江戸滑稽化物尽くし の商品レビュー
表紙に惹かれて読んで見た。江戸時代に流行った化物の本について内容まで詳しく記載されている。昔の人々はバケモノを恐れていたように感じていたが、これを見る限り結構時代遅れの物事として恐れてはいなかったようだ。江戸という都市だからこそであり、はぼすべての生活が都市の中にある自分たちに...
表紙に惹かれて読んで見た。江戸時代に流行った化物の本について内容まで詳しく記載されている。昔の人々はバケモノを恐れていたように感じていたが、これを見る限り結構時代遅れの物事として恐れてはいなかったようだ。江戸という都市だからこそであり、はぼすべての生活が都市の中にある自分たちにも通じる部分だろう。 しかし江戸の人々はそれでもバケモノを愛したし、その滑稽さやあどけなさを笑ったのだ。そこに清濁の感情はあったが、それでもバケモノが好かれていたことは、人間のように振る舞う化物や純粋な化物、どこか可愛らしくまの抜けた化物の数々を見ればどれだけ好かれていたからわかる。我々は今も華麗な化物や恐ろしい化物はもちろん、滑稽な化物達を身近に感じながら楽しんでいる。化物尽くしは確かに現代まで続いているのだろう。
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化け物は滑稽である。特に江戸の黄表紙に載ってる化け物は、メディアが作り出したお笑いコンテンツ。 流行り廃りがあり、その時代の人の心が求める姿になる。 くだらないとされるモノにこそ、人の心が本来求める要素がある。 化け物を研究すると、人の本質が見えてくる。
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少し前に擬人化が流行って、何だか凄い世界だなぁなどと思っていたのだけれど、江戸時代の黄表紙は、(付喪神とは全く別モノの)文具同士の恋愛やら蕎麦とうどんの合戦物やら、現代の遙か先行く擬人化レベルで、呆れ半分、何だか誇らしくなって笑ってしまった。
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こんなにも黄表紙を研究している外国人がいたことにびっくりした。どちらかといえば、妖怪の研究書なのかと思っていたけれども、文学史として読んでも十分に面白い。 名づけられた妖怪はもはやポケモンのように都市文化の生み出したキャラクターなのですね。納得。
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江戸時代の黄表紙本に出てくる化物たちのなんと滑稽でひょうきんで人間臭いことか。そこには化物がもつ「怖さ」はなく、「親しみ」がある。 尻子玉を抜かれた間抜けな河童がいたり、徳利が忠臣蔵を演じたり、小筆と硯の恋物語があったり(文房具が擬人化されているあたり、筒井康隆の『虚構船団』の先駆けをなすか)、もうなんでもありのハチャメチャ・ワールドが黄表紙本にはある。 かつて江戸時代には、このような”くだらない”本が流行していたかと思うと、とても楽しくなる。ひょっとして、明治以降の”真面目な”日本人像は実は虚像でしかなく、滑稽を愛する姿こそが古来からの真の日本人像ではないのだろうか。
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