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生き神信仰 人を神に祀る習俗 の商品レビュー

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2010/07/23

民俗学かと思いきや、大林太良の『神話学入門』のような神話学に近い印象。フレイザーの『金枝篇』が大いに関係ある。 書題の通り、本邦における人を神として祀る習俗について論じている。扱っているのは、御霊・義民・賢君・賢臣を神として祀ることから始まって、天皇を祀るということ、そして新宗...

民俗学かと思いきや、大林太良の『神話学入門』のような神話学に近い印象。フレイザーの『金枝篇』が大いに関係ある。 書題の通り、本邦における人を神として祀る習俗について論じている。扱っているのは、御霊・義民・賢君・賢臣を神として祀ることから始まって、天皇を祀るということ、そして新宗教の信仰の構造まで論じている。 御霊や賢君賢臣、義民はそれほど目新しいことはなくて、注目すべきは天皇について論じた部分。天皇が遊幸した際に泊まった部屋や休んだ石などが地元で祀られている例がいくつもあるのだけれど、その例の中には、古来から伝承されていた神が天皇に取り換えられたものもあるという。太古の神よりも馴染みのある天皇に取り換えることで信者にわかりやすくして、信仰を継続させるあるいは強化していると論じる。 天皇は「人間宣言」まで現人神であったが、天皇即ち神というのは割と新しい解釈で、古来からの民衆の精神構造としては、現人神とは神が人間の形をとって現れているということを指した。更に現人神のその原型は、神を祭祀し神の代弁をする司祭が信者から尊崇されるうち神とほぼ同じく敬意を受けるに至ったということであり、天皇も元は天皇霊の司祭であったとする。現在も残る新嘗祭や大嘗祭は天皇の天皇霊への祭事であるとする。 ここら辺に『金枝篇』を思わせるダイナミックさを感じる。 神格が人間の姿をとって現れているのと、その人自身が神というのは、あまり違いがないようだが、自身を神だという新宗教の教祖がいる以上、それは確かに異なっている。 天皇について論じた後は神道十三派の新宗教について論じている。 神道十三派は国から認められた新宗教で、神道国教化政策で神道の組織に組み込まれたものである。国家神道を組織するにあたって、神道家の主張する教義と民衆の信仰し実行している実態がかけ離れていたために、神道家たちは在野の宗教者、特に山伏や修験者、行者に頼らざるを得なかった。神仏分離、廃仏毀釈から始まった神道国教化政策が、結局神道の信者を国家神道の組織に組み込むために神仏習合の行者らに頼らなければならなかったというのは皮肉であるし、神道のバリエーションの多さを物語っている。 神道十三派というのは、国家神道組織に組み込まれているだけであって、その実は新宗教である。いくつかは上から発生したものではなく、民間より発生したものである。民間霊能者が神がかりなどで新たな神格を発見し、そこに信者が集まっていった。民衆のニーズにより発生して拡大していったと言ってよいだろう。 山岳信仰から発展した御嶽教などは、厳粛な潔斎沐浴した者以外登山禁止であった御嶽を信者らを連れて登山を強行したところにその発生を持つなど実に生き生きとしている。 そして国家神道が見逃せない規模であったのは国家神道組織に組み入れんとしたところからもわかる。実際、国家神道側の神官たちも、自身が教祖であったり、新宗教教団と接近した者もいるので、新宗教が国家神道と別で、後に組み込まれたという単純な経緯ではない。 教派神道はこの後組織化や教理の体系化が進み、統合や分裂を経て現在に至る。 本書では論じられていないが、その間にはいくつかの戦争と敗戦があり、特に二次大戦の敗戦については、戦中の戦争協力について仏教もキリスト教もそれぞれの教派が反省や批判の弁をしていて、それらを追っていくのも非常に面白い。 上記の教派神道も敗戦については戦中の戦争協力についての何かしらのコメントは出しているはずだから、それらも大いに気になるところである。 現在のわれわれにも馴染みのある、賢君賢臣・義民・偉業を成した人間を神に祀った例から始まり、それらを踏まえて古代より天皇信仰というものがどう理屈づけられ、どう変遷してきたのかが語られる。民衆レベルでは遊幸・潜幸する天皇が神として祀られた。 天皇を現人神の代表例として、教祖が神とされた、あるいは天皇信仰と似た構造を持った新宗教について論じる、章の展開は読み物としても非常に面白い。 こうした大きな枠での論じ方は現在では難しくなっているが、だからといって無効ではない。こういった大きな枠での思考を頭に置きながらミクロの例を見ていくことが重要なのだ。

Posted byブクログ