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近代日本の社会事業思想 の商品レビュー

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2012/04/22
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国家と宗教の関係を主軸に置き、近代日本の社会事業の足跡をたどる。 姜克實『近代日本の社会事業思想―国家の「公益」と宗教の「愛」』ミネルヴァ書房、2011年。 近代日本の社会事業はどのように形成され、どのような特徴があったのか--。 本書は、国家と宗教の関係を主軸に置き、宗教的発露から自発的に始まった慈善事業が、国家のテコ入れで組織化された社会事業に変化していく過程を明らかにする。 近代日本の社会事業の先駆者は確かに宗教者が多い。キリスト教では石井十次、岡留幸助、仏教では、渡辺海旭、そして、個人的発露から熱心に取り組む行政側のデザイナーとしては、渋沢栄一、後藤新平、窪田静太郎を本書では取り上げている。 興味深いのは石井と岡留の対比だろう。石井十次は日本で最初に孤児院を創設した人物で「児童福祉の父」として知られる。岡留幸助は、感化院(現在の児童自立支援施設のこと)教育の実践家で、共に社会福祉運動のパイオニアだ。 石井は、信仰に無上の価値を置き、社会性を喪失するほど権力とは対峙しつづける。対して、岡留は組織化・行政との連携を重視し、対極的立場を取る。結果として石井はキリスト教信仰に生き抜くものの社会事業としては失敗するが、岡留は事業の国策への取り込みに成功するものの信仰は失ってしまう。 宗教の社会性が風土として根付く欧米では、信仰心が他者への献身的活動への主とした動機となるものであったとしても、官民からの援助が持続的であることが多い。一方、宗教が極めて私事なるものと理解される日本では(ここでいう私事とは内心を尊重するという意味ではなく、振る舞いにおける次元)、その活動が限定的とならざるを得ない。加えて、そもそも特定の宗教の社会活動に対しては冷ややかな眼差しの方が多いというのが現況だろう。 宗教活動と社会事業の関係は一筋縄ではいかない。私事に退却するのでもなく、国家の隷属に屈するのでもない可能性は何処にあるのか--。宗教と社会事業の関係を問い直すとは、宗教と公共性の問題を捉え直すことでもある。こと宗教そのものに対して冷淡な雰囲気(もちろん、それは、この国において宗教そのものに対する基本的に認識や理解がないことにも原因があるのだが)のある日本において、その歩みを振り返ることは、極めて現代的な課題になるだろう。震災以降、宗教者の支援活動が直面している問題でもある。 本書の追跡する宗教と国家の緊張関係、協力関係の分析は、宗教(愛)と国家(公益)の特徴をそれぞれ明らかにしてくれる。 なお本書の著者は、中国天津市生まれ。岡山大学の教員。岡山で活動した石井、そして岡留が岡山出身であったことを想起すると意義深いものがある。

Posted byブクログ