東京裁判 幻の弁護側資料 の商品レビュー
東京裁判に関する本は数多く、論点もほぼ出尽くした感があるが、本書は却下された膨大な弁護側資料を抜粋し、解説を付して編集したものである。裁判過程を分析する上での一次資料の整理として極めて高い価値を持つとともに、被告人の弁護を主眼とする法廷資料であることを割り引いたとしても、大東亜戦...
東京裁判に関する本は数多く、論点もほぼ出尽くした感があるが、本書は却下された膨大な弁護側資料を抜粋し、解説を付して編集したものである。裁判過程を分析する上での一次資料の整理として極めて高い価値を持つとともに、被告人の弁護を主眼とする法廷資料であることを割り引いたとしても、大東亜戦争の全体像を歴史的事実に基づいて実に多面的に考察しており、公正な歴史認識を持つための必須文献である。敗者の「弁明」とは言え、決して「弁解」ではない堂々たる日本の主張を読むことができる。本書に限ったことではないが、正しい歴史認識の普及と日本の名誉回復を願った小堀桂一郎氏の地道で真摯な取り組みには頭が下がる。勝者であると敗者であるとを問わず、あの戦争を本当に反省しようと思うなら、まずは本書を繙くべきである。 訴追理由の「平和に対する罪」を論駁した高柳弁護人の冒頭陳述は、正統的な国際法理論に即した精緻な論理構成が圧巻であるが、他にも思わず膝を打ちたくなる箇所は多い。徳富蘇峰は日本は欧米帝国主義を手本にしたのであって、その技倆のまずさを笑うのは勝手だが、之を咎め、責め立てるのは不公平ではないかと言って憚らない。日本の南部仏印進駐がアメリカの態度硬化の引き金を引いたとされることが多いが、ブレークニー弁護人は対日経済封鎖は実は南部仏印進駐の前に決定されていたことを明らかにしている。またローガン弁護人も日本が戦争準備に入るはるか以前から戦争計画を着々と進め、立ち上がらざるを得ない状況に日本を追い詰めたのは連合国側であるとし、パリ不戦条約が禁止する戦争には国家の存立を脅かす経済制裁が含まれるとする米上院の解釈を引いて、日本の行った行為が自衛戦争であると主張する。さらに満州事変当時、無法地帯と化していた中国大陸の実情や熾烈を極めた日貨排斥運動など、大陸での日本の軍事行動にも少なからず理があったことを示す事実が具に報告されている。 東京裁判が事後法による勝者の裁きであるという手続上の瑕疵だけでなく、侵略の共同謀議という事実誤認に基づくものであり、法的正当性がないことに今や議論の余地はない。一方、多分に復讐劇の性質を帯びた政治ショーであることを認めつつも、A級戦犯と引き替えに天皇を免責にし、勝者と敗者が過去と決別するための言わば「手打ち式」だとする見方(宮台真司)がある。この論によれば東京裁判を否定することは旧連合国との戦後の友好の基礎を掘り崩すことになるという。一見国際政治の力学を見据えた現実的判断のようにも見えるが、非力ゆえに力の前に譲歩することと卑屈になることは同じではない。あからさまな対立を避けるために現実に折り合いをつけることと、声高に主張はしないまでも、歴史の歪曲に対して毅然とした態度をとることは矛盾ではない。東京裁判の結果である「諸判決 (judgements)」を受け入れても、そこで正しいとされた事実や歴史観を含む「裁判」そのものは受け入れないというのはそういうことだ。それはこの国の過去と未来に対する我々の最低限の責任であり、それすら放棄するのは長いものに巻かれて今さえ無難にやり過ごせばよいという身勝手な敗北主義以外の何ものでもない。
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まず、恥ずかしながら歴史に疎い私は、「東京裁判」が極東裁判を 意味することすら知りませんでした。 私がこの本を読むきっかけとなったのは、得意先のお客様から 勧められたことでした。 しかし、読んでみて思ったのは、「史実とはいったい何なのか?」です。 戦争開戦までに日本が、英米から極限まで経済的に追い詰められた 事実。中国の属国であった歴史。事実上何の意義もなかった三国同盟 など。 名古屋の河村市長の南京虐殺に関する発言ではないが、歴史とは そんなに単純なものではない筈だ。 自虐的に「日本が悪かった」とだけ言うのではなく、もっと冷静に いろいろな観点を取り入れて、自分なりの歴史観・世界観をもつ べきと深く感じた。
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