作家の遊び方 の商品レビュー
加齢臭が年々酷くなってくる季節じゃなw ってな事で伊集院静の『作家の遊び方』 作家さんがどんな遊びをしているのか気になってw 内容は思った程…。 競輪、競馬、麻雀、カジノ…。 伊集院さんのギャンブル日記的な感じで。 久々にパラパラ読みしたけど、一行だけグッと来たお言葉が ...
加齢臭が年々酷くなってくる季節じゃなw ってな事で伊集院静の『作家の遊び方』 作家さんがどんな遊びをしているのか気になってw 内容は思った程…。 競輪、競馬、麻雀、カジノ…。 伊集院さんのギャンブル日記的な感じで。 久々にパラパラ読みしたけど、一行だけグッと来たお言葉が 『人は皆運命(さだめ)で世を去る。』 わしもそう思います。 2015年39冊目
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おどろいた。 ただの日記をこのようなタイトルにして出版されていたとは。 男の作法のような類とは違うのだよ。
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好きなことをやっていられる時など人生においてほとんどないのだから・・・。どういう職業に就いたにせよ、いつも楽しい仕事なんてのがあるわけはないのだから。 人が経験する辛さを自分もすることは後々大きなものを得る。 ヤンキースとレッドソックス戦のテレビ中継まで3時間くらいあるので灯りを...
好きなことをやっていられる時など人生においてほとんどないのだから・・・。どういう職業に就いたにせよ、いつも楽しい仕事なんてのがあるわけはないのだから。 人が経験する辛さを自分もすることは後々大きなものを得る。 ヤンキースとレッドソックス戦のテレビ中継まで3時間くらいあるので灯りを消して目を閉じた。
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競輪、競艇はやったこともない。競馬は経験程度、麻雀は牌を並べて上がることはできるが点数は数えられない。私は至極真面目な人間だ。本当に退屈な人間なのだとも言い換えることも出来るが。 そのため、競輪のくだりはまったくわからない。無頼という生き方は出来ないから、見ている分には面白いのだ...
競輪、競艇はやったこともない。競馬は経験程度、麻雀は牌を並べて上がることはできるが点数は数えられない。私は至極真面目な人間だ。本当に退屈な人間なのだとも言い換えることも出来るが。 そのため、競輪のくだりはまったくわからない。無頼という生き方は出来ないから、見ている分には面白いのだろうか。草食動物は肉食動物を怖れる半面、憧れているのではないだろうか。不意にそんな思いがした。そして、私も肉食動物に憧れ、なれなかったのだ、と。
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914.6 親しかった色川武大(阿佐田哲也)のこと、松井秀喜選手のこと、ギャンブルの話…週刊誌連載エッセイ
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題名から鑑みると作家の遊び方は「酒」「ギャンブル」「ゴルフ」ということになるのだが、みんながみんな、そうであるわけはないであろう。伊集院流の遊び方ですね。「甥っ子は誰にも迷惑をかけななければいいと言うが、この世に存在していることが何かしら他人に迷惑をかけている。まだわかるまいが。...
題名から鑑みると作家の遊び方は「酒」「ギャンブル」「ゴルフ」ということになるのだが、みんながみんな、そうであるわけはないであろう。伊集院流の遊び方ですね。「甥っ子は誰にも迷惑をかけななければいいと言うが、この世に存在していることが何かしら他人に迷惑をかけている。まだわかるまいが。」(P43)、「才能のあるプロの選手が、選手本来が持つ資質と能力を発揮できずに選手生活を終える原因はふたつしかない。ひとつはその選手が自分の選んだスポーツがいかなるものかを理解できなかった場合だ。そのスポーツをマスターし、なおかつ抜きん出る能力を体得するために必要な精神力、姿勢を学び、身に付けることができずに終わってしまう。・・・、もうひとつの原因、それは怪我、故障である」(P85)が気に入りました。
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ルーレットで当たりが来ないとき、 「自分の羅針盤の針を少しずらすことにした。」 という記述はいい。 何をするにも自分の中に羅針盤はある。 ギャンブルで羅針盤がないのに賭けていてもつまらない。 ただの運だめしになってしまう。 しかし、羅針盤があるとどうしてもそれ頼みになってしま...
ルーレットで当たりが来ないとき、 「自分の羅針盤の針を少しずらすことにした。」 という記述はいい。 何をするにも自分の中に羅針盤はある。 ギャンブルで羅針盤がないのに賭けていてもつまらない。 ただの運だめしになってしまう。 しかし、羅針盤があるとどうしてもそれ頼みになってしまう。 強みでもあり弱みでもある。 「どうもずれてるな」 と感じるときはだれでもあるが、そこでずらすのは至難の業。 ずらしたとたんに、羅針盤どおりに来たらフォームが狂うのではないか。 ずらして当たってもフォームが狂って最終的には負けるのではないか。 そういう不安があるから、大体は羅針盤どおりにやって負ける。 もちろん何がいいかわからない。 ずらしても、そのあと平然と戻せる強さがあればいいのだろう。 ずらさず負けても平然と受け止める心持があればいいのだろう。 今のところ、後者の道を選ぶことにしている。
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『遊びをせんとや生まれけむ。戯れせんとや生まれけむ』これを読みながらこんな言葉が頭の中をよぎりました。一度効率的、生産的。そういったものをすべて捨ててみて遊びほうける。そんなことをやりたくなります。 この本は週刊大衆に連載されているエッセイのうち、『遊び』に関するものだけを抜...
『遊びをせんとや生まれけむ。戯れせんとや生まれけむ』これを読みながらこんな言葉が頭の中をよぎりました。一度効率的、生産的。そういったものをすべて捨ててみて遊びほうける。そんなことをやりたくなります。 この本は週刊大衆に連載されているエッセイのうち、『遊び』に関するものだけを抜き出して、再構成したエッセイ集です。すでに一度読んだはずなのに、何回読んでも、この人の人生は味わい深いものがあります。特に、筋金入りといわれる競輪を始めとするギャンブルの中に伊集院先生の見出す人生の悲哀が切なく、そしてまた愛おしく、僕の胸に漣のように寄せては引いていきます。現代の世の中で、こういう人は本当に生きづらいと思います。 その中でも妻である女優の篠ひろ子や飼っている犬との遣り取りは非常にコミカルで、何度も吹き出してしまいました。旅、酒、そしてギャンブルという典型的な無頼の日常の中に、きらりと光る品のよさ。こういう文章をかける人間は、僕の知る限りだと、伊集院静と白川道の両先生だけではないのでしょうか? そして最近、20代も後半の人間を男子や女子と呼ぶ風潮がありますけれど、僕はそれでエエんかいな?疑問が頭を離れません。もし、僕と同じような疑問をもたれているという方は、どうかこの本を手に取っていただいて、『オトナの男』とはどういうものであるかを伊集院先生とから学んでみませんか?
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文春時代のエッセイはよく読んでいたが、この週刊大衆のは半分以上が競輪の話で、内容的にはかなり偏向している。最近、大人の流儀(未読)でファンが増えているようだが、新しいファンにはちょっと抵抗があるのかも。文春・現代・大衆で内容的にも変えているんでしょう。(というか、編集者が変えてる...
文春時代のエッセイはよく読んでいたが、この週刊大衆のは半分以上が競輪の話で、内容的にはかなり偏向している。最近、大人の流儀(未読)でファンが増えているようだが、新しいファンにはちょっと抵抗があるのかも。文春・現代・大衆で内容的にも変えているんでしょう。(というか、編集者が変えてるんでしょうけど。)でも、伊集院という作家は昔からこういう感じだから、ある種の妄想は打破してくれるのかと。
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● 甥っ子は誰にも迷惑をかけなければいいと言うが、この世に存在していることが何かしら他人に迷惑をかけている。まだわかるまいが。 ● それにしても引退は早過ぎる。競馬は次代の馬の育成のためにあるのではなく興行すなわちレースを楽しむファンの馬券の金で成立している。そこを間違えている...
● 甥っ子は誰にも迷惑をかけなければいいと言うが、この世に存在していることが何かしら他人に迷惑をかけている。まだわかるまいが。 ● それにしても引退は早過ぎる。競馬は次代の馬の育成のためにあるのではなく興行すなわちレースを楽しむファンの馬券の金で成立している。そこを間違えている。生産者の傲りだ。 ● ギャンブルは他人にいいところを見せようとしたら必ずやられます。 ● 努力すれば何事もなるという発想はかなりいい加減なんじゃないかということだ。根拠が何もない気がする。努力したり、懸命に物事をすることに依存しているのと違うんだろうか。
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