プロジェクト写楽 の商品レビュー
写楽はいち個人ではなく、プロジェクトであった、という立場からの写楽論。 本書の圧巻は、写楽があたかも役者をマンガキャラクターのごとく定型化して描き、それが大量の浮世絵の制作を可能にした、という見方である。図版を伴うその説明は一定の説得力がある。 ただ、写楽とは誰だったのか、と...
写楽はいち個人ではなく、プロジェクトであった、という立場からの写楽論。 本書の圧巻は、写楽があたかも役者をマンガキャラクターのごとく定型化して描き、それが大量の浮世絵の制作を可能にした、という見方である。図版を伴うその説明は一定の説得力がある。 ただ、写楽とは誰だったのか、という核心であるところの論証においては、どうも筆が上滑りしている感が否めない。 阿波の能役者・斉藤十郎兵衛が写楽である、という点は最近定説化した話しに沿って本書も認めている。しかし、写楽というものが「プロジェクト」=近代画家としての個人の作品ではなく、集団による制作、と考える立場にあることから、新説を展開している。 例えば先日のNHKスペシャルでは、写楽の真筆に見られるたどたどしいぶつ切れの線から写楽別人説のうちの「歌麿=写楽」という考えを真っ向から否定していたが、本書で歌麿の関与を語っている。蔦屋重三郎を版元とする同時代の歌麿の能力を、使わなかったはずがない、という見方である。 飛躍も見られ、その点は感心しない。が、われわれは得てして現代の感覚で都合良く自分に引き寄せて歴史を考えてしまう。そんな悪癖が戒められるようには思う。つまり個人の作家性で芸術を評価しがちな現代の目からは写楽は当然一人の自立した人間であると捉えるわけだが(その結果あまたの写楽別人説が生まれた)、そうではなかったという可能性(つまり集団プロジェクトだった)を検討することで、ものごとがより合理的に考えられる可能性を示唆する。
Posted by
- 1