古語の謎 の商品レビュー
古語は書き換えられる。万葉集はどのように読まれたのか。それが時代によって読み方が変わっていく。源氏物語でもどれが本当の原文か。テキストクリティークによって本当の原文にさかのぼる文献学は正しいのか?などなど。面白かった。
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歴史上、日本語が外国の文字によって表記され、その発音が後世に残された例は少なくとも二度存在する。一つは安土桃山時代から江戸時代初期にかけて出版されたローマ字表記の日本語キリシタン版、もう一つはそれから更に時代を遡る奈良時代に用いられた万葉仮名文献である。しかし、ローマ字は表音文字...
歴史上、日本語が外国の文字によって表記され、その発音が後世に残された例は少なくとも二度存在する。一つは安土桃山時代から江戸時代初期にかけて出版されたローマ字表記の日本語キリシタン版、もう一つはそれから更に時代を遡る奈良時代に用いられた万葉仮名文献である。しかし、ローマ字は表音文字であるため発音をほぼ一義的に確定できるが、万葉仮名は漢字を用いた音訓混合体であり発音について解釈の余地が大きい。江戸時代初期になると先ず『万葉集』の訓読を巡り、中世から近世に至る伝統的な堂上歌学の注釈に飽き足らず、同時代以前の文献から上代語の意味を明らかにし再解釈すべしという運動が生まれた(文献学的考証主義)。これが契沖を嚆矢とし本居宣長を頂点とする「古学」である。古学は江戸に擬古的な古典主義文学運動を生み出し、その実証主義と合理主義は明治以降の国語国文学に受け継がれた。著者は、このような古学が「理(ことわり)」をもって牽強付会の解釈を施してしまう危険性を胚胎しており、それが歪んだ形で国粋主義的な「国学」に結びついたと考えている。それを念頭に、古学の文献考証の結果としての定本も結局は比較的良質な異本(末流本文)の一つに過ぎないという相対的態度を崩さず、むしろ末流本文を再生産すること自体が古典学の営為ではないかとする。そして著者自身の研究も、まさにこうした営為の歴史の中に組み込まれていくのである。
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近世から近代にかけての古典・古語の研究の歴史について,誤解・誤読や荒唐無稽な学説・贋作・捏造について考える~柿本人麻呂の万葉48番「東野炎立所見而反見為者月西渡」は「アヅマノノケブリタテルトコロミテカヘリミスレバツキカタブキヌ」と読むべきか「ヒムガシノノニカギロヒタツミエテカヘリミスレバツキカタブキヌ」と読むか,「野」は「ノ」か「ヌ」か~好きなだけ考えて読みたい人に読んで貰うと良いだろうけど,私は興味がない。読み始めたから読み通しただけで,どーでもいいでしょ!! が本音
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万葉仮名で書かれた歌も、結局読み下す時にいろんな考え方がありそれが学派になり、「いつの」歌だか判らない、という導入から始まって興味深いと思ったのだが。 あかん、思った以上に読むのが苦痛だ。 もう頭が固くなってて、興味惹かれるもの以外読めんようになってるので、やめ。
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賀茂真淵らによって確立された古学について、様々な仮説や誤りを取り上げ、興味深く検討していくもの。すごく面白かったです。「ひむかしののにかぎろひの」という読みについて紹介する冒頭から最後のあとがきまで、退屈するヒマがありませんでした。
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[配架場所]2F展示 [請求記号]080/C-1 [資料番号]2010116311、2012301369
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わかりやすい!古文面白いわぁ♪ 実は本棚で見た時にはそんなに期待していなかったのだが、読んでみたら大変面白かった。 柿本人麻呂の、「東の野に炎の立つみえて かへり見すれば月傾きぬ」 を挙げて、私たちが古語と思っていたものは、江戸時代に「つくられた」古語であるということが解...
わかりやすい!古文面白いわぁ♪ 実は本棚で見た時にはそんなに期待していなかったのだが、読んでみたら大変面白かった。 柿本人麻呂の、「東の野に炎の立つみえて かへり見すれば月傾きぬ」 を挙げて、私たちが古語と思っていたものは、江戸時代に「つくられた」古語であるということが解説され、そこから古語の「書き替え」について論じていく。当初、「正しい」本文は何だろうと思いながら読んでいたので、「なぜそう変化したのかという視点が大事」という指摘に目から鱗が落ちた。思わず知らず、長いこと培われてきた常識にとらわれてるもんなんだなぁ。
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公開されるということは、批判の場にさらされるということであって、師弟関係という壁を取り払った自由な批判や論争を保障するということにほかならない。それによって、学問の世界は活性化する。 「古語とは何か。「明治維新以前の言葉」ではない。江戸時代には『源氏物語』の言葉が、平安時代には『万葉集』の言葉が古語であったように、今後も書き換えが続いていくのである。江戸中期、初めて「古典をその時代の言葉で読む」方法が確立する。賀茂真淵、本居宣長らによって夥しい古語が読まれ、解釈され、『万葉集』や『古事記』は庶民に近くなる。その過程で生まれた仮説や誤りの謎を解き、言葉の本質を考える。」 さほど目新しい論ではなかったように思う。 研究史を知るうえでは便利かもしれないが、実際「古語の謎」と言う程のものはない、かな。 学術論文を無理やり一般向けにしている感が否めないため、どうしても分かりにくい箇所が出てくる。 それは致し方ない、か。 新書はあまり読まないので、一般的にそうなのかもしれませんが、個人的には章内での区切りが細かすぎて逆に分かりにくかったです。 後はいろいろ詰め込み過ぎているので、二冊ぐらいに分けて出してほしかったかも…。 「古語」が時代時代によって新しく出来る、という概念を多少分かりやすく述べています。 「言葉」というものに興味がある方で、「専門書や論文はちょっと…」という方は読んでみたらいいかもしれない。 もしふだん専門書や論文に親しんでいる方であれば、この本の最後に載っている参考文献を読んでみるといいかもしれないです。
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古語とは何か。明治維新前のことばのことか。−そうではない。相対的に、移り変わっていく、書き換えられていくことばなのだ。万葉仮名の読み方に関する紆余曲折、力のある学者の研究が及ぼす影響、消えていった古語。非常に研究ごころがくすぐられる一冊。おもしろかったー!!
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