また終わるために の商品レビュー
言葉の瓦礫、というワードが浮かび上がってきた。読めば読むほど、ひとつの事実が生じるともうひとつの逆の事象が取りこぼされるということへの飽くなき嫉妬、とでもいおうか。欲張りでありながら、ミニマムにそのふたつを現したくて、掌握したくて、「また終わるために」始める。 ベケットのこのテク...
言葉の瓦礫、というワードが浮かび上がってきた。読めば読むほど、ひとつの事実が生じるともうひとつの逆の事象が取りこぼされるということへの飽くなき嫉妬、とでもいおうか。欲張りでありながら、ミニマムにそのふたつを現したくて、掌握したくて、「また終わるために」始める。 ベケットのこのテクストは、終わってしまうことへの予感でもなく、描写でもなく、奔流なのだろう。で、その奔流のまま建設しようとしているのではない、ベケットにとって、始まりは、常に既に「終わり」なのであるから。テクストは、定点をひとつ定めたら(前述の通り)ひとつ取りこぼすことへの、いわば世の理への嫉妬か?と疑ってしまうほど横溢している。言葉の瓦礫。この本は、まさにベケットの言葉の瓦礫であり、そこから「また終わるために」また、始まる。
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自分の中のたくさんの自分など分裂性に目をむける。「アイデンティティ」への渇望は単なる逃避、とのこと。 「頭はむきだし・・・」がすき。
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おれは生まれるまえからおりていた、そうにきまっている、ただ生まれないわけにはいかなかった、それがあいつだった、おれは内側にいた、おれはそう見ている、、、 「遠くに鳥が」では、さらに「おれたち」が出てくる。 『伴侶』ではさらに複数の自己へと分裂する、らしい。
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