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韓国・日本・大村収容所 の商品レビュー

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2012/06/24

大村収容所について知りたくて読んだけれど、大村収容所はメインじゃなかった。 「そこに入れられるにいたった私の話」がメインの手記。 日本に対する批判がほとんどない。どう考えても不当なことの中のわずかな救いに感謝さえしている。 そう書くしかなかったのか、あるいはストックホルム症候群...

大村収容所について知りたくて読んだけれど、大村収容所はメインじゃなかった。 「そこに入れられるにいたった私の話」がメインの手記。 日本に対する批判がほとんどない。どう考えても不当なことの中のわずかな救いに感謝さえしている。 そう書くしかなかったのか、あるいはストックホルム症候群にもみえる。 けれど、それよりは著者の関心がもっぱら韓国にある(批判するにせよ日本は二の次)ということが大きい。 朝鮮関係についてはその場の状況も当時の政治経済もわからないのでなんとも。自分の無知がもどかしい。 ただ、時代の空気を感じられることが貴重だ。 昭和57年の、日本の、経済的に恵まれた在日コリアンの、つまりはこの人固有の経験ではあるけれど、個人の経験というナマの時代の欠片の一端に触れられる。 たった30年前の話だ。 戦前でも戦後でもなく、カラーテレビでアイドルが踊る30年前に、刑期を「終えた」人を、それも特定の国の人だけを収容する施設が稼動していた。 親を収容されて、取り残された小学生のきょうだいが福祉の目を向けられずにふたりで暮らして、収容されている親は電話すらいれさせてもらえないなんてことが行われていたのがたった30年前だ。 理不尽を続けられたのは日本や朝鮮の、(収容される以外の人たちの)無関心があったからこそだ。 その無関心は今でも存続していて、私は大村収容所の存在を知らなかったしいつまであったのかさえ未だに知らない。 集団的なひどいこと、ジェノサイドやらなにやらは、敵に囲まれて味方は無力で頼りのホームに見過ごされ見放されたときに起こる。 大村収容所がアウシュビッツの知名度を得ずに済んだのは偶然にすぎないと思うしかないのが恐ろしい。

Posted byブクログ