田辺聖子の古典まんだら(下) の商品レビュー
上巻と同じく、タイトルや作者は聞いた事あるけど作品を読んだことはないな…というものばかりだったので、とても面白かった。 特に、とはずがたり、宇治拾遺物語、世間胸算用は現代語訳で読んでみたいと思った。 平安時代以前の作品を読むことが多かったが、江戸時代の作品にも触れてみたいと感じた...
上巻と同じく、タイトルや作者は聞いた事あるけど作品を読んだことはないな…というものばかりだったので、とても面白かった。 特に、とはずがたり、宇治拾遺物語、世間胸算用は現代語訳で読んでみたいと思った。 平安時代以前の作品を読むことが多かったが、江戸時代の作品にも触れてみたいと感じた。
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平家物語から江戸の戯作と狂歌まで。学生の頃から苦手で、面白さも何もわからずにいい歳になってしまった。数年前、方丈記を読んで印象は変わったものの、そこまで。 それが田辺聖子さんの文章では、全てが生き生きと見えてくる。平安時代の貴族文学とはまた違う、武士社会の荒々しさや雄々しき文章の...
平家物語から江戸の戯作と狂歌まで。学生の頃から苦手で、面白さも何もわからずにいい歳になってしまった。数年前、方丈記を読んで印象は変わったものの、そこまで。 それが田辺聖子さんの文章では、全てが生き生きと見えてくる。平安時代の貴族文学とはまた違う、武士社会の荒々しさや雄々しき文章の良さに惹き込まれる。 古典の入り口のこのシリーズを読んでいて、関西の人が関東の人を怖いと感じるのも納得。生粋の関東人である私も鎌倉時代に入った時点で、関東の人、荒々しくないか?と思ってしまった。そんな気分にさせてくれる、田辺聖子さんの世界。 それにしても、古典に疎すぎるなぁ、と改めて反省。
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蕪村の句は綺麗な情景を起こさせて好き 人間らしい兼好も結構好き 江戸文学は全然馴染みないからもう少し触れてみたい
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田辺聖子氏の作品から興味をもった古典文学は多い。「枕草子」に始まり、「源氏物語」「落窪物語」など。主に平安時代のものなのだけれど、それは最初に読んだ「むかし・あけぼの」に惚れたからである。 上巻では「古事記」「万葉集」から平安末期までの作品が取り上げられていた。下巻では武士の時代...
田辺聖子氏の作品から興味をもった古典文学は多い。「枕草子」に始まり、「源氏物語」「落窪物語」など。主に平安時代のものなのだけれど、それは最初に読んだ「むかし・あけぼの」に惚れたからである。 上巻では「古事記」「万葉集」から平安末期までの作品が取り上げられていた。下巻では武士の時代に入ってから江戸時代まで。今まであまり興味を惹かれなかった時代の文学だ。 紹介されているのは次のとおり。 「平家物語」「方丈記」「宇治拾遺物語」「百人一首」「とはずがたり」「徒然草」「西鶴と近松」「芭蕉・蕪村・一茶」「古川柳」「江戸の戯作と狂歌」。 古典の授業で「平家物語」や「方丈記」「徒然草」の導入部分を覚えさせられた記憶はあるが、詳しくは知らない。けれど、改めて読んでみると、その言葉の流れの美しさに気付く。やはり長い時を経て伝えられてきたものにはその理由があるのだなと改めて思う。 「方丈記」の鴨長明、「徒然草」の兼好法師。いずれも悟りの道を究めた人なのかと思いきや、以外と人間くさいことに驚いた。人間味溢れる…と言い換えた方がいいだろうか。現代の人々にも通じるような言葉が多い。観察力・洞察力に優れていたがため、これほどまでにリアルにその当時の人々の暮らしを感じることができるのだろう。 「とはずがたり」という作品のことを目にしたのは初めて。後深草院に使えた二条という女性が14歳から49歳までの日々を振り返った日記文学だ。誰にも問われていないのに自分から語る。だから「とはずがたり」。タイトルからして粋な雰囲気を感じる。皇族との様々な恋愛事情が書かれていることから、門外不出の扱いをされていたのだそう。それにしても、男性に惚れられやすく流されやすい女性だったのだろうか。男性に翻弄されていたとも思える。後に「人は生まれるときも一人、死ぬときも一人。名残を慕うのはいっときのこと」と語っている。 江戸時代の文学はより現代に近い生活が描かれているように思う。人情味は現代のほうが薄れているが。 井原西鶴の「好色五人女」から「おまん」「八百屋お七」が、「世間胸算用」から「平太郎殿」が紹介されている。西鶴という人は人の心を写すのに長けた人のようだ。 近松門左衛門といえば浄瑠璃。特に著者が最高傑作という「心中天網島」が取り上げられている。男と女の恋の悲しき恋の道に当時の人々も涙したのだろうか。しかし情に流されずに冷静に読んでみると、なんだか勝手な男の話のようにも思える。しかしその言葉のリズムが生み出す美しさには心打たれるものがある。 芭蕉・蕪村・一茶の俳句、そして川柳。これほど多くの句を並べて読んだことはなかった。句というのも面白いものだ。数少ない文字が創り出す世界の広いこと。そこから感じ取る人の心の深いこと。何気ない景色や仕草を切り取って、一枚の絵にしたような。もちろんそれを私が感じることができるのは、田辺聖子氏の解説があってこそなのだけれど。とても見事に読者の興味を惹いている。 江戸時代の戯作は庶民の立場で書かれたものが多いようだ。いわゆる大衆文学。 恋川春町「金々先生栄華の夢」、山東京伝「江戸生艶気樺焼」、十返舎一九「東海道中膝栗毛」、式亭三馬「浮世風呂」が紹介されている。 「浮世風呂」の銭湯での様々な会話を描いたものは、当時の人の暮らしぶりを生き生きと浮かび上がらせる。それにしても江戸っ子の言葉の荒いこと。それもまた面白い。 本書の最後の言葉を紹介したい。 「私たちは、こういう日本文化の大きな財産を、もっと味わうべきです。食わず嫌いだったものでも、少しずつ味わってみると、なかには美味しいと思う人も出てきます。そういう先達が一人いると、その嗜好は十人に広がるかもしれません。そして、十人が百人に、どんどん広がっていくことでしょう。日本文学の底は大変深いものなので、その価値は充分にあると思います。」 底が見えないほどの日本文学の世界に、思い切り浸ってみたくなってくる。
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平家物語、方丈記から、ずっと近代に近くなって東海道中膝栗毛と来ます。初期の話は一部の特殊階級の方々の話ですが、時代を下って来るにつけ、一般人の息づかいが感じられてきます。昔も今も人間は変わらないものだと感じます。古川柳も沢山紹介されていますが、私でも十分笑えるものばかりです。
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