侍とキリスト の商品レビュー
今まで隠れキリシタンの本部は読んだことがあったがスペイン人 が書いた ザビエルの 生涯 については初めて 読み 感銘を受けた。 もう一度 遠藤周作の沈黙が読みたい。
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スペイン人が書いた伝記。終盤の記述。改宗を拒んだキリシタンを打ち首にした朝、山口の領主に仕えていた祖父が実際に出会った南蛮宣教師伝道の草紙をこっそり読む柳沢吉保。異教自体は理解しかねるが、頑なに踏み絵を拒み、それが元で命を失わせる、それまでにして力を持つ物なのか、それにしても宣教...
スペイン人が書いた伝記。終盤の記述。改宗を拒んだキリシタンを打ち首にした朝、山口の領主に仕えていた祖父が実際に出会った南蛮宣教師伝道の草紙をこっそり読む柳沢吉保。異教自体は理解しかねるが、頑なに踏み絵を拒み、それが元で命を失わせる、それまでにして力を持つ物なのか、それにしても宣教師の不屈の精神よ、と思いながら書物を隠す。ていうか、どの神様も同じ浄土にいるじゃん? 全く吉保と同じ感想。教科書のイメージだとサラッと船乗ってきて拝謁して帰ったイメージだったけど、なかなか手作り感覚で布教をしていたのだった。
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スペインの人が書いたザビエルの日本での布教の物語。 やっぱり外国の人が日本を舞台にするって細かい考証が難しいよね…。大名に女中が茶を点てることはないし、三味線も弾かないと思う…。
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フランシスコザビエルの日本滞在中の様子をザビエルの遺した書簡を元に小説化したものです。 ザビエルのあと何人もの宣教師が日本を訪れることになるのですが、何事も最初というのは苦労が多い。 男色趣味が横行する寺院、火縄銃の入手に血眼な領主、貿易で儲けようとする承認たち。そして普通の日本人の人々。 よく調べてあるし、話も面白い。原題は大日 神を大日と訳して 布教し、後にそれが間違いであったことに気づき、おののくという話になっている。 思うに名詞で考えるから 翻訳に困るので 世界森羅万象を貫く普遍の原理とされるものとしておけばよいと思うのだが、ザビエルたちは苦労しています。 たった2年と少しの滞在で日本の文化に与えた影響は大きい。 関西や九州、中国地方の人の思考様式に与えた影響もはかりしれないのではないか。 当時 疫病、飢餓などは身近であったから、死後の運命を想像することはとても生活に大きな影響を及ぼしていたはずである。 面白かった。
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読了して表紙を見ると、とても感慨深い。内容ももちろんだが、この表紙もよく描かれたものだと思う。 筆者はジャーナリストとしての視点から日本と西洋の交わりを書いていて、偏っていない。苦難に直面しても全てを神の試練だと受け止める宣教師たちの不屈の精神が書かれている。布教活動に一喜一憂し...
読了して表紙を見ると、とても感慨深い。内容ももちろんだが、この表紙もよく描かれたものだと思う。 筆者はジャーナリストとしての視点から日本と西洋の交わりを書いていて、偏っていない。苦難に直面しても全てを神の試練だと受け止める宣教師たちの不屈の精神が書かれている。布教活動に一喜一憂しながら神への信仰の道を進んで行くザビエルらの姿が描かれており、信者が増えて喜ばしい時でも思うようにいかない時でもあくまでさらっと描かれていて、それほど深く苦悩を掘り下げている訳ではない。だかその中にロヨラへの思慕や二度と見ることのない故郷への思い、共に日本で長い旅と試練を乗り越えてきた仲間との別れの涙があって、物語を一貫してそんな宣教師たちの背中に哀愁を感じてしまう。
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フランシスコ・ザビエルの日本へのキリスト教宣教をスペイン人ジャーナリストが書いた小説。 当時の日本をみた外国人の話ということに興味があって、 以前イザベラ・バードの本をよんだりした。 この本にも似たような箇所がよく登場する。 日本の食事の簡素なこと、不衛生な場所があること、都市...
フランシスコ・ザビエルの日本へのキリスト教宣教をスペイン人ジャーナリストが書いた小説。 当時の日本をみた外国人の話ということに興味があって、 以前イザベラ・バードの本をよんだりした。 この本にも似たような箇所がよく登場する。 日本の食事の簡素なこと、不衛生な場所があること、都市が華やかで清潔であることなど。 そういう昔の日本を外国からきた人がどう見たのか、というのは なかなか興味深い。 それから、なんと言ってもこの本がザビエルが主人公として書かれていることが大の特徴で、 ザビエルが日本をどうとらえているか、 あるいは日本人にはわかりきった事柄の説明が本文中にあることなどが、スペイン人の情報種集をとおして伝わってくる。 そういうことに面白さを感じる。 また、今回わたしはクリスチャンという自分の立場もあったので、 当時の日本人の気持ちになって、このポルトガル人を不思議な思いで見つめることもできるし、 キリスト教をしっているので日本で八百万の神との出会い 、戸惑ったことへも理解ができる。 ザビエルの気持ちが届かなかったり、うまく説明できないことへの焦りを理解できるのと同時に、 日本文化のなかで当たり前とされていることをよそからきた人に頭ごなしに否定されることの不快さを 日本人という立場から感じることもできた。 小説を読むと、主人公に傾倒してしまいがちだけれど、 場面によって本を読んでいる自分の立ち位置が変わることが面白かった。
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フランシスコ・ザビエルといえば、「日本にキリスト教を広めにきた人」「ザビエルはげ」という、日本史の暗記の一コマと小学男子のしょーもない呼び名がまず頭に浮かんでしまう。 本書は、移動手段は帆船のみ、故郷との通信手段は商船などに託した手紙だけという時代にヨーロッパから遥か遠い極東の...
フランシスコ・ザビエルといえば、「日本にキリスト教を広めにきた人」「ザビエルはげ」という、日本史の暗記の一コマと小学男子のしょーもない呼び名がまず頭に浮かんでしまう。 本書は、移動手段は帆船のみ、故郷との通信手段は商船などに託した手紙だけという時代にヨーロッパから遥か遠い極東の地に赴いたスペイン人(ナバラ出身だからバスクと言う方が正しいか?)宣教師フランシスコ・ザビエルの日本滞在をスペインのジャーナリストが描いた小説。 聖人さまとしてのザビエルではなく、ちょっぴり癇癪持ちで猪突猛進的な性格の生身の人間のザビエルが、全く環境の異なる土地でキリスト教を広めようと悪戦苦闘する姿を描いている。 全く異なる環境、日本人の習慣に戸惑いつつ、キリスト教の教え-というよりは一神教の価値観-を神道や仏教になじんだ日本人にどう伝えるか。伝えることはできたのか。 その思想や文化を当時の日本の武士、僧侶、庶民、商人はどう受容し、かつ拒否したのか。「?」と思う表現もなきにしもあらずだったが、ザビエルの伝道の全体像を明らかにしてくれている。 クリスチャンではない日本人としては「どうしてそこまでして?」という疑問、どこからその情熱が来たのかという問いはあるのですが、それはまた別の書物に書かれているのでしょう。
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フランシスコ・ザビエルとは何者か? おバカな小学生男子に人気な、てっぺんハゲの西洋人? 極東にまで福音をもたらした、冒険的な宣教師? これらの面も、ザビエルにはある。だが、ザビエルの本当の姿は、まだ見えてこない。本書は、かのザビエルの日本における布教のさまを著した小説だ。作者はス...
フランシスコ・ザビエルとは何者か? おバカな小学生男子に人気な、てっぺんハゲの西洋人? 極東にまで福音をもたらした、冒険的な宣教師? これらの面も、ザビエルにはある。だが、ザビエルの本当の姿は、まだ見えてこない。本書は、かのザビエルの日本における布教のさまを著した小説だ。作者はスペイン人ジャーナリストだそうだ。ということは、客観的に事物を眺めるジャーナリストの目と、日本人を外から観察する「南蛮人」の目で書かれているということだ。今までとは違ったザビエルの面を知ることになるだろう。 飛行機も蒸気船も鉄道も地下ケーブルもない時代に、ヨーロッパから極東の島国までやってくるのは、それ自体が大きな挑戦だといえる。わざわざ自らそんなことをするのは、投機的な商人か、熱血的な宣教師くらいだろう。そう考えると、ザビエルは燃えるような信仰心の持ち主であるとわかる。本書のザビエル像は、まさにそういったザビエルだ。神に服し、師イグナチオ・デ・ロヨラを尊敬する、熱い宣教師。ちょっと融通の利かないところもある。癇癪もちでもある(やかん頭と言ってはいけませんよ)。ちょっとトボけた顔をしてる例の肖像画からは見えてこないザビエルだ! 戦国時代~江戸時代初期にかけて、西洋人宣教師が来日し、布教を行った。だが、宣教師たちや改宗者たちは弾圧を受け、海外に追放されたり、殉教したりした。そして、鎖国。このように日本にキリスト教が根付かなかったのは、歴史的事実である。 政治の面から見れば、権力者(武家・仏門)と反目したためであるといえる。だが、最初から敵対関係だったわけではない。お殿さまは鉄砲を所望だったし、お坊さんも領分を侵さない限りにおいて許していた。だが、科学技術をもたらさないうえに、一神教的な力強さを目の当たりにすると、見逃せなくなってしまうのである。 また、日本人の宗教事情もまた、キリスト教と合わないようだ。日本人の信仰(ゆるやかな神仏習合、つまり、多神教・祖先信仰や輪廻転生といった神道・仏教の思想と自然信仰のような土着的な信仰が混ざった、ハイブリットな信仰)が、まったくもってセム的一神教と合わない。分かりやすくするために、「神」を「大日」と訳し、「大日如来」とのアナロジーとして教えることもした。しかし、これは、キリスト教の思想「だけ」を日本人の信仰に組み込むだけの結果となってしまう(このあたりは、山本七平書店長の「日本教」論が詳しい)。 ザビエルもまた、この2つの大問題に苦しんだ。それでも倒れぬ不屈の宣教師。とてつもない漢である!これからはザビエルをてっぺんハゲの象徴みたいに言うのはやめます…。 日本人の信仰については、遠藤周作『侍』のほうが、より深い指摘をしている。こちらも興味深い。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
フランシスコ・ザビエル(昔、テストに”サンフランシスコ”って書いてた奴がいたな…)がキリスト教の布教という大望を抱いて日本を舞台に悪戦苦闘する話。 ザビエルたちヨーロッパ側の人間たちのディテールはよく描かれていて、逆に日本人が何だかよくわからない人たち。翻訳物だしなぁとも思ったけれど、ザビエルやヨーロッパの人たちからしたら、(中世のだけど)日本人はこんなふうに(ちんちくりんに)見えたのかも知れないな、と思うと新鮮でした。 よく調べられていて、時代を感じることが出来るのだけれど、物語としては今ひとつ。ヤマも低いしオチもなし。ストーリィ仕立てのレポートのような気がしました。
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1549年宣教師フランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を伝えたということは歴史の授業で誰もが学ぶことでしょう。しかし彼が半ば失意のうちに日本を離れたことを知る人はどれくらいいるのでしょう? 「侍とキリスト」は日本に造詣の深いスペイン人ジャーナリストによる、ザビエルの苦悩と奮闘の...
1549年宣教師フランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を伝えたということは歴史の授業で誰もが学ぶことでしょう。しかし彼が半ば失意のうちに日本を離れたことを知る人はどれくらいいるのでしょう? 「侍とキリスト」は日本に造詣の深いスペイン人ジャーナリストによる、ザビエルの苦悩と奮闘の物語です。言葉もよくわからない中、日本の風習や考え方にとまどいながらキリスト教を広めるため活動するザビエルたち。戦国大名島津貴久や僧侶たちとのやり取りは非常に興味深く、物語にぐいぐいと引き込まれ400ページ弱という分量を感じさせません。著者の姿勢もキリスト教を絶対視しないもので日本人にもすんなり読めるのですが、少し物足りなかったのは作中人物に「遠い国までわざわざどうして?」と言わせておきながら肝心のザビエルの布教への情熱の裏付けとなるような描写があまりなかったこと。スペイン人読者にはこれでいいかもしれませんが、日本人読者としては「どうしてわざわざ?」というのは大きな疑問だろうし、もう少し前半生を作り込むなどして説得力のある人物像になればもっとよかったのにと思いました。 日本の読者の中には内容の一部に不快感を覚える人もいるかもしれませんが、これが「小説」であること、著者がザビエルの書簡を参照して書いていること、及びその書簡の中でザビエルは日本人の高い教養や豊かな精神性を高く評価しつつも男色趣味や堕胎に関しては非常に強く非難していることが小説の展開にも影響しているのかもしれません。 親日家の著者だけあって日本の事物をスペイン人に紹介しようとするあまり、ディティールにもっと新しい時代ならともかく戦国時代ってこうだったかしら…と思うようなところがなきにしもあらずですが、そこはご愛敬。訳者あとがきにも「日本への愛着ゆえ、著者には日本の事物や習慣をできるだけもりこもうとする傾向がある」とあり、実際著者の了解を得て修正を加えた箇所もあるそうです。 山口晃氏によるカバー装画がすごくかっこよく、ザビエルと言えば教科書に載っているあの絵のイメージを見事にくつがえしてくれます(笑)
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