが自由に私らしく生きられるんだと信じていた時代の。私もそのひとりだったから、この本は心にひりひりとしみる。この20数年を、「こういうことだったんでしょ。」と要約してくれたような。あまりにやるせない要約だけど。 ちなみにアンアンのセックス特集をお金出して買ったことは一回だけあります。。。
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1年に1回 アンアンで特集をする セックス について、 創刊当時からの記事を見直しながら、 時代とともに見方がかわってきたな~ と思わせるレポートでした 40年もたてばかわるというのは 当たり前かもしれないが、 その前の40年間にくらべれば 激変かもしれないな~ と思いました
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ananで、愛のあるセックス礼賛になってから技術系の特集が組まれ出したというのが示唆深い。つまり明確に、「セックスは自由の象徴でなく、お仕事、または、カレとの関係を深めるための技術なんだし」という訳だ。愛のための技術としてのセックス。ケッ。
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東電OL事件と、原発、震災後の東電を絡めて語るあとがきが凄まじい。全作を通じる激しさと真摯さが集約されているようです。 女性、女性性についての語り口や思想は、やはり随一と感じます。著者への敬愛がますます深まる一作でした。
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私は、フェミについても、an・anについても、はっきり言って全く興味がない。そして、フェミやan・anに興味がある人々についても、殆ど知らない。そういう私が読むと、本書はある一人の70年代生まれの女性(とは、即ち年代的にも、譬喩的にも、スーザン・ソンタグのこどもの世代、というふう...
私は、フェミについても、an・anについても、はっきり言って全く興味がない。そして、フェミやan・anに興味がある人々についても、殆ど知らない。そういう私が読むと、本書はある一人の70年代生まれの女性(とは、即ち年代的にも、譬喩的にも、スーザン・ソンタグのこどもの世代、というふうに変換される)が思春期から今日に至るまで、驚くことに少しもブレることなく関心を抱き続けてきた問題意識を、なんとも愉しく書いてしまった一冊、という印象を与える。大抵の場合がそうであるように、著者が問題意識をその筆致にありありと顕在させ、愉しく書いてしまったものには、鼻しらむものである。フェミニズムの本が、政治家の著作物のように、殆ど読めたものでないのもそのためだ。 だが、本書、著者の鬱憤を書き捨てた全ての章が終わり、あとがきに差し掛かるとなかなかおもしろい。特に村木厚子さんについてのくだりは本書の中でどこか異色を放っている。 「──女性は自由になったのか。 言うまでもなく、そんな問いが立てられている以上、見当違いが続くものだ。問題は自由か否かではない。問題は女性ではない。著者が、00年代に入って突如として、長年愛読していた雑誌や社会全体が理解できなくなったのは、その変貌のためなんかではない(その意味では社会は常に変貌しながらのみ存在するのだ)。それは、筆者が思い描いていた解決されるべき──あるいは、ぶっつぶされたい──問題が、なし崩しに近い状態で解消されたからではないか。問題意識が向かう先をなくし、弄ばれている不満の現れではないか。」 小悪魔agehaの愛読者がan・an世代から「傷だらけのイタイタしい少女」として描かれているが、(そのどちらにも属さない世代、80年代始め生まれ、元不登校児と帰国子女である)私からすれば、なにか問題がないとやっていけない類の感性────つまり、己の充実した生活のために問題を作り出してしまう傍若無人な感性こそ、いかんともしがたい、バブル世代特有の負の遺産にみえる。 加えて、今日街角やネット上でたまに見かける、実年齢は小悪魔ageha世代、感性はan・an愛読者、といった女性たちが、なにか格別な不気味さを放っていることを、読みながら何度となく思い出していた。
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