ブラームス「音楽の森」へ の商品レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
ブラームスを好きになったのは”ひのまどか”著の伝記を読んで以来だと思う。それ以前に交響曲全集のCDを市立図書館から借りてきて聞いてはみたものの、なんだか重苦しそうな音楽だな、という印象しか持てなかった。しかし、その伝記を読んで、ブラームスの人柄を少しでも知るようになってからは、少しひいき目にこの作曲家の曲を聴くようになって、いまでは好きな作曲家となっている。音楽室の壁に貼られた肖像画では怖そうで寡黙な老人のイメージしかなかったが、伝記や本書を通じて生い立ちや人生の歩みを追体験すると、人間ブラームスの魅力に惹かれるようになり、作品の理解も少しは出来るようになってきたように思う。 この本を読んでいるいる人は、かなりブラームスに興味がある人だと思うけど、音楽そのものを聴くことにその作曲家の生い立ちや曲の生まれた背景を知ることで、よりその作品を理解する(した気になっているだけ?)ことが出来るのだと感じる。決して、派手な作曲家ではないが、内なる熱い思いが作品を通して感じられることや、重厚な交響曲だけではなく、民族音楽などにも関心をもち、それらの曲も妥協せず作り続けている姿勢が、共感できる。
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「名作曲家・ブラームスの『ハンガリー舞曲集』が生まれた経緯」 「ハンガリー舞曲第5番」というタイトルに見覚えはありませんでしょうか。ピアノを習うと必ず通る道。そうでないかたも、一度クラシック音楽の道に足を踏み入れると、やはり通る道。タイトルに見覚えがなくとも、耳にすれば「この曲...
「名作曲家・ブラームスの『ハンガリー舞曲集』が生まれた経緯」 「ハンガリー舞曲第5番」というタイトルに見覚えはありませんでしょうか。ピアノを習うと必ず通る道。そうでないかたも、一度クラシック音楽の道に足を踏み入れると、やはり通る道。タイトルに見覚えがなくとも、耳にすれば「この曲は……!」と知っておられるかたも多いはず。 どことなくせつなさを醸し出すこの曲の旋律は、多くのかたの支持を得て現在も世界中で奏でられていますが、この曲、実は“いわく”付きなんです。ご存じでした? 今回はその“いわく”の内容について、少しお話をいたしましょう。作曲したのは、ドイツの作曲家でピアニスト、指揮者でもあったヨハネス・ブラームス(1833-1897)です。 * * * 情熱的で哀愁を帯びた曲がずらりと並ぶ≪ハンガリー舞曲集≫。全部で21曲から成るこの曲集は、≪ワルツ集≫同様もともと連弾用に書かれ、4集に分けて出版されました。 タイトルに「ハンガリー」と付いているのは、この曲集に、当時のハンガリー領にその多くが住んでいたロマ民族の音楽(ジプシー音楽)の特徴が取り入れられているからで、この頃ハンガリーと二重帝国を築いたオーストリアでは、それまで他国で排斥されがちだったロマ民族を受け入れる政策をとり、彼らを「新ハンガリー人」と呼んでいたのです。 そもそもブラームスがロマの音楽と出合ったのは、ハンガリー出身のヴァイオリニスト、レメーニがきっかけでした。以来ロマ音楽の旋律を聴く度、メモに書き留めるようになったのです。もっとも、ブラームスは民族音楽だけでなく、かねてから民謡にも深い関心を持っていました。(中略) 今や≪ドイツ・レクイエム≫で、作曲家として名声と不動の地位を築いたブラームス。が、さらに同じ年(1868年)、この≪ハンガリー舞曲集≫の第1集と第2集で、その名がより広く世に知れ渡るようになります。(中略) ブラームスの生活もようやく安定し、作曲だけで生計が立てられるようになりました。当時は著作権のシステムが確立し始めた時代。それまで作曲家は、楽譜を出版しても最初の契約時以外報酬を保証されていませんでしたが、ブラームスの時代になり、作曲家はようやく自分の著作に対し、正当な報酬を主張することができるようになったのです。 もっとも、そんなブラームスの成功に横やりを入れる人物もいました。かつてブラームスにロマ音楽を聴かせた当の本人レメーニが、≪ハンガリー舞曲集≫にはそれぞれ原曲があり、ブラームスはその旋律を盗用していると抗議したのです。 この問題は後に裁判沙汰にもなりますが、もともとブラームスがこの作品集を編曲として発表し、作品番号を付けていなかったことから、ブラームス側の勝訴に終わります。 ~『ブラームス「音楽の森」へ』より * * * ブラームスが作曲家として名を成すまでには、長い長い苦悩を抱えた年月が必要でした。しかしひとたび成功すると、数々の名曲を世に送り出していくようになります。そんな彼の根底にあったのは、“自らが理想とする音楽”への揺らぐことのない情熱。 ベートーベンの系譜を継ぐ音楽性を表現しながらも、「ハンガリー舞曲集」のような民俗音楽に基づく作品でもその思いの丈を表したブラームスは、この舞曲集をもって音楽家として確かな道を歩み始めたのです――。 「知ってる、あの曲でしょ!」と思い浮かぶあの一節(ひとふし)。それが心に残っているのは、ブラームスの人生を駆けたそのすべてを、聞いた人の心が受け取ったからこそのもの。私たちは、知らぬ間にブラームスの思いを受け取っていたようです。
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