日本サッカー史 日本代表の90年 の商品レビュー
1917(大正6)年5月9日、第3回極東選手権大会のサッカー競技での中華民国戦が日本のサッカーの最初の国際試合、ということらしい。その試合を0-5で落とした日本は、翌日フィリピンと対戦、この試合も2-15の大敗を喫してしまう。こうして、サッカー日本代表の歴史は幕を開けた。以来、9...
1917(大正6)年5月9日、第3回極東選手権大会のサッカー競技での中華民国戦が日本のサッカーの最初の国際試合、ということらしい。その試合を0-5で落とした日本は、翌日フィリピンと対戦、この試合も2-15の大敗を喫してしまう。こうして、サッカー日本代表の歴史は幕を開けた。以来、90年におよぶサッカー日本代表の歴史をまとめたのが、本書である。一読、著者の後藤健生氏には「グッジョブ、Good Job!!」と申し上げたくなる。報道の充実している最近の出来事であればともかく、資料・史料の乏しい大正・戦前の代表のサッカーの歴史までをきちんと調べ、整理するのは並大抵の労力ではなかったであろうことは、容易に想像がつく。ご苦労様でした、と素直に申し上げたい。私は昔からのサッカーファンだ。この本に書かれている昔の試合のいくつかは、よく覚えている。1977年9月14日、ニューヨークコスモス来日。この時のニューヨークコスモスにはペレが在籍していた。日本代表との国立競技場での試合は、ペレと釜本の引退試合であった。1983年、翌年に控えたロスアンゼルスオリンピック予選。日本はニュージーランドと台湾と同組での一次予選を戦った。8月にはホームの国立競技場にニュージーランドを迎えたが、あえなく0-1で敗戦。今と違って、がらがらのスタンドに駆けつけたサッカーファンは(少なくとも私は)妙にあきらめが良く、「まぁ、仕方ないよね。代表ってこの程度の実力だよね。」といった反応であった。これらの試合を国立競技場で実際に私は観戦した。当時、日本のサッカーがワールドカップに出場する等ということは、全く予想も期待もしていなかった。が、オフトを代表監督に迎えた日本代表は、突然(と言っても良いだろう)強くなる。翌年のJリーグ開幕によるサッカーブームの後押しもあり、なんとアジアカップを初制覇してしまうのだ(これは、例えて言えば、普通の公立高校である自分の母校が甲子園で優勝、とまではいかないまでも、それに近いことをしでかしてしまったような感覚。要は信じられないということであるが)。これが1992年。ドーハの悲劇は翌1993年のことである。それ以来、地元開催を含めて、日本はワールドカップに、またオリンピックにも3回連続出場した。誰が何と言おうと、これは明らかな大成功である。しかし、いまや日本代表に対する期待値そのものも変わってしまった。ワールドカップや、オリンピックに「出場」するだけでは誰も満足しないし、去年のドイツ大会でのような不甲斐ない戦いをすると、ファンは、はっきりと失望と不満を表すようになった。というようなことを、この本を読みながら考えた。1917年に、フィリピンに2-15(ラグビーではなく、サッカーの試合で)で敗れたチームは、90年かけて明らかにレベルの違うポジションにいる。それと同じだけの進歩を、今後の代表チームがしてくれるかもしれないな、と願っている。歴史を読む、ということは、私にとっては、そういうことであった。
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