ブスがなくなる日 の商品レビュー
【榎美沙子】 中ピ連(中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合)の代表. お気楽OLが愛用したのは「男ウケのするフューシャピンク」。これは丸の内ピンクと名付けられていました。 対してキャリア派の口紅は「知的なベージュピンク」で、これを推していたのは港区外資系企業キャリア...
【榎美沙子】 中ピ連(中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合)の代表. お気楽OLが愛用したのは「男ウケのするフューシャピンク」。これは丸の内ピンクと名付けられていました。 対してキャリア派の口紅は「知的なベージュピンク」で、これを推していたのは港区外資系企業キャリア志向女性をターゲットとしたFRaUです。 P118 マスコミによく使われた言葉に「美しすぎる」があります。「美しすぎる弁護士」「美しすぎる市議」などという言葉には「知的な職業に美人がいるはずがない」という先入観が透けて見えます。 P140 『男の顔は履歴書、女の顔は請求書』などといいますが女の顔も履歴書とするのがクロワッサンの思想です。 P174 顔=その人、と思われるような見た目社会では、自分で自分の顔をプロデュースしていく能力が求められるでしょうね。たとえば知的な職業に就いてるならばそれに見合った顔をしていない人は、内面の知性に見合うような顔に変える、という風に。美容整形というとあたまがカラッポな人がやるもののイメージがあるけれど、実は自分をしっかり持っていない人にはできないことだと思います(顔文化学者:村澤博人) P184 女性の美に関する世界調査(2004/ユニリーバ)によると、自分の美しさに満足している女性は、わずか13パーセントで、世界10カ国中断トツの最下位。1位はブラジルで62%。2位はアルゼンチンで50%とさすがラテンの国。 アジア10カ国においても日本は断トツ最下位。9つの国と地域では軒並み50%を超えているのに、日本はたった18%でした。 美人はオーラなんですよ。顔を変えたからといって美人オーラは出ないんです。自信がないとだめなの。誰がなんと言おうと自分は美人だと思い込んでる人は、不細工な顔でも美人オーラが出るんですよ。(中村うさぎ)
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井上章一の『美人論』からの引用が非常に多い。 そちらを読めば事足りる。 もちろん、オリジナルの記述もあるが、残念ながら深みがあるとは言い難い。
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ブスの文化史、というほど大げさなものではないが、女性誌の美容ライターをしている著者というだけあって、薄く広く美容と容姿の古今をカバーしていてなかなかおもしろかった。特に最終章、「ブスは性格ブスになる」というあたりのくだりはなるほどと思わせる。 終わりがポジティブなのも女性誌の記事...
ブスの文化史、というほど大げさなものではないが、女性誌の美容ライターをしている著者というだけあって、薄く広く美容と容姿の古今をカバーしていてなかなかおもしろかった。特に最終章、「ブスは性格ブスになる」というあたりのくだりはなるほどと思わせる。 終わりがポジティブなのも女性誌の記事っぽい(笑) 個人的には、ブスの文化論もいいけど、ブスと美人を行き来した人(整形美女?)とか、若いころすごく美人だった人のその後、とか、ブスと美人のメンタリティを扱ったドキュメンタリーがあれば読んでみたいなあ。 その類で言うと『ビューティ・ジャンキー』、これはアメリカの整形市場に限った話だけど、大変面白かった。
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興味深かったのは、歴史的にみても、化粧は男の女に対する支配力が弱まったときに発達している、という点。 化粧の発達=女性が綺麗になるということで、著者はブスがなくなる日は男が情けなくなる日、と考察しています。おもしろい。 見た目がその人の評価を大きく左右するのは、今も昔も変わらな...
興味深かったのは、歴史的にみても、化粧は男の女に対する支配力が弱まったときに発達している、という点。 化粧の発達=女性が綺麗になるということで、著者はブスがなくなる日は男が情けなくなる日、と考察しています。おもしろい。 見た目がその人の評価を大きく左右するのは、今も昔も変わらない。 そして見た目はその人の内面形成にも大きく関与している。 自分はブスじゃないと思い込むだけでも美人オーラが出るそう。 諦めるのはまだ早いみたい。
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「驚くほどわかりやすい「ブス論」」 あまりに、ひねりがない書評のタイトルをつけてしまった。だが、それほどに本書の記述は明確で、その主張は分かりやすい。 ブスとは一体何か。 「常識」にしたがうならば、物理的に顔の造作の美しくない女性をブスと呼び、美しい女性を美人と呼ぶものと...
「驚くほどわかりやすい「ブス論」」 あまりに、ひねりがない書評のタイトルをつけてしまった。だが、それほどに本書の記述は明確で、その主張は分かりやすい。 ブスとは一体何か。 「常識」にしたがうならば、物理的に顔の造作の美しくない女性をブスと呼び、美しい女性を美人と呼ぶものと考えられる。そして男性ならば、前者がブ男、後者がハンサムないしイケメンと呼ぶのだと。 だが、こうした発想を著者は覆していく。むしろ、メイクの進化によって、こうしたブスは、絶滅しかかっているとすら言うのだ。このことが著作のタイトルにも表れている。 実は、評者も長年のフィールドワークの中で、うすうすと同じような変化を感じていた。しかし、思いつきにすぎないような概念を温め続けるだけだったのだが、本書に出会って、そうした思いつきがこれほどに明瞭に言語化されていることを知り、思わず、読書中の電車内で「これだ!」とひざを打ってしまった。 評者がフィールドワークをしてきたのは、男性アイドルの女性ファンたちである。1990年代から継続して行ってきたのだが、よく言われていたのは、「男性アイドルとは、彼氏ができない女性たちが代替として求める疑似恋愛の相手に過ぎない」という解釈であった。もっと、ストレートにいえば、「追っかけにはブスが多い」といった物言いであった。 だがこの物言いは、フィールドに出てみることで、覆されていくことになった。先のブスの定義に倣うならば、当時の追っかけたちは、物理的にはブスではない女性が多かったのだ。むしろ「顔の造作は悪くないんだから、もうちょっとメイクをがんばったら、きっと美人に見えるのになあ」とか「しゃべり方をもうちょっと明るくしたら、かわいくなるのになあ」という感想を覚えることが多かった。 そこで、論文や著作には記さなかったのだが、私が心のうちで思いついた概念というのは、「物理的ブス」と「社会的ブス」は違うというものだった。前者は、物理的に造作が美しくない場合だが、後者は「自分がブスだと思い込んでいる(ないし、周囲から思い込まされている)」場合である。 私が1990年代にフィールドワークをしていたころの追っかけには、実は後者が多かったのである。例えば、「追っかけも楽しいけど、クラスの男の子とデートしたり、遊んだりしたいと思わないの?」と聞けば、「う~ん、なんかそういう“自信”がないから。同じお金だったら、デートより、コンサート代に回した方がいいかなって思う」と答えていた。つまり、「きっと自分はリアルの男子には相手にされない」、「きっと自分はかわいい女の子じゃない」と、思い込んでしまうがゆえに、結果としてブスとしてふるまってしまっていたのである。 したがって、ふとしたきっかけで「社会的ブス」ではなくなる場面にも多く遭遇してきた。たとえば、生活時間のほとんどをつぎ込むほどに熱心であったのに、彼氏ができたら、たちまちに追っかけを「卒業」していくようなことも多かった。 近年では、追っかけのフィールドワークに出向いても、あるいは、普通に街中を歩いていても、ブスが本当にいなくなったと感じる。著者も指摘するように、メイクの進化によって、「物理的ブス」はもはや絶滅しかかっているのだろう。 だが、「社会的ブス」の問題はまだまだ根深いようだ。著者も言うように、100%生まれ変わるかのような変身を遂げずとも、「従来品より20%アップ(当社比)」(P191)するだけで、十分にきれいに見えるようになるはずなのだが、なかなかそう気持ちが切り替えられない場合も多いようだ。ましてや、これだけ世情が暗い社会においては、それも無理ない話なのかもしれない。 あるいは、少し筆を滑らせるならば、「物理的ブス」が本当に絶滅してしまったならば、その先にはどんな未来が待っているのだろうか。誰しもが美人という社会はあり得るのだろうか。 もしも、美人という存在が、その希少性においてもてはやされる存在なのだとしたら、絶滅しかかっているという「物理的ブス」こそが、未来においては、美人にとって代わることもあり得るのではないだろうか(そのように考えると、実は、「物理的ブス」という概念も、引いた目で見るならば、「社会的ブス」に含まれると言えなくもない。なぜならば、美醜の概念もまた社会的に異なるし、変化もするからである)。
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