ブルース・ピープル の商品レビュー
アメリカ黒人によって書かれた最高の本の一つである。急進的、攻撃的な発言者ととられがちだが、本書が書かれた60年代前半という熱い時期を考えると、逆にずいぶん冷静、客観的ではないかと思わせられる。 奴隷であったことよりも全く違う文化の中に強制的に放り込まれたことの方が悲劇という指摘に...
アメリカ黒人によって書かれた最高の本の一つである。急進的、攻撃的な発言者ととられがちだが、本書が書かれた60年代前半という熱い時期を考えると、逆にずいぶん冷静、客観的ではないかと思わせられる。 奴隷であったことよりも全く違う文化の中に強制的に放り込まれたことの方が悲劇という指摘にはアイデンティティの崩壊とそれを再構築するための格闘がいかに過酷なものであるかが滲む。しかも光が差したかと思うとたちまちにしてまた曇る。 ブルースとジャズの発生から語られる本書の終末はテイラーやオーネットらの若手が登場し、コルトレーン、ロリンズが新しい試みに向かう時点なのでそういう意味では幸福である。 しかし時代はさらに激しさを増しバラカは勇敢にその渦中に飛び込んでゆくのであった。
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ブルース・ピープルと言ってもブルースは通低音としては響いているが、そのものの話は1/3もない。どちらかと言えばジャズ中心。 アメリカ黒人が歴史的に置かれてきた立場から生まれたブルース衝動/表現が拡散していく過程の物語。 ブルースとは形式ではなく、個人が社会から孤立したところに生...
ブルース・ピープルと言ってもブルースは通低音としては響いているが、そのものの話は1/3もない。どちらかと言えばジャズ中心。 アメリカ黒人が歴史的に置かれてきた立場から生まれたブルース衝動/表現が拡散していく過程の物語。 ブルースとは形式ではなく、個人が社会から孤立したところに生まれる言葉であり、感情であり、叫びであるということ。 その条件が整ったのが、伝統から切り離された新世界であり、資本主義であり、自由主義であるアメリカに奴隷として連れた後に、解放されたアメリカ黒人であるということ。あらゆるものからの断絶・孤立。 常に社会の枠から阻害されていく個人の感情としてのブルースは今や世界のどこでも見いだせるのではないだろうか。
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ニーチェの『悲劇の誕生』の顰みに倣うなら、ブルースの精神からのジャズの誕生を論じ、正史になることのない黒人音楽の歴史を描いた古典的著作の新訳のライブラリー版。音楽史に対する言わば「叛史」としての「抑圧された者たちの伝統」に寄り添い、被抑圧民としての二グロに対する複雑な共感を抱き...
ニーチェの『悲劇の誕生』の顰みに倣うなら、ブルースの精神からのジャズの誕生を論じ、正史になることのない黒人音楽の歴史を描いた古典的著作の新訳のライブラリー版。音楽史に対する言わば「叛史」としての「抑圧された者たちの伝統」に寄り添い、被抑圧民としての二グロに対する複雑な共感を抱きながら、著者は、アフリカの被征服地からアメリカというもう一つの征服された場所に連れて来られた黒人たちが、この「アメリカ」に同化しきれず、いや同化を拒まれて言葉を失う地点において溢れ出る歌にブルースの起源を見いだし、その歌の精神をもった黒人たちが、征服者たちの楽器の演奏法を換骨奪胎してわがものにし、さらに思弁を重ねていくところにジャズの誕生の場があると論じる。ただし、ジャズの生成はつねに、みずからを漂白し、「ミドル・クラス」であろうとする黒人自身によるブルースの精神の希薄化とのせめぎ合いのうちにある。そのことをファノンの『黒い皮膚、白い仮面』や渋谷望の『ミドル・クラスを問いなおす』を参照して検討すると興味深いだろう。また、ジャズの生成のうちにある葛藤を見たうえでアドルノのジャズ論を読み直す作業も必要かもしれない。セゼールのネグリチュードの立場にも通じる著者のいくぶん本質主義的な立場に対しては、当然批判もあろうが、これをスピヴァク的な意味で戦略的に読むことも不可能ではないはずだ。その点、ライブラリー版の解説の批判は的外れのように思われる。それから、訳題の副題「白いアメリカ、黒い音楽」は、原語どおり「白いアメリカのなかの黒い(ないしはニグロの)音楽」とするべきかと思う。
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