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ホメロス の商品レビュー

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2023/06/20

いかに世界の歴史のなかで、ホメロスが熱狂を引き起こしてきたかを描いている。 話題のバラエティが豊か。 シュリーマンがいかに凄かったか。 ルネサンス期にリバイバルしたのは、ラテン語とフランス語の翻訳が出たから。

Posted byブクログ

2021/05/29

2021/5/29 ホメロスの受容、評価を一望できて大変参考になった。 ーーーーーーー メモ 長短短か長長 6回なので32パターン この規則に従って作品を作るうえで長音節より短音説が多いので、イオニア方言やドーリア方言などの方言を入れることでバランスをとった 人為的に...

2021/5/29 ホメロスの受容、評価を一望できて大変参考になった。 ーーーーーーー メモ 長短短か長長 6回なので32パターン この規則に従って作品を作るうえで長音節より短音説が多いので、イオニア方言やドーリア方言などの方言を入れることでバランスをとった 人為的に言語をつくったものも オデュッセイアの1/3あるいは半分は繰り返し ヘラクレイトス「最初の教育を受ける無邪気な子どもの心を持った幼年期から、乳母のかわりにホメロスをあたえる。詩という乳を魂に飲ませることができないとしても、乳飲み子のころからホメロスをあたえることはまったく正しいことだ。少年時代、そして人格が形成される時期にも、ホメロスはすぐそばにいる。壮年期になると、老年期になるまで何度もホメロスは花開く。ホメロスは少しも嫌悪感をあたえない。少し離れても、すぐに彼を求めてしまう。ホメロスとのつきあいは、死ぬまで変わらない」 モンテーニュ「あるゆる知識をもったきわめて完全な巨匠」 フランスの作家シャ ブリアンは,ホメロスのような天才たちが人間の 歴史を豊かにしているといっている。「すべてのも のが,彼らの色に染まる。いたるところに,彼ら の痕跡が刻まれている。彼らは言葉や名称を考 案し,それらが民衆全体の語彙を増やす。彼ら の表現が格言となり,彼らがつくった架空の人物 が現実の人間となり,彼らに子孫ができる。彼ら は地平線を切りひらき,そこから光がほとばしる。 彼らは無数のアイデアの種をまく。彼らはあらゆ る芸術に,さまざまな思いつき,主題,様式をもたらす ホメロスの詩は絵画に必要な「力強さ、正確さ、原動力、気品」を備えている スタンダールはナポレオンのイタリア遠征にホメロスの翻訳本12冊 『イリアス』の本当の英雄,本当の主題, 本当の中心は,力である。(略) いずれにせよ,この詩は奇跡だ。ここでは 悲嘆はその唯一正当な原因,つまり、 人間の魂が力,いいかえれば「もの」に 従属していることと関係している。この 属関係は,その度合いこそ魂の高潔度に よってそれぞれ異なるが,すべての人間に 共通している。この地上で,この従属関係 から免れているものはないのと同じく,「イ リアス』のなかで,この従属関係から免れ ているものはなにもない。この従属関係に 屈している人はみな,この事実をとるにた りないものとは考えていない。魂の内側と 人間関係において,力の支配を脱している すべてのものは愛される。しかし,いつで も破壊される危険をともなうため,その愛 は痛ましい。 これが,ヨーロッパが所有する唯一本 物の叙事詩の精神である。『オデュッセイ ア』は,『イリアス』あるいはほかのオリエ ント起源の詩のすぐれた模倣品でしかな いように思われる。(ローマの詩人ウェル ギリウスの)『アエネーイス』は,才気に 満ちてはいるが,精彩のなさ,美辞麗句, 悪趣味によって台無しになった模倣品で ある。武勲詩は,公平さを欠くために壮大 なものとはならなかった。たとえば,フラ ンス最古の武勲詩『ローランの歌』では, 作者は敵の死と主人公の死を同じように あつかっておらず,読者も敵の死に対して 主人公の死と同じようには心を動かされな 『イリアス』がギリシア語で書かれた最初 の奇跡的な作品だとすれば,福音書はギリシャ語で書かれた最後の奇跡的な作品である シモーヌ・ヴェイユ「『イリアス』あるいは力の詩」 これは戦争,われわれの戦争なのであ る。われわれはつねに,ホメロスの作品に つきものの戦車について語るが,それは昔 の話だと考えがちである。ところが,戦車 はふたたび姿をあらわしたのだ。少なくと もフランス語では,戦車という名前さえ変 わっていない。(略) ホメロスの時代にふたたび戻る。都市 の住民たちは,自分たち自身で倉庫をつく り,肉を食べるためにささやかな家畜を育 て,食物を入れる壺を手に入れる努力を している。たとえば『オデュッセイア』の なかで,ホメロスが家を描写するとき,彼 はほとんどつねに食物を「倉庫に」探しに 行く場面を書いている。ところで,ホメロ スの作品に登場する王たちは,牧畜民で ある。彼らは家畜を飼っている。彼らはわ れわれのように,飢饉や混乱で愚かにも 無一文になるということはない。(略) もはや読者は,ホメロスが自分の2900 年後の人間が今なお不幸を抱えて生きて いる姿を描き出した,その聡明さに感心す べきなのか。あるいは原初の苦悩へとふた たび陥るための発明しかしてこなかった人 類の愚かさに感心すべきなのか,わからな くなってしまうのである。 ジョルジュ・デュアメル 『20世紀のホメロス』

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