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金縛りの歳月 の商品レビュー

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2012/04/14

 一昔前まで"近くて遠い国と言われていた韓国も、今では多くの観光客が訪れ、手軽な海外旅行地として人気があるという。  中でも、済州島は短期間の旅行ならビザもいらないということで、週末には観光客で賑わっている。  「帰途」は、雑誌「世界」一九八五年八月号に記載された作品で...

 一昔前まで"近くて遠い国と言われていた韓国も、今では多くの観光客が訪れ、手軽な海外旅行地として人気があるという。  中でも、済州島は短期間の旅行ならビザもいらないということで、週末には観光客で賑わっている。  「帰途」は、雑誌「世界」一九八五年八月号に記載された作品で、集英社の単行本「金縛りの歳月』に収められている。  あらすじは、在日朝鮮人で東京に住む「私」が、ある日、昔の恋人と瓜二つの女性に出会い、なつかしさの余り彼女を追う。三十余年前の恋人とは違うと理性的に分かってはいるものの、尾行せずにはいられなかった理由は…。  しかしその結果、「私」はチカン容疑で交番に連行される。普通なら口頭注意くらいで釈放されるのだろうが、主人公は在日朝鮮人。常時携帯を義務づけられている「外国人登録証」を家に忘れてきたため、留置場で一晩泊まることを余儀なくされる。前号で紹介した「ゴー・ストップ事件」と大きな違いだ。  「外国人登録証常時携帯義務、官憲の要求があれば提示せねばならない。忘れたりして不所持の場合は、現行犯連捕。従って、銭湯に行くにもトーロク証持参のわれわれというわけだ-、こいつはケーピョ(犬の鑑札)、そう、犬の首にこういう具合に吊るされている光る鑑札だ」  留置場に入れられた「私」は、敗戦直後、同じように留置場に泊まらされた青年時代の自分をダブらせていた。  二十歳の「私」は、大阪駅のH線連絡ホームで、恋人と会う固い約束をする。しかし、近藤真彦の「アンダルシアに憧れて」ではないが、事件に巻きこまれて行けなくなる。  事件とは、買い出しで捕まって連行されかけていた母子を助けようとして、公務執行妨害犯で捕まってしまったのだ。 〈ホームで待っててくれよ〉いくら留置場で叫んでも、結果的には約束を破ったこととなり、これが原因で彼女と別れるハメに…。  青春時代の苦い思い出を胸に翌日釈放された主人公は、彼女によく似た女性を見失った場所に舞い戻る。昔の自分を取り戻せるかのように…。  ブックセンターに入った主人公は、そこで焼身自殺した帰化大学生の「遺稿集」を読む。(作品の中には書いていないが、この遺稿集とは山村正明の『いのち燃えつきるとも』である)  「ぼくが九歳の少年でなかったら、国籍帰化を拒んだろう。父母はぼくたち子供の将来、進学、就職の不利を免れるためというが、ただそれだけで、自らの祖国を棄てることができたのか?」  金石範もまた、祖国のない民族の哀しみをつくづく味わい、そういう民族の小説を書きたいと思っていたという。  金石範は大阪生まれ。京都大学卒業後、鶴橋でしばらくホルモン焼きの屋台をやっていた。両親が済州島出身であり、彼の住んでいた生野区には、済州島出身者が多いことからか、小説のテーマは済州島動乱を扱ったものが多い。  第二次世界大戦直後に起こった済州島動乱(四・三事件)では、三万人近くの島の人々が死亡したという。金石範は、動乱の時の生き証人たちから、繰り返し繰り返しその模様を聞き、分厚い単行本三冊にもなる長編小説「火山島」を書き上げている。 日本に戻ってすぐの1948年、故郷の済州島では「済州島四・三事件」という弾圧・虐殺事件が起きる。これは、後の作品のモチーフとなっていく 1957年、『文藝首都』に「看守朴書房」「鴉の死」を発表する。しかし、このときは話題にならなかった。このころは朝鮮総連の組織と関係をたもっていたが、1967年、『鴉の死』の単行本出版を機に組織から離れる。 出版をきっかけに日本語での創作を中心にするようになり、1970年に書いた「万徳幽霊奇譚」で作家としての地位を確立する。済州島の事件をモチーフにした作品群は、風土性とも関連して、政治のありかたへの文学の立場からの意見となった。1976年から長期にわたって発表された『火山島』は、そうした作品として大きな位置をしめている。なお、同作品は1976年~1981年までの6年間「海嘯」というタイトルで『文學界』に連載され、のち「火山島」と名を変えた。 文学と政治とを切り離せないものとして考えることも彼の行動の基底にあり、金達寿たちとはじめた雑誌『季刊 三千里』も、金達寿たちが独裁政権時代の韓国への訪問したことを機に編集委員を辞任したことも、そうした立場と関連している。また、朝鮮籍を「北でも南でもない準統一国籍」と考えて便宜的に維持しつづけている一人である。数度に渡って韓国政府からの招請を拒んでいる。これも韓国籍の取得が入国条件だったためだった。1988年には民間団体の招待で朝鮮籍のままソウルと済州島を訪れた。李恢成の韓国国籍取得を批判し、論争に発展したこともあった。

Posted byブクログ