外交回想録 の商品レビュー
軍国動乱ピークの中、次第に世界から孤立していく日本の外交を支えた偉大な人物像が見えてくる。しかし歴史は無情。満州事変、226事件、日中戦争、そして日独伊三国同盟。まさに重光の外交努力を国家が踏みにじっていく。テロの犠牲で片足を失い、国にも裏切られ、それでも外交という仕事を辞めない...
軍国動乱ピークの中、次第に世界から孤立していく日本の外交を支えた偉大な人物像が見えてくる。しかし歴史は無情。満州事変、226事件、日中戦争、そして日独伊三国同盟。まさに重光の外交努力を国家が踏みにじっていく。テロの犠牲で片足を失い、国にも裏切られ、それでも外交という仕事を辞めない重光の姿に、単なる悲劇の外交員としてでなく、外交と真剣に向き合うプロとしての生き様を学びたい。
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重光葵による、外交に関する回想録。彼の本の魅力は、現場から見た当時の状況だけでなく、彼自身の考え、思想だろう。両親への愛情、外交官としての心構え、国家への忠誠。少し引用してみる。 p.14 「外国から帰った後は、必ず両親を慰めずにおくものかと、強く決心したのであった。」 p.18 「外交官として働く者は国を出る時が[...]別離なのだ。」 p.21 「総領事が数ヶ国語を次々に操って数名の外国人と応接しているところに陪席して深い印象を受けた」 pp.29-30 「いかに日本が中国問題その他の処理に当たってヨーロッパの大国から掣肘を受けているかを知っていた私たちは、ヨーロッパに戦争が起こり、ヨーロッパ大国の勢力がヨーロッパに集中され、その結果として日本の東亜における地位が非常に楽になるということについて、なんともいえない満足感を持っていたことは事実であった。」 p.44 「ドイツを通して見たものを西洋だと思っていた。今イギリスに来てみてこの考え方のたいへんな誤りだということを痛切に感じた。」 そんな中でも、テロ後の電報は、自身の身よりも、国家を心配したもので、感動する。 pp.194-5 「本使今回の負傷は或は致命傷に非ずとするも頗る重症と判断せらる。ついては今後当分公務を見ること能わざるを遺憾とす。しかるところ今回の事件にかかわらず停戦協定はこのまま成立せしむること国家の大局上より見て絶対必要と愚考す。この際一歩を誤らば国家の前途は取り返しのつかざるは目に陥るべし。もし対内外の連絡等のため必要ならば、至急松岡氏を再びわずらわし、右停戦交渉成立に努力せしむることとしたし。」 現場から見た当時の国際情勢に関して、興味深いものも引用しておく。 pp.28-9 「ドイツがベルギーの中立を侵しても英国が参戦すまいと判断したのはドイツの重大な錯誤であった。」 p.32 「八月二十日にいたって、突然ドイツ国内の日本人が全部逮捕された。」 pp.148-9 「満州問題はこうして日華間の問題から国際連盟の問題となってしまったが、日本軍部は依然として満州における独自の行動を進めていく決心をして、ますます国際的に問題を複雑ならしめた。」 p.240 「第一次大戦後、[...]ドイツの物資が世界の市場にあふれ、欧州の各国は自国の経済安定をはかるために輸入の制限をするようになった。こうしてだんだんバーター制の貿易が実行され、国際連盟が主義としている貿易自由の原則は貿易管理の方向に向かっていった。各国の経済活動はますます縮小される一方であり、世界の経済は全面的に窮迫するに至った。」 pp.249-52 「中国では[...]漸次銀恐慌をきたすようになった。中国は銀本位の国で、銀貨が各地で通用していたが、米国は銀相場の操作をやるために中国銀買い上げ政策に移って、多額の銀を吸収することになったので、中国の銀恐慌は一層甚だしくなって、不安をきたした。英国は[...]経済安定を日本の協力を得てもたらした、そうすることで中国問題に関して日英華の協力関係が実現し、やがては東亜の国際関係の安定にも貢献するだろうというおおよその考えから、[...]リースロスを中国に派遣することになった。」
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明治の男は凄い。 それにしても、自分の国の近現代史を知らなさすぎるのを痛感。 述べられている事件がいつのものなのか、時間軸が分からない・・・
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満州事変、張鼓峰事件、三国同盟 外交官の武器を使わない戦いの記録。 ドイツを皮切りに、米国、中国、ソ連、英国で 公使・大使等として活躍。第二次世界大戦への 日本の参戦を阻止するべく心血を注ぐが果たせ ず、チャーチルとの会談を最後に、1941年 7月帰国。日米開戦直前ま...
満州事変、張鼓峰事件、三国同盟 外交官の武器を使わない戦いの記録。 ドイツを皮切りに、米国、中国、ソ連、英国で 公使・大使等として活躍。第二次世界大戦への 日本の参戦を阻止するべく心血を注ぐが果たせ ず、チャーチルとの会談を最後に、1941年 7月帰国。日米開戦直前まで約30年の貴重な 日本外交の記録。解説は筒井清忠。 序にかえて 1 第一次世界大戦の勃発 2 イギリスのデモクラシー 3 パリ平和会議 4 内乱下の北京会議 5 日華関係の転回 6 国民政府と幣原外交 7 日華衝突、満州・上海事変 8 血塗られた祝賀会ー「隻脚記より」 9 外務次官の三年間 10 駐ソ大使として 11 霧のロンドンー「ロンドン日記」より 12 空襲 13 わが使命ついに失敗 本書は、時代の証言として貴重な記録である。 読んで驚いたのは、重光のタフな交渉ぶりであ る。日本が平和主義で纏まっていれば、良かっ たであろうが、陸軍は好き勝手やっている。お まけに、外務省内部でも、陸軍に策応する者が あり一枚岩ではない。 そんな中でも、相手国との相互理解を深め、日 本の国益を図る交渉をしなくてはいけない。 重光は誠にタフな交渉人であった。 歴史を知る上で、重要な証言であるし、これか ら、外交官を目指す人には必読の書であろう。
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