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ラートブルフ著作集(第1巻) の商品レビュー

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2010/06/20

ラーとブルフによれば、パトリオティズムとショーヴィニズムは、はっきりとちがう。パトリオット、国を愛する人といえば、それは本来なによりも、真面目に公益のために、われわれすべての家の内部を住みよくし快適にすることに努める、活動的な市民のことをさしている。ところが、国民的特質を貫徹する...

ラーとブルフによれば、パトリオティズムとショーヴィニズムは、はっきりとちがう。パトリオット、国を愛する人といえば、それは本来なによりも、真面目に公益のために、われわれすべての家の内部を住みよくし快適にすることに努める、活動的な市民のことをさしている。ところが、国民的特質を貫徹することを直接の目標として努力すべしとなると、国民感情はショーヴィニズム、狂信的愛国となる。しかるにどこの国の狂信的愛国者も、じぶんが戦いとるつもりでいる当のもの、すなわち国民的特質を、その本質において示すことがもっともすくないのだ。・・・・・・ 国民と権力というものは相互に克服しがたい矛盾の関係にあるからだ、とラートブルフはいった。人格と同じく、それがただじぶん自身のうちにだけ目標をもとめるならば、究極的にむれば目標なき意思によって、ただ権力を追いもとめるようにしむけられるということにならざるをえない。しかしこの権力意思は、ついには国民的特質をも人格的特質をも完全に食いつくしてしまう、と。 二十世紀がいつも忘れっぱなしにしてきた、ラートブルフの静かな警告。・・・・・・世界大戦(第一次)においては、フランスの「エスプリ」、イギリスの「コモン・センス」、ドイツの「ゲミュート」がたがいに戦ったのだろうか。それとも、むしろ同種のただ大きさのちがう一群の機関銃や飛行機やタンクが戦ったのではなかったろうか。国民の特質の成果について、それとはまったく何らの内面的関連のない、力という尺度がこれを決定するということこそ、まさに戦争のもっとも深い無意味さなのだ。・・・・・・-『読書のデモクラシー/長田弘』

Posted byブクログ