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長崎 唐人屋敷の謎 の商品レビュー

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2018/11/01

唐人屋敷の建設 唐人屋敷の生活 長崎にやってきた唐船 唐船貿易の変遷 中国文化が持ち込まれた長崎 唐人屋敷の終焉 著者:横山宏章(1944-、山口県、中国史学者)"

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2014/10/04

[ 内容 ] 江戸時代の長崎に、唐人屋敷という中国ワールドがあった。 鎖国政策を実施した徳川幕府の貿易の中心は、出島よりもこの唐人屋敷だったのだ。 高い塀に囲まれた一画に、長崎奉行の厳しい監視のもと、多いときには二、三千人の中国人たちが暮らしていた。 彼らは貿易を通じて、様々なモ...

[ 内容 ] 江戸時代の長崎に、唐人屋敷という中国ワールドがあった。 鎖国政策を実施した徳川幕府の貿易の中心は、出島よりもこの唐人屋敷だったのだ。 高い塀に囲まれた一画に、長崎奉行の厳しい監視のもと、多いときには二、三千人の中国人たちが暮らしていた。 彼らは貿易を通じて、様々なモノや文化を日本にもたらした。 特別な役人や遊女だけが入ることができたという唐人屋敷とは、どのような世界だったのか。 残された史料や絵図をもとに、その実態を明らかにする。 [ 目次 ] 1 唐人屋敷の建設 2 唐人屋敷の生活 3 長崎にやってきた唐船 4 唐船貿易の変遷 5 中国文化が持ち込まれた長崎 6 唐人屋敷の終焉 [ 問題提起 ] [ 結論 ] [ コメント ] [ 読了した日 ]

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2013/12/28

長崎での対外交流ではあまり取り上げられない、中国との交流に焦点をあてた1冊。新書でもあまり見られない、Q&A方式による書き進めかた。なるほど唐人屋敷にかかる細かな事実は浮かび上がってくるが、全体的なロジックが少し甘いか。たとえば、日本史における位置づけ、時代的な変容など。...

長崎での対外交流ではあまり取り上げられない、中国との交流に焦点をあてた1冊。新書でもあまり見られない、Q&A方式による書き進めかた。なるほど唐人屋敷にかかる細かな事実は浮かび上がってくるが、全体的なロジックが少し甘いか。たとえば、日本史における位置づけ、時代的な変容など。巻末の「参考文献」はこの本の誠実さを示している。

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2013/06/24

出島以上に江戸期の貿易の主体でありながら、 忘れられた秘密の領域にタイムトリップ。 鎖国時代に存在した不思議な中国ワールド。 江戸時代、日本は鎖国されておりオランダ、 中国、朝鮮としか交流がなかった事は良く 知られている。オランダ人は出島に居住し、 李氏朝鮮からは朝...

出島以上に江戸期の貿易の主体でありながら、 忘れられた秘密の領域にタイムトリップ。 鎖国時代に存在した不思議な中国ワールド。 江戸時代、日本は鎖国されておりオランダ、 中国、朝鮮としか交流がなかった事は良く 知られている。オランダ人は出島に居住し、 李氏朝鮮からは朝鮮通信使が送られて来た。 では、中国とはどのように交流を持ったのだ ろうか。 本書では歴史に埋もれてしまった唐人屋敷に ついてQ&A方式により解説している本である。 タイトルにもあるとおり、長崎には唐人屋敷 なる唐人の居住区があり、わずか一万坪の狭 い屋敷であったという。唐人屋敷は元禄二年 の完成でありそれまでは、自由に長崎市中に 住む事が出来たというが、キリスト教の伝播 を防止することと密貿易を管理するために、 建設されることとなった。 元禄二年には、80隻の唐船が入港し、五千 人あまりの唐人が屋敷に入っていたという。 では、何を取引していたのか。 日本側は生糸、砂糖を輸入し、中国側へは銅 を輸出していたというのは意外でした。(中 国では銅銭の材料として銅を輸入する必要が あったとの事) 狭い屋敷地に押し込められた唐人が生き抜き として利用したのが丸山遊郭だったと言いま す。本書では遊女との交流も解説されていま す。 幕末には唐船の入港も少なくなり、開国とと もに唐人屋敷も役割を終えます。明治2年の 大火により屋敷が炎上して文字通り消え去っ た事も忘れられた一因かもしれません。 本書により対中貿易のウエイトの大きさを知 る事が出来たのは収穫でした。

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