江戸時代の古文書を読む の商品レビュー
近所の図書館の「新着コーナー」で何気なく手に取った本ですが、幕末から明治維新にかけての出来事を、記録に残っている古文書を読むことで、解説している本です。 実際の古文書が本に記載してあって、その文書に対する、読み下し文や解読文も載せてありました。また高校の時の書道の時に少し習っ...
近所の図書館の「新着コーナー」で何気なく手に取った本ですが、幕末から明治維新にかけての出来事を、記録に残っている古文書を読むことで、解説している本です。 実際の古文書が本に記載してあって、その文書に対する、読み下し文や解読文も載せてありました。また高校の時の書道の時に少し習った「変体仮名」についても、巻末に早わかり表として纏めてあったので興味深かったです。 また、天正から明治に至るまでのすべての元号が一覧になっているのですが、一つの元号が使用されているのは最高でも20年(寛永と享保が該当、天正、慶長が19年)ということに気づきました、この根拠についても今後興味を持ち続けたいです。 以下は気になったポイントです。 ・1867年10月の大政奉還により、朝廷から倒幕の密勅が出されていた薩摩と長州藩は、その意味を失ったので、朝廷はその実行停止を命じるほかはなかった(p5) ・幕府、摂政・関白制度を廃止して、太政官制(総裁・議定・参与の3職)が設置された、選任されたのは、皇族・公家+尾張・越前・安芸・土佐・薩摩の5藩(p5) ・戊辰戦争(1868年1月3日の鳥羽・伏見の戦いから、翌年5月の函館五稜郭の戦闘まで)は、当初、旧幕府軍と薩長軍の私闘的な様相であったが、翌日(4日)に議定の仁和寺宮喜彰親王が征討大将軍に就任し官軍として威容をしめした(p6) ・東北25藩による列藩同盟を結成して、北陸6藩も加わって、奥羽越列藩同盟となった、仙台・米沢・会津、庄内・盛岡も続いた(p8) ・三権分立にもどづいて、立法(議政官)、司法(刑法官)、行政(行政官等の5つ)となり、公家や諸侯は議政官の上局となり棚上げされた、行政官のもとに他の4官も監督下、地方官制では、旧幕府領に府・県をおいて、温存された藩を加えた、府藩県三治制が採用された(p9) ・東日本を治めるために、西の「京」に対して新たな「東の京」を設置して、その間を鉄道で結ぶという事実上の遷都論が示された(p9) ・廃藩置県は、旧来の藩制度を完全否定して、郡県制への移行を強行するという、王政復古に続くクーデター(p12) ・明治5年に定められた学制は、フランスの学区制度に学んで、全国を8つの大学区、各々の中を32中学区、その中を210の小学区にわけて、1つの学区に1つの小学校を設置するというもの(p13) ・明治4年に従来は無税の市街地に課税をはじめ、翌5年に、田畑永代売買禁止令が撤廃されて個人の土地所有が公認された(p14) ・明治5年に、従来の名主、庄屋といった村役人の呼称を、戸長、副戸長としたが、11月には大区小区制をひいて、大区に区長、小区には戸長、副戸長を置いた(p15) ・江戸開城に参加したのは、尾張藩のほかに、薩摩・長州・佐土原・大村・備前・肥後の兵により構成されていた(p39) ・徳川親族の御三卿のうち、田安・一橋の両家が藩に取り立てられた、清水家は当主がフランス在住のため藩になっていない、徳川家で養育できない旧幕臣を抱えさせるため(p68) ・議定に任じられた徳川慶勝(元尾張藩主)は、藩論を勤王に統一するとともに、三河・遠江・駿河・美濃・信濃など、東海道・中山道沿いの諸大名や旗本を勤王方につくように説得した(p105) ・明治5年11月にそれまでの太陰太陽暦からグレゴリオ太陽暦にかえることを布告して、明治5年12月3日を、明治6年1月1日とした(p109) ・天皇の権威を高める方策として、太陽暦への改暦と、国家祝祭日の制定(紀元節=神武天皇の即位日:2月11日、春季皇霊祭:3月21日ころ、秋季皇霊祭:9月23日ころ等)をした(p109) ・新政府は、幕府直轄領の接収を進めたときに、旧幕領を守るために、大坂・兵庫・京都・大津・長崎・横浜・佐渡・笠松・三河など12の市政裁判所を設けて、奉行所や代官所の機能を引き継いだ(p142) ・廃藩置県後の県の統合は、明治22年の3府43県で一応の収束をみた(p143) ・平均して1県あたり、44万石程度の規模で県域を構成することを目指した(p144) ・幕府や藩が担ってきた森林管理は、名目上は政府、実態としては各府県が担当するこになったが、明治11年から始まった官林の内務省直轄化により県へ委任が解かれた、新潟・岩手・熊本が最後で明治21年3月で完了(p146) 2011/8/13作成
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