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災害がほんとうに襲った時 の商品レビュー

4.3

16件のお客様レビュー

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2018/11/05

東日本大震災を受けて復刊。最相葉月の勧めによるものと。阪神大震災時のエピソードは他のエッセイでも触れられているので、なんとなくイメージはついていた。わりと後方支援に徹していた様子で、なかなかこういうやり方はやろうと思っても難しいだろう。著者自身も「旗艦先頭」の美学がないわけではな...

東日本大震災を受けて復刊。最相葉月の勧めによるものと。阪神大震災時のエピソードは他のエッセイでも触れられているので、なんとなくイメージはついていた。わりと後方支援に徹していた様子で、なかなかこういうやり方はやろうと思っても難しいだろう。著者自身も「旗艦先頭」の美学がないわけではないと言っているくらいだし。 構成を考えたりせずに一気に書いているものだけに(でも著者の文書はそういうのが多い?)要約が難しい。しかし、その場の雰囲気は伝わる。

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2016/08/18

再読。 本棚に登録されていなかったことにびっくり。 出版直後に読んだはずなのに、何でだろう?? 熊本地震の直後に読もうと思いながら手許に置きつつ、読めたのは今でした。地震の後しばらくの間、文章がうまく読めませんでした。読み始めたら一気に最後まで。随所に思いやりを感じて、あたたか...

再読。 本棚に登録されていなかったことにびっくり。 出版直後に読んだはずなのに、何でだろう?? 熊本地震の直後に読もうと思いながら手許に置きつつ、読めたのは今でした。地震の後しばらくの間、文章がうまく読めませんでした。読み始めたら一気に最後まで。随所に思いやりを感じて、あたたかく胸に響く記録でした。 「すべての危機にあっては、手持ちの知識と経験と知恵だけで勝負しなければならない」 という本書の言葉に心から納得しました。

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2014/07/31

こういうのも読んでおかねばならないかなと思って買ってみた。 しかし、内部向けに書かれた文章とあって、日記的色彩がかなり強い。 阪神時の病院の様子を知るには良いけど、一個人が今後の参考として読むような種類の本では無かった。一般人向けという感じでも無いし…ターゲットが難しそう。

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2013/08/26

「総じて、役所の中でも、法律を墨守する者と現場のニーズに応えようとする者との暗闘があった」(p.49) ・平時において法を遵守することは極めて常識的な事柄に属するが、危急の事態においてはこの「常識」がいかに足手まといとなることか。それよりも、その場その場で最優先課題をしっかり見...

「総じて、役所の中でも、法律を墨守する者と現場のニーズに応えようとする者との暗闘があった」(p.49) ・平時において法を遵守することは極めて常識的な事柄に属するが、危急の事態においてはこの「常識」がいかに足手まといとなることか。それよりも、その場その場で最優先課題をしっかり見定め、その解決のためには法の目をくぐることすら厭わなかった者のほうが結果的に多くの人々を救ったのである。「有効なことをなしえたものは、すべて、自分でその時点で最良と思う行動を自己の責任において行ったものであった」(p.41)。そして、「災害においては柔かい頭はますます柔かく、硬い頭はますます硬くなることが一般原則なのであろう」(p.78)。 ・阪神大震災後、貨幣経済の崩壊とともに共同体感情が生まれ、そして貨幣経済の復活にやや遅れて共同体感情が消滅したという。この両者の関連性についての仮説は実に興味深い。3.11後のいわゆる「絆」の発生と消滅についても似たようなプロセスが見られたことを思い出した。 ・「総じて、内部からみた外部と外部からみた内部とが次第に別ものになってゆく。これが時間がたつにつれて起こるもっとも大きな食い違いかもしれない」(p.134)。この認識の自覚は、3.11後を語る者にとって、他のあらゆる認識に先立つべきものだ。

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2013/07/09
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

東日本大震災に関係する小話。独り言みたい。 「有害でないのならやって悪いことはないだろう」 デフリーフィングとはなんだろうか。 ドゴール「状況がすべてである」 「何ができるかを考えてそれをなせ」 黄色い花を飾った。 放置されている違法は黙認されているとみなされる。 後半は神戸人最高!の話。

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2012/11/08

終わり部分にある筆者の急性ストレス障害に関する記述が一番気になった。たんたんとした記述だが、現実には相当堪えたものがあったのだ。 ・デブリーフィーング ・フクシマ・フィフティズは架空なのでは? ・「状況が全てである」というドゴールの言葉 ・神戸のホームレス受容 ・取材のヘリコプ...

終わり部分にある筆者の急性ストレス障害に関する記述が一番気になった。たんたんとした記述だが、現実には相当堪えたものがあったのだ。 ・デブリーフィーング ・フクシマ・フィフティズは架空なのでは? ・「状況が全てである」というドゴールの言葉 ・神戸のホームレス受容 ・取材のヘリコプターに対する過敏、憎悪 ・人間は燃え尽きないために、どこかで正当に認知される必要がある。 ・弱音を吐けない立場の人は後で障害が出る。 ・全財産を無くしても感謝の気持ちは伝えたい。

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2012/09/19

 17年前、大阪の実家で阪神淡路大震災に遭った。昨年、結婚して転居してきた千葉で東日本大震災に遭った。東日本では、1晩ながら避難所で過ごすということも経験した。  家に帰ってテレビに映し出される画像が、阪神淡路のときの街の様子と重なり、しばらくの間息をするのも苦しくなったことがあ...

 17年前、大阪の実家で阪神淡路大震災に遭った。昨年、結婚して転居してきた千葉で東日本大震災に遭った。東日本では、1晩ながら避難所で過ごすということも経験した。  家に帰ってテレビに映し出される画像が、阪神淡路のときの街の様子と重なり、しばらくの間息をするのも苦しくなったことがあった。そんなころ、この本とめぐり会った。  少しずつ読んでいく中で、いつも中井先生の文章で感心させられる観察眼、冷静な記述に、読みながら自分の中で起きていることを整理し、落ち着くことができた。  阪神淡路大震災の際の医療現場の記録しても貴重なものである。

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2012/03/17

中井久夫が阪神大震災時後に書いた『1995年1月・神戸』は、昨年の3月の大震災後に、まずネットで無償公開された(そのきっかけとなったのは最相葉月さんで、東京の住まいで落下した本のなかにこの本があり、これはいま役に立つと判断したことだという)。 その後、編みなおされて新たな本が...

中井久夫が阪神大震災時後に書いた『1995年1月・神戸』は、昨年の3月の大震災後に、まずネットで無償公開された(そのきっかけとなったのは最相葉月さんで、東京の住まいで落下した本のなかにこの本があり、これはいま役に立つと判断したことだという)。 その後、編みなおされて新たな本が出る予定だということは知っていた。その新しい本を図書館で見かけたので借りてきた。冒頭には新しい稿として、「東日本巨大災害のテレビをみつつ 2011年3月11日-3月28日」が置かれ、『1995年1月・神戸』から「災害がほんとうに襲ったとき」が再録されている。 『1995年1月・神戸』を去年の春に読んでいたけれど、新編のこの本を読みなおして、「災害がほんとうに襲ったとき」の末尾、1/17からおよそ40日後の3月2日に記されている、この一節が印象にのこった。 ▼夕方、秘書とJR神戸駅前に向かって歩いた。春の匂いを風が運んでいた。すべてはほどけてやわらかかった。「終わったという感じが流れているね、まだ不通の電車も避難所もあるのに」「4、50日しかスタミナは続かぬだよ、生理的に」「その間に主なことをやってしまう必要がありますね」。われわれはやりおおせたのだろうか。(p.111) この4、50日の「戦闘消耗」の話が、「私の日程表 1995.1.16~2/28」に書かれている。 ▼「戦闘消耗」とは、ベテランの下士官など、戦争のプロが、程度の差はあっても突然戦闘を継続するのがバカバカしくなり、武器をかなぐり捨ててどうでもなれという態度に出ることであって、ナチス・ドイツが戦争末期までこまめに兵士に休暇を与えて鉄道で故国に帰していたのも、米軍がベトナム戦争で三週間ごとにヘリコプターで兵士を前線からサイゴンに送り返していたのも、40日から50日をピークとする「戦闘消耗」を避けるためであった。ここで、興味を感じたのは、軍事精神医学では「戦闘消耗」は困った病的状態とされるが、実際は、戦闘という無理を自己激励によって心身に強いてきたのが限界に達して、雪の積もった竹が跳ね返るように、精神が正常化する事態だということである。(p.129) 95年に61歳の精神科部長だった中井は、昨年77歳だった。神戸の記憶をよびさまし、重ね合わせ、比較し、考えたことが冒頭には書かれている。「現場は重要だが、まわれる場所の数は限られている。現場に立てば、そこの眼の前の印象に支配されてしまう」(p.13)と中井は書き、神戸の経験を重ねながら新聞記事やテレビ報道をみていた、という。 私は去年の3/11の夕方以降、いつもはほとんどみないテレビ映像を何時間かみて、ひどくつらくなった。翌日はテレビを消し、ネットのニュースも、メールもあまりみないようにした。その3/12には、また長野北部を震源とする大きな地震があった。以後も、かなり大きな「余震」が頻々とあり、けれどその揺れをは身体でほとんど感じることのない大阪の私には、17年前の1月や2月のあの余震の続いた日々、ぐっすり寝た気のしなかったあの頃を重ねて、かろうじて想像できるものだった。 その距離感を、あらためて感じる。 今回読みなおして、中井が「長大な天皇論」を執筆した話が書かれていることに気づく(前に読んだ時には、何も印象に残っていなかった)。「私の中の「昭和」が私を突き上げ、私はほとんど狂わんばかりにして」(p.101)書いたというその論文は、知る人は少ないと思うとあるのだが、図書館で探してもらえば、読めるだろうか。 (3/15了) ※追記:ネット検索で探してみたところでは、「「昭和」を送る─ひととしての昭和天皇─」(文化会議239号、1989年)が近い気がして、図書館でこれを読みたいですと頼んできた。

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2012/01/14
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

精神科医・中井久夫氏が実際に体験し、医療行為にも当たった淡路大震災の一連を綴った本。東日本大震災が発生し緊急出版になった本で、阪神淡路大震災を経験した視点から、東日本大震災に関して思う事も書かれている。災害が起きた時にどのように医療従事者が行動を取るべきか、この本からもかなりの参考になるのではないかと思う。

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2012/01/04
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

精神科医が関与観察した阪神淡路大震災の50日間。 あのとき、 医者たちは、自分たちで考えながら有機的なネットワークを形成していった。 混乱の中で、 情報や人の波とたたかっていた。 必死だった。 看護師やボランティアの力なくして、 その現場を支えることはできず、 多くの人の機転なくして、 成り立たなかった。 今回の東日本大震災のことも記載されており、 考えさせられることは多い。 人の体力がもつ期間は限られている。 援助する側、援助される側、どちらも日本人は不慣れなのかもしれない。

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