スパイ・爆撃・監視カメラ の商品レビュー
8/15 著者のあとがきにもあるようにあまりまとまった内容ではない。 1930年代の東アジアでの左翼運動におけるスパイ、第二次大戦の戦略爆撃とベトナム戦争における不可視/可視の敵、現代のテロや監視カメラを「不信」という観点から見ている。
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あなたは、あなたの隣人があなたに危害を加えないと、どのようにして信じることができますか?人はこの社会を生きる中で、相手は自分にとりわけ自分の想像を超えるような害を加えることはないということを前提として信じながら生きている。それは何も、警察機構があるからとか、安全な国だからというこ...
あなたは、あなたの隣人があなたに危害を加えないと、どのようにして信じることができますか?人はこの社会を生きる中で、相手は自分にとりわけ自分の想像を超えるような害を加えることはないということを前提として信じながら生きている。それは何も、警察機構があるからとか、安全な国だからということではない。疑うことは簡単だが、それはどこまでいっても終わりが見えず、ややもすれば自分以外のすべてを信じられないということにもなりかねない。逆に、信じることは難しいが、始めに相手のことを信じるからこそ、相手もこの人にはということになるのだといえる。そのあたりは心理ということに関係してくるように思うが、この心理も戦争状態においては、とりわけ危険な目にあう恐れがある。自軍以外のものは問答無用で殺せ、相手を敵だと思え、などのように、殺すか殺されるかの瀬戸際においては、その一瞬の状況判断が命取りになることさえある。極限の心理状態、内なる心の葛藤、終わった後にくる大きな後悔がそこには随所に待ち受けている。また、位置情報も国の国防には大きくかかわっている。24時間、年がら年中明るく、眠らない町とされる東京などは、他の国から見たら格好の標的だと、この本を読んでいて笑いがこぼれてしまった。そして、監視カメラも人の心理状態を錯乱させるということでは、多大な影響力を持っている。それは、この先も重要なシビリアンコントロールとして機能していくことになるだろう。
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読了。「他者への不信が科学技術と結びついてどのような装置に仕立てられてきたのか」「他者を信じない心性を前提に、いかなる社会的制度が設けられてきたのか」社会史というには少々食い足りないが、含蓄深い本。
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