知覚の哲学 の商品レビュー
注釈が充実しているので読んでいておもしろい。 とくに「知覚世界とは」「正常とは」といったあたりの解説は読み応えがあってリピートしたくなる。 『行動の構造』『眼と精神』『見えるものと見えざるもの』なんかは一度ちゃんと読みたいと思えてくる。(読まない)
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原書名:CAUSERIES 1948(Merleau-Ponty,Maurice) 第1章 知覚的世界と科学の世界 第2章 知覚的世界の探索―空間 第3章 知覚的世界の探索―感知される事物 第4章 知覚的世界の探索―動物性 第5章 外部から見た人間 第6章 藝術と知覚...
原書名:CAUSERIES 1948(Merleau-Ponty,Maurice) 第1章 知覚的世界と科学の世界 第2章 知覚的世界の探索―空間 第3章 知覚的世界の探索―感知される事物 第4章 知覚的世界の探索―動物性 第5章 外部から見た人間 第6章 藝術と知覚的世界 第7章 古典世界と現代世界 訳:菅野盾樹
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ラジオ講演だけあって、メルロの主張自体は平易な文章で親しみが持てた。しかし私にとって面白かったのは訳者の注釈。豊潤な沃野のような知的フィールドといったところか。注釈を読んでいて楽しかった。もちろんすべてを理解できた訳ではないが、知的興奮を味わえる一冊。
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メルロ=ポンティが1948念にラジオで講演したものを一冊の本にしたもの。 日本語版では、本文よりも注のほうが圧倒的にページ数が多い。 本文でのノンブルは423ページとなっているが、 例えば、第1章はp.17~p.63だけどメルロ=ポンティ自身の文章はp.17~p.24だ。 ...
メルロ=ポンティが1948念にラジオで講演したものを一冊の本にしたもの。 日本語版では、本文よりも注のほうが圧倒的にページ数が多い。 本文でのノンブルは423ページとなっているが、 例えば、第1章はp.17~p.63だけどメルロ=ポンティ自身の文章はp.17~p.24だ。 大げさに宣伝しおいて、本番が始まったら誇大広告じゃんという感じのTVの番組と変わらないように思える。 訳注で、メルロ=ポンティのことを「メルロは~」「メルロの~」という(上から目線での記述)と、「メルロ=ポンティは」というあらためて論じようという記述が混淆しているのが読んでいて何だか気になった。 (訳者は愛着としての”メルロ”という使用なのだろうが・・・) こうした訳注が丁寧だと言うひとがいるかも知れないが、ある意味ではそれはその訳者の解釈の枠内でしかない。 現象学は、理念の衣を脱ぎ去ることから始まった。 だのに、この訳本では・・・ だから、メルロ=ポンティに馴染んでいる読者はそのような訳注などはすっとばして読むとよい。
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本書は、第二次世界大戦後(1948年)にフランス国民向けに国営放送で全国放送されたラジオ番組「フランス文化の時間」でのメルロ=ポンティの語りをまとめた著作の邦訳版である。英文では「The World of Perseption」という題で公開されていたが、邦訳が待たれていた。その...
本書は、第二次世界大戦後(1948年)にフランス国民向けに国営放送で全国放送されたラジオ番組「フランス文化の時間」でのメルロ=ポンティの語りをまとめた著作の邦訳版である。英文では「The World of Perseption」という題で公開されていたが、邦訳が待たれていた。その内容は全7章にわたり、メルロ=ポンティがラジオで語ったままの「肉声」として閲覧できる。それは広く国民に向けての語りであり、平易なことばで仕上げられている。しかし、その平易な言葉で語られる内容は、当時の(フランス国内だけでなく)哲学に対する痛烈な切り込みであり、またやがて開かれるであろう明らかなる未来に向けての自信に満ちあふれた宣言でもあるように読み取れる。訳者の菅野盾樹氏の解説も丁寧に書かれていて、メルロ=ポンティ初学者でも読み込みやすい。また、訳者のブログでの本書への記述「解説にかえて」も合わせて一読されることをお薦めする。http://d.hatena.ne.jp/namdoog/20110710 メルロ=ポンティの思想が一望できる稀有な一冊。
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メルロ=ポンティが、1948年にラジオで、毎週行った連続講演の記録。講演と言っても、各回それぞれ10分とか、その程度だったのだろうか。合計7回分のテクストは非常に薄い。内容は極めて明快で、彼の関心のありかを端的に訴えており、さながらメルロ=ポンティ入門のようだ。 この薄いテクスト...
メルロ=ポンティが、1948年にラジオで、毎週行った連続講演の記録。講演と言っても、各回それぞれ10分とか、その程度だったのだろうか。合計7回分のテクストは非常に薄い。内容は極めて明快で、彼の関心のありかを端的に訴えており、さながらメルロ=ポンティ入門のようだ。 この薄いテクストだけでは1冊の本としてはあまりに短すぎたのだろう。訳者の菅野盾樹氏は、各章のあとに、非常に詳細な注解を付している。 たとえば第1章のメルロ=ポンティによる本文は7ページしかないのに対して、第1章に関する注釈が38ページもある。著者によるテクストの5倍以上もの訳者の注釈によって、この文庫本は400ページに達している。 最初は「ずいぶん丁寧な訳者だなあ」と思っていたが、次第にあきれ、唖然とし、しまいには恐怖心すら抱くに至った。この注釈、厳密を期してか、親切を尽くしてか、あるいは単に饒舌なだけなのか。メルロ=ポンティとはもはやほど遠い事柄についても延々と語り尽くしている。全体としては、既にこれはメルロ=ポンティの著書とは言えない。ほとんど菅野盾樹氏の本と化している。 ここまで脱線しまくる注釈を見ると、ナボコフの『蒼白い炎』を思い出す。幸いあそこまで狂気じみてはいない・・・とはいえ、かなり近いものがある(笑)。しかも菅野氏自身の著作をことあるごとに宣伝するあたり、自我への粘着的な執着も見られる。・・・うーむ、この人は統合失調症に近いところまで来ているのではないだろうか。 それはさておき、メルロ=ポンティ自身のテクストについて言うと、短いながら、前述のように簡潔明快であり、絵画でいう「近代=遠近法秩序の世界」と「現代=セザンヌ以降の、より直接的な知覚のビジョン」との違いを指摘し、これをもって現代文化・哲学等の特色としている点、適切だと思う。 1948年という時点で、セザンヌばかりをしきりにとりあげているのはちょっと古い気もするが、モダニズムにとどまらず、ヌーヴォー・ロマンもまだ登場していなかった頃に現代文化のさらなる発展をも予見したかのような現表はさすがだと思う。 訳者の注釈は異常だが、本文は読む価値が高い。
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