賭ける仏教 の商品レビュー
寺院の生まれでないからこそ、「仏教とは何か」ということを掘り下げられたのかもしれない。 たとえとして適当かわからないが、男として生まれ男として生きる者は、「男とは」なんてことはあまり考えない。せいぜいがその場しのぎ的に「男らしさ」などというものを一貫性もなく振りかざす程度で...
寺院の生まれでないからこそ、「仏教とは何か」ということを掘り下げられたのかもしれない。 たとえとして適当かわからないが、男として生まれ男として生きる者は、「男とは」なんてことはあまり考えない。せいぜいがその場しのぎ的に「男らしさ」などというものを一貫性もなく振りかざす程度であろう。 一方で性同一性障害などで生まれ持った性とは別の性で生きる者にとって、「男とは」「女とは」という問いは重要である。時として存在証明ですらある。 宗教者もおそらくそれに近い感覚があるのだろう、生まれもって僧になることを運命付けられた者にとって、「僧とは」「仏教とは」という問いには気づきにくい。 著者は寺生まれではなく、また仏教系の学校の出でもなく、一般の職業に就いた後に仏門を叩いた。青年時代に哲学に関心を持ったということもあるのだろう、仏教の、僧の、寺の役割、存在といったものを深く思慮している。 世襲でない僧というものが少数派であるためか、著者はどうやら異端とされるらしい。事前の情報がないためよくわからないが、本書で語られる内容を見るに、確かにそうなのだろうという気はする。もちろん私は「一般の僧」というものがどういう人々なのかすらもよく知らないわけだが。 時折ニュースなどに出てくる奇抜な僧というのは、寺を継ぐのを嫌がって出て行ったものの、どうにも行き詰ってやむなく帰ってきて、そこでやりたかったことの代償行為をしているだけ、という指摘を別の場所で見かけたことがあるが、本書にも似た記述があるので引用する。おそらく著者が現代日本における寺のあり方、仏教の在り方について強く懊悩している部分だと思う。 「もう、事情が変わった。葬式法事をしていれば僧侶でいられた時代は終わりつつある。ところが、少なくとも江戸時代以降これまで、日本では生き方を参照する原理として、仏教が機能したことがない。そういう観点から仏教を語る僧侶もいなかった。だから悩める人が仏教を頼らない。 しかし仏教がもともと人の生き方の教えだったことを鑑みれば、いまここで生き方の参照原理なり生の基準としての仏教をもう一度復活させるのが、われわれの大きな使命だと思う。 にもかかわらず日本で起こることは倒錯としかいいようがない。若い世代に仏教を伝えようというと、いきなりイベントやコンサートの企画になる。あるいは仏教をわかりやすく説こうとすると、最近の事件や新聞記事、流行のロック歌手の歌詞を持ちだしてくる。そんなことを若い人が求めているわけではないと私は思う。お寺の中でファッション・ショーをやったりコンサートをやればいいのか。断じてそうではない」 仏教は新興宗教に比べれば巨大であるが、世界の趨勢から言えば弱小である。キリスト教やイスラム教のように侵食的でないし、ユダヤ教のように経済力もない。そもそも布教に熱心でない。弱肉強食の理論でいえばとっくに滅びていてもおかしくない宗教であるが、どっこい今に生きている。それはなぜか。仏教者は、今こそ仏教の存在意義を問わなければならない。他の宗教やサービスと同じことをやっていても勝ち目はない。もちろん最適を極めた結果仏教滅ぶべしという結論になるかも知れない。それはそれで仕方ないが、少なくともそこに仏教者自らが至らなければならない。 著者はそうした問題提起をしているような気がする。 私にとっては2018年最初の本であるが、年始からなかなか読み応えのある本だった。これは幸先がいい。今年もなるべく沢山の本を読もう。
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著者は,他の著作と同様,龍樹『中論』における縁起(空)の思想を基本に一切皆苦・諸行無常を解釈し,実体としての「真理」「宇宙の生命」などといったマジックワードによって「自己」の存在意義を規定する安易な理論を否定する。 その上で,世界とどのように向き合うべきか,どうやって生きていけば...
著者は,他の著作と同様,龍樹『中論』における縁起(空)の思想を基本に一切皆苦・諸行無常を解釈し,実体としての「真理」「宇宙の生命」などといったマジックワードによって「自己」の存在意義を規定する安易な理論を否定する。 その上で,世界とどのように向き合うべきか,どうやって生きていけばよいのかという「問い」に答えるべく四苦八苦するのが仏教であるという。 オウム真理教と仏教徒の関係,今後の仏教の在り方(特に,出家の在り方),十二支縁起の解釈,自身が結婚していることと仏教者としての立場,テーラワーダの問題点,因果律など,多岐にわたる論点について,冒頭の視点から論じていく。
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久々にのめり込める本だった。 中身の対談相手の正体は、評論家の宮崎哲也氏さん。 故に質問の切り口がとてつもなく鋭く、また南さんの回答も、欺瞞の無い、誠実さに満ちた内容となっていた。 全体を通して、原始仏教に立ち返る内容だったように感じた。南さんは禅僧であるので、道元禅師の凄さも書...
久々にのめり込める本だった。 中身の対談相手の正体は、評論家の宮崎哲也氏さん。 故に質問の切り口がとてつもなく鋭く、また南さんの回答も、欺瞞の無い、誠実さに満ちた内容となっていた。 全体を通して、原始仏教に立ち返る内容だったように感じた。南さんは禅僧であるので、道元禅師の凄さも書かれているが、「100%盲信してしまうのは違う」といった趣旨の発言もあり、こういうスタンスの人間はとても信用できるな、と感じた。 老師と少年を読んだ人には、これは延長上で話の内容のステップがいっきに上がった感じ、になっていると思う。 しかし老師と少年で面白さを感じた人には最後まで無理なく読めるだろうと思う。 また、茂木さんとの対談「人は死ぬから生きられる」と内容が一部重なっているところもあるが(そりゃあ同じ仏教に関する話のわけですから)、十分に新しい発見のできる本であると思います。
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