デカルトの方法 の商品レビュー
冨田恭彦の『ロック哲学の隠された論理』(勁草書房)や『観念説の謎解き』(世界思想社)でロックやバークリの哲学について探求されたテーマを、デカルトの哲学において考察した本と言ってよいように思う。冨田は、ローティの議論に依拠しつつ、ロックやバークリの観念論が自然学的な背景から生まれ出...
冨田恭彦の『ロック哲学の隠された論理』(勁草書房)や『観念説の謎解き』(世界思想社)でロックやバークリの哲学について探求されたテーマを、デカルトの哲学において考察した本と言ってよいように思う。冨田は、ローティの議論に依拠しつつ、ロックやバークリの観念論が自然学的な背景から生まれ出たものであることを明らかにしたが、本書で著者がめざしているのは、デカルトの形而上学と自然哲学とのつながりを明らかにするとともに、セラーズの議論に依拠してデカルトの過剰な懐疑的方法が問題を含んだものであることを論じている。 著者はまず、デカルトの「観念」が自然学と形而上学の両面にわたって用いられていることを明らかにしている。自然学においては、「観念」は外的物体との関係における記号的な役割を果たすことが期待されていた。これに対して形而上学においては、「観念」は心の作用と外的物体の間に立つものという性格は見られず、むしろ思惟の様態として考えられている。しかしそれにも関わらず、形而上学においても「観念」には精神の外の事物を表現する「表現的実在性」(realitas objectiva)という性格を持つということが認められている。こうした「観念」の特徴づけは、自然学における「精神」「観念」「対象」(外的物体)という三項図式を前提としなければ成立しない。こうして著者は、デカルトの形而上学の背景に自然主義的な性格がひそんでいることを明るみに出そうとしている。 さらに著者は、デカルトの「分析」という方法に検討を加え、デカルトがコギトの確立から取り出してくる明証性の規則によっては、観念の表現的実在性を手がかりにしてデカルトがおこなった神の存在証明を十分には基礎づけることができないということを論じている。その上で、セラーズの知識論を紹介し、デカルトの方法的懐疑が、方法的懐疑を機能させている「理由や正当化の論理的空間」そのものを解体してしまうような問題を含んでいると批判している。
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今なにをなんのために説明しているのかが把握しやすい。重要な論点も的確に説明されている。論文ってこんな感じなのか~
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