江戸の紀行文 の商品レビュー
本居宣長の菅笠日記の解説を読みたくて手に取ったが、和泉日記の巻も大変面白かった。 はじめに、著者からのメッセージ ①江戸時代の紀行は面白い ②面白さの理解には、豊富な情報、前向きな旅人像、正確で明快な表現という新しい評価基準で紀行を見直す。 ③江戸時代の紀行文の代表作は 貝原...
本居宣長の菅笠日記の解説を読みたくて手に取ったが、和泉日記の巻も大変面白かった。 はじめに、著者からのメッセージ ①江戸時代の紀行は面白い ②面白さの理解には、豊富な情報、前向きな旅人像、正確で明快な表現という新しい評価基準で紀行を見直す。 ③江戸時代の紀行文の代表作は 貝原益軒の「木曽路記」橘南谿「東西遊記」、小津久足「陸奥日記」だと。 P111 江戸時代の紀行文は擬古文が多く、分かりにくくまわりくどくて読みにくい。 まさに和泉日記がそれにあたる。 ただ、面白いから許せると著者は話す。 中には内容までも伝統的な古い紀行を意識し、自分自身の旅の悲しみなどを綿々と綴ろうとするものが多く、退屈なものになってしまう。 しかし本居宣長の文体にはそれらの冗長さや難解さが少ない。 P114 菅笠日記は、のどかで温かいにも関わらず、作者と共感しようとすると柔らかく拒絶される。 P128 人の心は今も昔も同じだが、その時々や所々によって異なることもある。だから物語を読む時にはその時代の常識や登場人物の立場を十分に考えて、それらの人物の心境になって読まないと理解できない点がある。 ↑これは現代小説にもつうずる考察だ。 まさに、源氏物語については P143 最初から終わりまで、普通の穏やかな日常が繰り返されていくだけなのに、退屈もせずひたすら次が読みたくなる。 P230 東西の祭りの比較についての論説もとても面白かった。 江戸は五六年で様式が様変わりするのに、上方はそのまま保存されている。それはすなわち発展せず活発でないから。
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力作である。しかも学術的なレベルもたいへんに高い。 江戸時代の紀行文と言えば、まずは芭蕉の『おくのほそ道』であり、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』が思い浮かぶのであるが、筆者はもっと他にすばらしい紀行文があるのだと主張する。例えば、貝原益軒であり、本居宣長であり、橘南谿であり、小津...
力作である。しかも学術的なレベルもたいへんに高い。 江戸時代の紀行文と言えば、まずは芭蕉の『おくのほそ道』であり、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』が思い浮かぶのであるが、筆者はもっと他にすばらしい紀行文があるのだと主張する。例えば、貝原益軒であり、本居宣長であり、橘南谿であり、小津久足である。 紀行文の性格をどのようにとらえるか(文学となり得るかどうか)ということに関しても、実際に江戸時代に書かれた紀行文を渉猟することで、日の目を見ないままに埋もれている多くの作品の、紀行文としての価値を再評価する必要性を説く。 そんな江戸時代からの紀行文の流れは、そのまま現代のブログなどで紹介されている多くの旅行記などにまっすぐつながっているのである。
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芭蕉の「奥の細道」以外にみるべきもが無いと言われていた江戸時代の紀行文を紹介。雅文と俗文、あるいは雅俗混交での紀行記は面白い。
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新書でアタリ率が低い。 妙に学術性にこだわり、楽しまそうという発想があまりない著者が多い気がする。 これもその一つ。 もちろん、このフィールドに詳しい人ならば楽しめるのだろうが。 素人たる自分が期待していたのは江戸の紀行文のいいとこ取り。例えば江戸時代の雰囲気が活写されているシ...
新書でアタリ率が低い。 妙に学術性にこだわり、楽しまそうという発想があまりない著者が多い気がする。 これもその一つ。 もちろん、このフィールドに詳しい人ならば楽しめるのだろうが。 素人たる自分が期待していたのは江戸の紀行文のいいとこ取り。例えば江戸時代の雰囲気が活写されているシーンや、そこから紐解ける当時の旅事情や生活、学術的といってもせいぜい同じ場所でも時代や人によりこんなに違いがあるとかの視点があればよい。 だが、ここでは江戸の紀行文という全体を概念化し、その発展を俯瞰するという、論文さながらの内容。 もちろん、各作品から引用はされ、節々には面白いものも多いのだが、あくまで主は江戸時代の紀行文のありよう分析だから、鼻白む。 唯一、概念的に面白かったのは、旅の捉え方の変化。 江戸以前が「恐ろしく、非日常で、わびしいもの」 江戸以降が「楽しく、面白く、役に立つもの」 日常の地続きとして、やがて自分も行く可能性のあるものとして変化していったということ。 だから歌に仮託することもなくなり、散文の時代になったのだろう。 また、はかなさなり無常観といった仏教的価値観も、近世になると軽減していったのだろうな。 いずれにせよ、当時を上手に想い出すには、原文にあたったほうがよっぽど良さそうだ。 それと、この作者、悪い人ではないのだが、面白くなさそう。随所に入れられるエピソードが、寒く、時代遅れな感性をかもしている。
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旅という名の読みもの(フィクション)と、実用性(ノンフィクション)を帯びた紀行文。 林羅山、古川古松軒、橘南谿、本居宣長など様々な個性を原文と訳と織り込んで、紀行文の楽しさを知ることができました。
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一見すると歴史的に見たとき、文学の中でも価値を見出し難い「紀行文」。 しかし、この本を読むと一概に「紀行文」とされるものの多様性、そこに表れる作者たちのそれぞれ多様な表現が読み取れる。旅を記すことの意味とは。
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それまでとはまた変わった形を取るようになった、江戸時代の紀行文。「おくのほそ道」だけではない江戸時代の紀行文の魅力を解説した本。実際に江戸時代の紀行文を読んでみたくなる。
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※このレビューにはネタバレを含みます
「江戸の紀行文」を読む -2011.06.10記 著者板坂耀子は’46年生れ、昨年3月、福岡教育大教授を定年退官した、と。 曰く、芭蕉の「おくのほそ道」は名作だが、江戸時代の紀行としては異色の作であり、作為に満ちて無理をしている不自然な作である。この異色の名作「おくのほそ道」でもって、江戸期に花開いた二千五百に余る数多の紀行が、正当な評価も得ることなく、文学史から顧みられることなく終始してきたことに対し、まず一石を投じ、俳諧の世界ではともかく、紀行作家たちの中では、芭蕉の影響は皆無に近く、彼やその作品と関係ない場所で、近世紀行を生み育てる営みは行われていた、と。 その背景には、「参勤交代というシステムが、各大名を軸として中央の文化と地方の文化を上手に混ぜ合わせ-略-、各藩毎の地方文化を、少なくともその上澄みの部分に於いては極めてハイ・レベルで均質なものとする事に成功した。」という中野三敏-西国大名の文事-の説を引き、旅が娯楽化し、都から鄙へという図式が崩れていったことがある、と。 芭蕉より少し時代を下った江戸中期の上田秋成が、紀行「去年の枝折-コゾノシヲリ-」の中で、旅先で会った僧の意見として、芭蕉に対し悪態をついているとして引用している。 「実や、かの翁といふ者、湖上の茅檐、深川の蕉窓、所さだめず住みなして、西行宗祇の昔をとなへ、檜の木笠竹の杖に世をうかれあるきし人也とや、いともこゝろ得ね。-略- 八洲の外行浪も風吹きたゝず、四つの民草おのれおのれが業をおさめて、何くか定めて住みつくべきを、僧俗いづれともなき人の、かく事触れて狂ひあるくなん、誠に尭年鼓腹のあまりといへ共、ゆめゆめ学ぶまじき人の有様也とぞおもふ。」 以下、二章から十章までほぼ時代を追って、異色の芭蕉ならず、主流となった江戸紀行の作者たちを紹介していく。 名所記としての、林羅山「丙辰紀行」-1616頃- 寺社縁起としての、石出吉深「所歴日記」-1664頃- 実用性と正確さに徹した、博物学者貝原益軒の紀行「木曽路紀」-1685-「南遊紀事」-1689- 益軒の曰く、「詩のをしへは温厚和平にして、心を内にふくみてあらはさず。是、風雅の道、詩の本意なるべし。-略-ことばたくみにしかざり、ことやうなる文句をつくりて、人にほめられんとするは、詩の本意にあらず。故に詩を作る人、学のひまをつひやし、心をくるしむるは、物をもてあそんで、志をうしなふ也。かくの如くにして詩を作るは、益なく害ありて無用のいたづら也。風雅の道をうしなへり。歌を作るも又同じ。」-文訓- 古学者本居宣長の「菅笠日記」-1795- 宣長は、見るもの聞くもののみならず、自らの心の内にわきおこる、さまざまな相反する感情まで何一つ切り捨てず、最大限にとりいれてこの紀行を書こうとした。彼の文体は、明晰で平明で、かつ雅文の格調や品位を失うことがない。益軒が生み出した力強さや多彩さをとりいれつつ、ひとりの個人の内面を描く古来からの日記文学とも合体し、新しい時代の紀行文学として成立させている、と。 奇談集としての、橘南谿「東西遊記」-1795頃- 古川古松軒の蝦夷紀行「東遊雑記」-1788頃- 女流紀行としての、土屋斐子「和泉日記」-1809頃- 江戸紀行の集約点としての、小津久足「青葉日記」
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貝原益軒と本居宣長の関係性が、おだやかに解きほぐされていて心地よいです。ただ、江戸の紀行文というジャンルに設定されると窮屈をおぼえますが…。 益軒の威力&宣長の魅力! 個人的にはこれに尽きます。。
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読んだ勢いで、橘南谿「東西遊記」(東洋文庫)をamazonで注文してしまいました。 さて、読めるかな?
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