みなも の商品レビュー
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一つの恋が終わった時、人はこんなにも荒れ狂うものなのだろうか。 不器用で意地っ張りの恋。とにかく苦い。 もっと素直になれればいいのだけれど、なかなかそうもいかないらしい。 恋しい人を追いかけようと手を伸ばしても思うように相手の心は掴めない。 想えば想うほど距離はどんどん離れ、道に迷い深みにはまる。 そして別れた後の引き摺り方がこれまた凄まじい。 けれど悲しみの底が見えたらきっと大丈夫。 周囲の人達の優しさが身にしみる。 詩のような静かな美しい文章が読み手の心を激しく抉るような連作短編。
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人の心の深いところに隠れている部分をうまく表現する人。 きっと千さんの前ではなにも隠せないと思う。
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あるものから次のものへと自由に話の対象が変わるので不意をつかれることがしばしばあった。ゆっくりと流れる空間で、流れに身を任せ、奔放かつきらきらしたことばを目で追うのが楽しく、それが他にはない魅力だと思う。 ひらがなの持つやわらかさが活きている。みずみずしい活字。 裁縫の糸や絹、少女の長い髪がなめらかに曲線美を描く様子を、波に例えても不思議ではない。
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『手のひらにのせられた、しかくい、水からあがったばかりのとうふに、ささやかな希望をゆだねるように。つくづく肉体というのは、こころを波風から守る。そう信頼させる、かたちをしている』-『うろこ』 石田千を読むには時間がいる。それは一つ一つの言葉にいくつもの意味がにじんでいるのが気に...
『手のひらにのせられた、しかくい、水からあがったばかりのとうふに、ささやかな希望をゆだねるように。つくづく肉体というのは、こころを波風から守る。そう信頼させる、かたちをしている』-『うろこ』 石田千を読むには時間がいる。それは一つ一つの言葉にいくつもの意味がにじんでいるのが気になって仕方がないから。一つの風景を見ながら、その象徴の向こう側に見ていたものが本当はなんだったのか、ついつい想像してしまう。意識は漂う。そんな風にして読書はどんどんゆっくりとしたものとなる。 一つの雑誌に連載したものをあつめたものであると知り、他の著書でも記されている病のことが、その時間の流れに重なる。本の前半に収められた文章の、言葉の流れの捉えどころのなさは、むしろ、作家の心身の丈夫さに裏打ちされた勢いであったのだ、と気付く。言葉のつぶてを投げつける、と自身が言うように、決してその音から印象されるような区切れたところがある訳ではないけれど、ぽんぽんと小気味よく、その少々陰鬱な言葉は身に迫る。言葉はこちらがわの手元に来て、ぽんとはじけてみせる。その中身が、本当は何であったのかを、痛いほどに解らせようと。 『眠るひとのかたわらにいると、死の育む磁場の強さがわかる。息たえだえのひとは、なんと大地に近いことか。生きて動ける状態は、はんたいにつねに迷い漂っている』-『しずく』 しかし病に伏したのちに記された「来光」という文章に、その言葉のえぐみはもはや、ない。語り口がそれほど変わったように見えはなしないが、開いてのぞいた言葉の内側に、湿ったようなものはなく、ただ乾いた言葉通りの意味が素直に響いている。作家の内側が一度すっかり洗い流され、よっていた皺のような心の襞もすっかりと伸ばされ、どんな形のものでも受け止められる状態が、そこにはある。そのことを意識してかせずしてか、作家はただ感じたものを言葉に直す。石田千を通して風景は、匂いは、風は、何色にも染まらずに言葉に換わるようだと、読むものに思わせる。 そんな真っ直ぐな言葉であっても、やはり石田千を読む速さが増すわけではない。打たれた句読点の毎に、ひと呼吸取られることが意識されてしまうからである。その一つの点で息を継がずに読み通すことを、よしとしない。作家と同じフレージングで文章は立ち上がる。病のことに知らず知らず意識が向かう。 そして「扉」。身体のことを思い封じていた気持ちの高まりが、ここでは再び解放されるさまが見える。ことばに辛辣さが見え隠れする。そのことで石田千の体力が随分と回復したことが垣間見える。 石田千の文章を読むうちに、全てのうつつは、多重の流れで成り立っているのだ、ということが見えてくる。例えば映画のフェードアウトのように、目の前でなされている会話に少しずつエコーがかかり、意識は別の映像へ漂っていく。しばしの後、焦点は再び会話に戻ってくる。そんな風に、人は誰しも、目の前にある風景をただそのものとして受け取っているだけではないのだろう。目のまえで展開する五感を刺激する全てのものから、気持ちが何か引き出され続けている筈なのに、ただそれを敢えて口にしたりしないだけなのだろう。逆説的に旅のことが直ぐに思い浮かぶ。旅は心を軽くする。見ているものが、ただ見ているものに見える。聞く言葉が、ただその言葉の意味するように聞こえる。その裏側は見てみぬふりができる。 そんな風に毎日を新しく受け止められたらば、さぞかし楽しいことだろう。しかし実際は、石田千が解きほぐしてみせた風景のように、世界は寝ている間もしがらみを引きずって流れている。そうやってしがらみを手放さずにいるのも自分であるのに、そのしがらみに絡め捕られて身動きのとれないままでいるのも、また自分なのだ。人の業は一筋縄では辿れない。 『夜の時計をひきとめれば、さきにいくらでものびていくのに、日がのぼると容赦なく区切られる。(中略)。使いみちがわからない時間が引きずり、もてあましたまま暮れる』-『楕円』
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みなもとはなんなんだろう。 生きていく毎日に大きくなったり、小さくなったり いろんなみなもが私たちをおそってくる。 そのたびあっぷあっぷしたり、まったく気がつかなかったり、、、。 神経質な自分、無神経な自分 わたしは何を感じて日々をすごしているのか。 漢字を自然に使ってしまう言葉...
みなもとはなんなんだろう。 生きていく毎日に大きくなったり、小さくなったり いろんなみなもが私たちをおそってくる。 そのたびあっぷあっぷしたり、まったく気がつかなかったり、、、。 神経質な自分、無神経な自分 わたしは何を感じて日々をすごしているのか。 漢字を自然に使ってしまう言葉がひらがなだったり、句読点の位置が 思わぬところにあったり、 今回も、一筋縄でいかない作品でした。
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ーーーここで、きれいなものを、知ったでしょうーーー 『月と菓子パン』が大好きなので、このひとがどんな小説を書くのか興味があった。 本書は、いつものエッセイよりセンチメンタルで、小説ほど虚構ではない。 そのアンバランスさが居心地悪かった。 おばあちゃんの死を連想する話は、じいちゃ...
ーーーここで、きれいなものを、知ったでしょうーーー 『月と菓子パン』が大好きなので、このひとがどんな小説を書くのか興味があった。 本書は、いつものエッセイよりセンチメンタルで、小説ほど虚構ではない。 そのアンバランスさが居心地悪かった。 おばあちゃんの死を連想する話は、じいちゃんの痰吸入を思いだして、かなしくなった。 そうゆうふうに、個人の記憶に入り込むのがうまい作家ではあると思う。 『あめりかむら』に期待します。
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なぜか読むのに疲れるのです。頭に入っていかないのだけれど、文章は味があるのです。 だからいつも読んでしまうのでした。
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エッセイと小説の中間のような中途半端さが最後まで気になって仕方がなかった。隠喩というか、抽象的表現が多くて以前のような瑞々しさが感じられないのは残念。
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4ヶ月かけて少しずつ読んだ。 近年の石田千さんの文章は私にとって、ひっかかりが多くて一度にたくさん読めない。 こう感じるのは千さんといしいしんじさんくらい。 そこが好き。
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2007年12月号から約二年間、雑誌「野性時代」に連載されてきた24編のエッセイをまとめたもの。 同じ「野性時代」連載から生まれたエッセイ集「部屋にて」に続く第二弾と言えそうだが、今回は著者本人を取り巻く環境のせいか、かなり自省的な内容となっているのが特徴だ。 感性に富んだ、...
2007年12月号から約二年間、雑誌「野性時代」に連載されてきた24編のエッセイをまとめたもの。 同じ「野性時代」連載から生まれたエッセイ集「部屋にて」に続く第二弾と言えそうだが、今回は著者本人を取り巻く環境のせいか、かなり自省的な内容となっているのが特徴だ。 感性に富んだ、著者らしい日本語表現は相変わらずだけれど、自分自身の心の中を覗き込む、まるで詩のような独白が身を削るかのようだ。 それは、この頃に病を得たせいなのか、あるいは道ならぬ恋に陥っていたせいなのかもしれない。いつになく突き詰めた印象で、人の生死に敏感になっているようだ。
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