復興の道なかばで の商品レビュー
覚書 職務中に被災して勤務続けた者をもっともリスク高い者として交代休息 ほっと一息ついたときも心臓の危機 過労の直後に休むときが最も危ない 徐々に力を抜くべき 高齢者とともに被災救援者もハイリスク 災害に弱かったのはアルコール症と薬物嗜癖 記憶は楽しい6割、悲しい1割、どちらでも...
覚書 職務中に被災して勤務続けた者をもっともリスク高い者として交代休息 ほっと一息ついたときも心臓の危機 過労の直後に休むときが最も危ない 徐々に力を抜くべき 高齢者とともに被災救援者もハイリスク 災害に弱かったのはアルコール症と薬物嗜癖 記憶は楽しい6割、悲しい1割、どちらでもない3割という比率で整理されるのが健康の条件 被災地周辺は被災地の負担を肩代わりせざるを得ない 米国では精神科の部長は患者をみずにスタッフの精神衛生をかんがえておればいい 情報は時遅れになる 補完するのは想像力 第一段階 とにかくそばにいてくれること 第二段階 体験のわかちあい 第三段階 生活再建 被災していない元気な人達が「いること」「いてくれること」
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阪神大震災から1年。だが、あれから避難所で生活していた人たちは、ボランティアはどうなったのだろう。被災民への補償は、今後の地震対策は、町の復興は?ひとりの精神科医が見つめ続けた神戸の記録です。 この本は精神科医の見た阪神・淡路大震災から一年後の神戸市の様子を記録したものです。...
阪神大震災から1年。だが、あれから避難所で生活していた人たちは、ボランティアはどうなったのだろう。被災民への補償は、今後の地震対策は、町の復興は?ひとりの精神科医が見つめ続けた神戸の記録です。 この本は精神科医の見た阪神・淡路大震災から一年後の神戸市の様子を記録したものです。残念ながら、読み物として読んだときには前に読んだ『災害が本当におそった時』の方が印象に強く残っているかも知れません。 それでも、あれだけの惨禍から蘇った神戸市の立ち直っていく過程には、色々と学ぶべきことは多いと思い、ここに紹介します。震災後には、心に傷をおった人や、もともと酒を飲む人がさらに酒を飲んだりして、アルコール依存症の人が増えた、もしくはまったく酒を飲まなくなった、という話しは印象深く残っています。 阪神・淡路大震災からもうかなりの長い月日が経ったとは思うんですけれど、今回こうしてまた災害が起こってしまったことには本当に悲痛です。この本を読んだことで何がどう解決するのか?また、自分の中で何が変わったのか?それとも、何も変わらなかったのか?あてどもない疑問を延々と繰り返しながら、こんな、愚にもつかないことを書いています。この本の感想はいうまでもなく、それぞれが感じてくれれば…。そんなことを考えています。
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精神科医である中井久夫氏著の「復興の道なかばで―阪神淡路大震災一年の記録」(みすず書房)を読みました。阪神淡路大震災において、心のケアに携わった精神科医がみた被災地の記録です。 本書は阪神淡路大震災からの1年間の節目ごとに書かれた中井久夫氏の記録(エッセイ)をまとめたものです。...
精神科医である中井久夫氏著の「復興の道なかばで―阪神淡路大震災一年の記録」(みすず書房)を読みました。阪神淡路大震災において、心のケアに携わった精神科医がみた被災地の記録です。 本書は阪神淡路大震災からの1年間の節目ごとに書かれた中井久夫氏の記録(エッセイ)をまとめたものです。それぞれ掲載先が違うことから、内容がダブル部分もありますが複数出てくる内容は重要なことだと言えると思います。 現在進行形である東日本大震災における被災地で直面しつつある問題について経過時期ごとに参考になる内容であり、是非被災地で共有して欲しいと思いました。 http://muragon.boo.jp/blog1/2011/06/19_2215.html
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「世の初めから隠されていること」という、タイトルがとても印象的な本がある。残念ながら僕にはその内容はやや難解すぎて「読めた」とは言えない本なのだが、たしかに僕たちの生きている世界には、注意深く「隠されていること」が多くあり、その「隠されている」こと自体が「暴力」なのだろう。そんな...
「世の初めから隠されていること」という、タイトルがとても印象的な本がある。残念ながら僕にはその内容はやや難解すぎて「読めた」とは言えない本なのだが、たしかに僕たちの生きている世界には、注意深く「隠されていること」が多くあり、その「隠されている」こと自体が「暴力」なのだろう。そんなことを示唆するタイトルだ。 中井久夫「復興の道なかばで」は、その言葉を思い起こさせる本だった。これは、阪神淡路大震災(1995年1月)後の一年の記録をまとめた「昨日のごとく」(1996年9月刊)から複数のエッセイを抄録した本である。阪神淡路大震災の後、一年を経て、どれだけ当時の僕が神戸のことを忘れ、「自分の目に見えない場所」に隠そうとしていたか、この本を読むと痛感させられる。 個人的なことを言えば、ちょうどあの時の僕は、東京に住む高校生だった。地震の翌日は刻一刻と死者数が増えて行くテレビのテロップを息を殺す思いで見て、その後も新聞記事にも注意深く目を通し、自分に何ができるかを考えていたが、次第にその関心は薄れていった。ちょうどオウム真理教の地下鉄サリン事件という、地震以上に「劇的な」事件が起きたせいもある。少なくとも東京圏の人々の関心は、僕と似たようなものだったのではないか。 その「関心が薄れて行った後」の神戸で、何が起きていたのか。精神科医という筆者の視点から書かれているのが本書である。さすがに名文家として知られる筆者によるものであり、文章は読みやすく、かつ情緒にも流れていない。震災直後から数カ月の期間での人々の心の動きが、丁寧に描かれている。それだけに、それらの出来事がまるで「ニュース」にならず、当時の僕の関心も惹かなかった点に衝撃を覚える。 思えば2011年3月の北関東・東北大震災とその後の原発問題ほど、僕に次のようなことを強く意識させる出来事はなかった。僕たちの社会は、少なくとも僕は、自分に都合の悪い/居心地の悪い問題を、遠い場所にいる他者に押しつけ、注意深く目につかないようにして成り立っている、と。恥ずかしながら、原発の東京と福島の不均衡な関係は、日々その電力を使っている僕にはまるで意識されていなかった。 おそらく僕だけでなく、東京の多くの人にとって、福島とはそういう他者なのではないか、とも思う。今や震災当初の衝撃と問題意識が薄れつつあり、放射能も含めて全て「なかったこと」にして、これまでどおりの快適で不安のない生活を維持したい。大義名分はいくらでもある――そんな意識が、少なくとも僕個人の中では芽生えつつあるのを感じる。あなたはどうだろう。 おそらく、阪神淡路大震災の時も、次第に当事者を除いた世間の関心は薄れていったのだろう。。この本の元となった「昨日のごとく」は阪神淡路大震災後一年を経て刊行されたものの「ほとんどと言ってよいくらい捌けなかった」そうであり、そのような事情が書かれた「あとがき」には、あわせて筆者の次のような言葉が書かれていた。 「「震災後」というものがありうるのか。ありうるとしてもかなり先であり…震災後といえないまま、そのうち、日々の暮らしのほうが優先されて、なしくずみに元の木阿彌に近づく時期がくるのかもしれない。」(p170) それは「仕方ないこと」なのだろうか。確実に言えることは、僕たちがそういう言葉で自分を「納得」させ「満足」させている裏で、それによって「なかったことにされている現実の苦しみ」「目を背けられている被害」があることは間違いない、ということだ。
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