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現代語訳 吾妻鏡(10) の商品レビュー

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2023/10/11

1231年~1237年の『吾妻鏡』の記述。 ・本巻の政治情勢 ・吾妻鏡 第二十八 寛喜三年(1231)正月~12月          貞永元年(1232)正月~12月 但し、3月までは寛喜四年。4月に貞永元年に改元。 ・吾妻鏡 第二十九 天福元年(1233)正月~12月 但し、4...

1231年~1237年の『吾妻鏡』の記述。 ・本巻の政治情勢 ・吾妻鏡 第二十八 寛喜三年(1231)正月~12月          貞永元年(1232)正月~12月 但し、3月までは寛喜四年。4月に貞永元年に改元。 ・吾妻鏡 第二十九 天福元年(1233)正月~12月 但し、4月までは貞応二年。4月に天福元年に改元。          文暦元年(1234)正月~12月 但し、11月までは天福元年。11月に 文暦元年に改元。 ・吾妻鏡 第三十 嘉禎元年(1235)正月~12月 但し、9月までは文暦二年。9月に嘉禎元年に改元。 ・吾妻鏡 第三十一 嘉禎二年(1236)正月~12月          嘉禎三年(1237)正月~12月 注、有り。付録は、時刻表/方位。大倉御所概念図。 鎌倉時代の鎌倉、若宮大路周辺図。 天皇家系図、鎌倉将軍家系図、北条氏系図。 寛喜の大飢饉、疱瘡などの流行り病、地震、大風、火事、 大雨、彗星の出現などの不穏な状態の中、幕府も朝廷も、 最勝王経の転読や天災に対する各種御祈禱を行い、 対応に追われ、徳政が推進される。改元も頻繁に。 幕府では、新補地頭の所務についての七ヵ条の法や 六波羅の政務の法などの種々の条々が決定し、 幕府の体制を整備する政策が発せられる。 幕府の最高の審議・決定機関である評定衆のメンバーも記録。 そして、御成敗式目の制定へ。 石清水八幡宮寺と興福寺の対立等の朝廷が苦慮する事件では、 幕府の武力が威力を発揮し、幕府の位置を確立する。 また、和賀江島の築造も行われた。 朝廷では、藤原道家が摂政・関白として実権を握る。 鎌倉幕府の体制が整えられる、北条泰時の時代。 記録は、天変地異での御祈祷や寺院の造立や供養、 御方違えなどでの対応が多く、神仏への帰依が 幕府の審議にも深く根ざしている時代性が現れています。 それらを含めた種々の審議や儀式には、執権の泰時と 連署の時房が共に出席している様子も。そういえば、 幕府の最高機関の評定衆は、11人に泰時と時房を加えての13人。 なんか“鎌倉殿の13人”みたいな~。 また、北条氏一族の他、三浦氏、二階堂氏が多く登場。 供奉人の記録を見てると鎌倉時代初期からの氏族が残りながらも、 新しい世代へと移ってきた様が見られて、興味深かったです。

Posted byブクログ

2011/06/11

まず本巻の政治情勢6Pばかりを読む。寛喜3(1231)年の飢饉の対応と御成敗式目の制定。嘉禎元(1235)年の石清水八幡宮領薪庄と興福寺領大住庄の相論と比叡山と佐々木氏の衝突。

Posted byブクログ