常世の舟を漕ぎて 水俣病私史 の商品レビュー
父、兄弟を水俣病で亡くし、チッソへの賠償運動の先頭に立っていた著者が突如、申請を取り下げる。 「チッソは私である」と。 こんな人がいたのかと驚愕した。 ●この事件は人間の罪であり、その本質的責任は人間の存在にある。そしてこの責任が発生したのは「人が人を人と思わなくなった時」だ、と...
父、兄弟を水俣病で亡くし、チッソへの賠償運動の先頭に立っていた著者が突如、申請を取り下げる。 「チッソは私である」と。 こんな人がいたのかと驚愕した。 ●この事件は人間の罪であり、その本質的責任は人間の存在にある。そしてこの責任が発生したのは「人が人を人と思わなくなった時」だ、と。水俣病事件史が問うていたものは何かというと、つまるところ「自分」なんですね。 ●俺は、この土地が選ばれたんだとさえ思っている。
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原告団の上層部の人が訴訟を取り下げたという事実があったことを知って、読み始めた。もちろん水俣病に関することも書いてあるけれど、それよりも「許す」ことが本当に人間にできるのか、人間と他の「生命」(魚とか森とか海とか)のあり方、共生の仕方について考えさせられた。
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