括弧の意味論 の商品レビュー
いろいろ分析しているが有用な結論がない。 日本語で登場する括弧について、使い方などに興味があって借りた。前半で過去の資料から括弧がどれくらい使われているか、時代によってどのように変遷しているかを分析している。その他、括弧が使われ始めた歴史的経緯など文献を交えつつ議論している。 ...
いろいろ分析しているが有用な結論がない。 日本語で登場する括弧について、使い方などに興味があって借りた。前半で過去の資料から括弧がどれくらい使われているか、時代によってどのように変遷しているかを分析している。その他、括弧が使われ始めた歴史的経緯など文献を交えつつ議論している。 しかし、これらの議論を読んでも役に立つような知見や結論が得られそうになかった。これらの考察を踏まえて括弧とどう付き合うべきかといった結論がほしかった。 個人的にはこの本は言語学とかに興味のある人が読むようなものだと思う。一般の人が読んでもあまり役に立たない印象だった。
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週刊新潮の中吊りという掴みが非常に面白く、一気に読んだ。 読了した瞬間から、文章の読み方が変わってくる(というか、括弧の使い方がものすごく気になる)から、また面白い。
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週刊誌の見出しや現代思想系の本にしばしば登場する「」や〈〉などの括弧。あれはいったいどういう意味なのか? そんな疑問からスタートする、奥深い言語世界への考察。 括弧の意味について言えば、僕らだって「彼は評判通りの「エリート」だね」などという表現に見られる皮肉なニュアンスを読み取...
週刊誌の見出しや現代思想系の本にしばしば登場する「」や〈〉などの括弧。あれはいったいどういう意味なのか? そんな疑問からスタートする、奥深い言語世界への考察。 括弧の意味について言えば、僕らだって「彼は評判通りの「エリート」だね」などという表現に見られる皮肉なニュアンスを読み取ることはできる。もちろん本書の話がこの程度で終わるわけはない。この本では、人間の言語の特徴に再帰性(ある文を他の文に埋め込みうること)があるという視点から、それが現れる場としての括弧を考察することで、言語の本質を垣間みようとしている。(したがって、本書では「」などだけでなく、黒抜きやジェスチャーなど「括弧的な言語現象」全般を扱っている)。 括弧を分類する第一章、文中に占める括弧の割合について調べた第二章、その歴史を辿る第三章...とそれぞれに興味深い話題が続くのだが、やはり中心は括弧の意味を分析した第四章と、そのような括弧的表現が発せられる行為の意味を分析した第五章。ここでは言語哲学の話が中心になるので僕には難しい箇所もあったのだが、括弧的表現の特徴を指示語が持つ「投写」という機能で捉える筆者のアイデアになるほどと頷かされ、括弧だけでなく指示語一般への興味をかき立てられる。また、括弧の意味が明示されていないにも拘らず、ほとんどの場合、それが話者と受け手の間で共有されているのはなぜか?という第五章の問題設定も、とても面白かった。 終盤では括弧の意味論的な分類も掲げられているのだが、そこだけ読んで終わりにするのはもったいない。個人的にも参考文献にあたって、もうちょっと日本語論について勉強してから、また読み返したい一冊だった。
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括弧も、大して意識せず使ってしまう記号のひとつ。くくることで何をしようとしてるのか?くくらないではいられない、ときもあるけれどそれは、書き言葉ならではの感覚か。 いやでも英語圏では、クォーテーションを表すジェスチャーを、会話中に用いることもある。話し言葉と書き言葉は作用しあってい...
括弧も、大して意識せず使ってしまう記号のひとつ。くくることで何をしようとしてるのか?くくらないではいられない、ときもあるけれどそれは、書き言葉ならではの感覚か。 いやでも英語圏では、クォーテーションを表すジェスチャーを、会話中に用いることもある。話し言葉と書き言葉は作用しあっているのかな。
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一体何が言いたいのかが分かるようで分からなかった。参考例も数学式やコンピューター言語であったりして、これもここで例に出す意味が不明。ただ、ディヴィドソンの「寛容」と言う概念は面白かった。でもまあ無意識で多用している「括弧」について、反省する機会にはなった。
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第1章 括弧をめぐる遍歴――週刊誌の括弧と現代思想の括弧 第2章 括弧という現象――区切ることでなにが起こるのか 第3章 括弧の歴史――括弧はどのように使われてきたのか 第4章 括弧の意味論――括弧の持つ創造的なパワー 第5章 括弧の行為論――共犯と誘惑のメカニズム 第6章 括弧...
第1章 括弧をめぐる遍歴――週刊誌の括弧と現代思想の括弧 第2章 括弧という現象――区切ることでなにが起こるのか 第3章 括弧の歴史――括弧はどのように使われてきたのか 第4章 括弧の意味論――括弧の持つ創造的なパワー 第5章 括弧の行為論――共犯と誘惑のメカニズム 第6章 括弧の現在――括弧の使用はどのような意味をもつのか 解釈を、書き手ではなく読み手に振ることである。 それがプログラミング言語の厳密な括弧から、週刊誌の曖昧な括弧まで、あらゆる括弧の共通する括弧の意味ではないか。 例文を一つあげよう。 「愛してる」と彼女は言った。 これと 愛してると彼女は言った。 は、同じようで違う。ニュアンスというレベルではなく、セマンティック、つまり意味論的に違う。 英語にすると少しわかりやすくなる。 She said "I love you". She said that she loved me. おわかりだろうか。引用されている部分の主語も述語も変わってしまっているのである。それどころか時制まで。 最初から最後まで話者の視点。'that she loved me'という節(clause)は、話者が意味的にそう受け取ったということだ。彼女が本当に言ったのは"I like you so much"かも知れないし、"I'm in love with you"かも知れないに、もしかして何も言っていないのかも知れないが、話者にとってそれは'that she loved me'ということだ。 しかし前者の"I love you"には話し手の解釈は出てこない。この台詞は話者ではなく彼女のものだ。そこに言語的な曖昧さはない。しかし意味論的にはずっと曖昧になる。彼女は本当に受け手に'that she loved me'と解釈してもらいたくてそういったのかも知れないし、あるいは心にもないことを言ったのかもしれない。 その解釈、すなわち括弧を解くという作業は、受け手にゆだねられている。 記号と再帰 田中久美子 そして、受け手は必ずしも括弧を解く必要はない。 そう。あえてそのままにしてもいいのだ。 だからこそ、括弧は「世界」や「私」をくくることが出来るのだ。 それを解こうとするとどんな問題が起きるのか。そもそもそれにどんな意味があるかに関しては「記号と再帰」を。本書以上に書評しにくい難書であるが、本書を読み終えた後に読んで欲しい本のナンバーワンだ。 しかし、括弧の歴史は引用にくらべてずっと浅い。日本語に限らず古文には括弧というものがほとんど登場しない。現代人であればくくってしまうような内容は、むき出しの節の中に入っていた。 現代人が多様な括弧を多用するというのは、やはり進歩なのだ。そのおかげで、危険な言説もずっと安全かつ適切に扱えるようになったのだから。「なにもしない」という扱いをも含めて。 極論してしまえば、私が言論の自由を恐れない理由は、私はすでに括弧という「盾」を持っているからだ。 扱えなくても、くくれる。 「世界」さえも。「自分」さえも。 「わかったではなく「わかった」」と私は上記した。この「わかる」をあなたに委ねたかったから。 いや、無視していただいても構わない。しかし本書という括弧は、「スルーする」のはあまりに惜しいことは最後に改めて言っておきたい。
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