このようなやり方で300年の人生を生きていく あたいのルンルン沖縄 の商品レビュー
小川てつオさんの名を知ったのは、『We』160号のいちむらみさこさんのインタビューだったかな。都内の公園でテントで暮らし、「エノアール」(「絵のある」ということなのだろうが、このネーミングセンスに「メネデール」を思い浮かべる)というカフェをやってる人。その小川さんの兄がくびくびの...
小川てつオさんの名を知ったのは、『We』160号のいちむらみさこさんのインタビューだったかな。都内の公園でテントで暮らし、「エノアール」(「絵のある」ということなのだろうが、このネーミングセンスに「メネデール」を思い浮かべる)というカフェをやってる人。その小川さんの兄がくびくびのお一人・小川さんだというのも、どっかで読んだ気がする。 こないだ「すわりこみ映画祭」へ行ったときにもらったチラシの一つがキョートット出版のもので、ここに兄・小川さんが関わっていることを知る。いちむらさんの『Dearキクチさん、―ブルーテント村とチョコレート』を出しているところでもあるのだった。 チラシを見たら、読んでみたくなり、図書館にリクエストして借りてきた。本はヨソの図書館からの相貸でやってきた。 目次をめくった最初の見開きページが手書き(を印刷したもの)。え、全部手書きの本か?と思ったら、その次のページからはほぼワープロ打ちで、ところどころに手書きの文があり、たくさんの絵がはさまる。 1989 年(というのは平成でいうと1年)の暮れからの、3カ月にわたる沖縄ルンルン一人旅"日記"である。旅立ちの前に、沖縄で似顔絵描きをやるために、看板を用意したり(写実コース500円、ファッショナブルコース800円、アバンギャルドコース1000円)、表「営業中」、裏「準備中」の札を調達したりで時間をくい、乗るつもりの船に間に合うんかいなという時間に家を出て、案の定、船出の10分前に最寄り駅につき、そこからタクシーでめちゃくちゃぶっ飛ばして、もうタラップがあがろうとしている船にすべりこみで乗れたそうである。 さいごのほうまで読んで、この沖縄の旅は「持参した金に手をつけないで、金儲けをしてやっていく」と方針であったらしいとわかる。 日によっては「こんなに儲かるのか」と思う似顔絵描きも、時と場合によっては全然客が寄ってこず、あるいは客がついても、できた似顔絵をみて文句を言われたりしている。金儲けに似顔絵を描くほかに、てつオさんは、ほうぼうでスケッチをしていて、それを見ると、「写実」も「ファッショナブル」も「アバンギャルド」もいけそうなことがわかるが、この本にはいっている「似顔絵」(を思い出して描いた絵)は、ほとんどがアバンギャルドのように思われる。似顔絵の"似てる"というのを、写真にとったような方向から考える人にとっては、どこが似とんじゃあ!と思うかもしれない。 沖縄を移動しながら(本島と宮古と八重山をまわっているらしいが、沖縄未踏の私にはどこがどうなのかあまりわからず)、スケッチしたり、似顔絵描きをやったり。あちこちで、てつオさんはご飯を食べさせてもらっている。メシを食ったばかりのところへ、「ご飯を食べていけ」とじいさんやばあさんにいわれて、しにそうになりながら食べていたりもする。 ▼雨がふっている。 このような旅行をしていると、考え方が非常に単純になり、心の動きも、天気が大半を支配するようになる。 少しの晴れ間を利用してテントを干す。 (p.61) これは宮古での1月22日の日記。 八重山では、真っ赤なトレーナーを着たおっさんから 「今世紀最大の芸術家高木章至のドロドロ展」 というチラシを手渡され、てつオさんは絶対行こうと思う。 その高木さんの作品は、とにかく真っ赤っからしい。てつオさんはポスター貼りを手伝い、設営を手伝い、ドロドロ展がオープンしてからは、「ドロドロ展」のサンドイッチマン兼チラシ配り兼「ドロドロ」と叫ぶ人をやったそうだ。ドロドロ展には、中上健次が見にきていたと。 そして、巻末には、10年後、2001年の2月から4月まで2カ月にわたる「10年目の沖縄」旅行のことが数ページ書かれ、ドロドロこと高木さんが亡くなったことが書いてある。亡くなる寸前の日記を見せてもらったそうだ。そのメッセージはすごい。 てつオさんはあとがきにこう書いている。 ▼ この沖縄旅行を通じてぼくは、社会の肌合いの多様さを感じていた。人の顔が見えてきたのだ。ああ、全く似顔絵とは、人の顔を見るということだ。ぼくが無意識に選んだ「似顔絵」とは、ぼくの「社会」への踏み出し方だった。社会とは、人が作っているのだから、隙間やデコボコが常にあるし、一つの社会ではなく無数の社会がある。(p.132) ほとんど同い年のてつオさんの旅日記を読みながら、(私はこの頃、何してたっけなー)と考えたりした。
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