無縁社会 の商品レビュー
日本人が熱望した"はず"の無縁化の進展と皮肉
本書は、島田裕巳先生の著書(「人はひとりで死ぬ」)とセットで読むといいです。 バブルに浮かれた世相はとうに過去のものとなり、長々期の低成長時代へと突入し、活気に欠く時代相。突破口の見えないトンネルから脱落する人々を追跡したのが本書。問題作だ。 殆ど全国民的に有縁社会を忌避した...
本書は、島田裕巳先生の著書(「人はひとりで死ぬ」)とセットで読むといいです。 バブルに浮かれた世相はとうに過去のものとなり、長々期の低成長時代へと突入し、活気に欠く時代相。突破口の見えないトンネルから脱落する人々を追跡したのが本書。問題作だ。 殆ど全国民的に有縁社会を忌避した結果が如実に示される。 ドキュメント形式。 現実に孤独死の瀬戸際におられるご年配の方々へのインタビューが多数掲載されている。 孤独に死んでゆく彼ら彼女らを不幸とするか、求めた結末だったと解するか。 本書が追跡した孤独死の社会問題化を政治の責任とばかり押し付けるのは、早計で安直にすぎはしないだろうか。
聖熟女☆ミ
周囲を見ても「孤独」かすらわからない住人が増えている感じがする。 縁が濃すぎる濃厚な付き合いもどうかとも思いながら遅ればせながら読了。
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迷惑をかけたくないという言葉の背景には 迷惑をかけられたくないという感情を包括した楽だからという理由で1人を選んできた過去があるのではないかと思った。 他人の迷惑を許容し、自分の迷惑を他人に許容してもらう寛大な図々しさをもちたい
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家族や引き取り手がなく、時には身元不明のまま自治体によって火葬され、共同墓地に葬られる人々(=行旅死亡人こうりょしぼうにん) 実際にその道をたどった人のことは勿論、近い将来そうなることを想って生きる人々、「消えた老人」問題、「呼び寄せ高齢者」に迫った取材記録。 (これはのちにNH...
家族や引き取り手がなく、時には身元不明のまま自治体によって火葬され、共同墓地に葬られる人々(=行旅死亡人こうりょしぼうにん) 実際にその道をたどった人のことは勿論、近い将来そうなることを想って生きる人々、「消えた老人」問題、「呼び寄せ高齢者」に迫った取材記録。 (これはのちにNHKスペシャルにて放送された内容に+αしたものだそう) 家族と疎遠になる、身寄りがない、独身で兄弟がいない、などの理由から孤独に立たされた彼ら(取材対象)の置かれた状況に対して、本著では「無縁社会」と表現しています。 昔は当たり前にあった家族との縁、職場での縁、そういったものが希薄になってきた結果、この無縁社会になってしまった、と本書は言います。 コミュニケーションを取らずに不自由なく過ごせる社会になったことが、間接的にしろ無縁社会を広げた可能性については否めません。 しかし、読み進めるうちに「ん?」となることがありました。 ある一人の男性は会社一筋で過ごしてきて家族をないがしろにしていたため離婚することに。娘や息子とも疎遠なため、勇気を持って面会に行っても迷惑そうにされるだけ。-家族の縁が切れてしまった、という内容。 『やり直しても、また同じになったかもしれないし』(p.185)と男性は語っているのですが、これは無縁なのか……? (持っていた縁を自らの過ちで断ち切っただけでは?) また、 ある男性は、四十代半ばに職を失い、家のローンがあったため借金を重ねることになった。ひきこもりになり、自殺を考えた、というもの。 この内容の後、このような記者コメントがあります。 『社会とのつながり、すなわち「働く」というつながりを失った時、死を選ぶ人たちがいるという現実を目の当たりにした瞬間だった。』(p.321) 「働く」というつながり(=縁)を失ったから死のうと思ったのではなく、どう考えても原因は「貧困」でしょう。 大抵の人は「寂しい」だけでは死なないと思うのですが違うのでしょうか。寂しくても、何か一つ楽しみがあったり最低限生きていけるなら「死ぬ」という選択肢をするのはどちらかというと稀ではないでしょうか? そこに追加要素として「病」や「貧困」が関わってくるから、人は「死のう」と思うのだと思います。病気だけれども病院代が支払えないから苦しいとか、介護をしている家族がいるのだけれども自分が生きているだけで精一杯で苦しいとか、就職していたけれど身体を壊して失業、うつ病を患い、(縁を失ったからではなく)生活費にも困って死のうと考えた、とか……取材していて具体的な背景を知っているにも関わらず、こうも記者たちが”縁”に原因を持って来ようとするのは何故なのでしょう? 私にはとても疑問でした。 確かに僅かでも誰かとの”縁”を感じることができたら生きる張り合いにはなるのだろうと思います。 そう思うとともに、(終盤でNPO法人の活動と共同生活について触れられていましたが)何かしら人の縁を持てばそれで安泰、ではないのです。 貧困は縁だけでは解決できません。コミュニケーション能力だけが就職を成功させることがないのと同じです。 最早誰にとっても他人事ではない孤独死に対して、これから「整えていける対策は整えましょう」とはならないのが不思議です。 ”ネット縁”を提案した方の意見を実際に聞いておきながら、「じゃあ新しいつながりを作る仕組みはどんなものがあるだろう」とか「一人でも最後には発見して弔ってもらえるようにこういう仕組みがあります」とか「まだ仕組みはないけどこういう考えを持っている人がいます」とか……そういう方向にはならないのでしょうか。 『無縁社会の拡がりを食い止めようとしても、時計の針を逆に戻すことはできない。私たちに必要なことは、ひとりで生きていくことが当たり前の時代となった今、無縁社会と向き合って生きる覚悟、そして、無縁社会を乗り越えて生きていく覚悟ではないか――それが取材を通じて、スタッフの皆が感じてきたことである。』(p.339) とありますが……いやいや、”覚悟”だけでどうにかなるなら、”根性だ!”って水も飲まずに運動しているのと同じじゃないですか。スタッフの皆が感じたのに、皆そこには至らなかったってことなんでしょうか。 しかし一方で、取材記録として純粋に見るのなら、価値ある情報であるとも感じました。 NHKだけあって人員、日数、費用ともに普通では難しい基準のものを達成しているのではないでしょうか。 (単なる推測にすぎませんが……悪しからず)
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血縁→地縁→社縁→無縁(今ココ) 無縁になる可能性は誰にでもある。 生涯未婚、離婚、パートナーの死、子どもの東京勤務、 会社からの退職、地域社会の崩壊、など。
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どうもよくわからないのは、行旅死亡人がたくさん増えたことが、なぜそんなに驚きなのかということ。 そういう死亡は昔からあったし、単身高齢者や高齢者夫婦のみの世帯がこれだけ増えてきたのだから(そして都市部ではこれから激増するのだから)、そういう死に方がもっともっと増えてくるの明らか...
どうもよくわからないのは、行旅死亡人がたくさん増えたことが、なぜそんなに驚きなのかということ。 そういう死亡は昔からあったし、単身高齢者や高齢者夫婦のみの世帯がこれだけ増えてきたのだから(そして都市部ではこれから激増するのだから)、そういう死に方がもっともっと増えてくるの明らかだ。 以前の100歳以上の高齢者の所在不明騒ぎもいまいちピンとこなかった。 あの騒ぎは、同居している家族が年金を詐取していたというようなことが問題の中心ではなかった。 100歳以上の高齢者が、生きているのか死んでいるのか誰もわからない、とくに行政が把握していない、そこが問題とされたのだと思う。 マスコミの騒ぎを受けて、厚生労働省が100歳以上高齢者の調査を自治体に命じたのではなかったか。 しかしこれもおかしな話だ。 高齢者の生死が不明なのが問題だというのであれば、100歳以上の老人だけでなく、90歳以上、いや90歳以上ではなく、80歳以上、いや、70歳以上で行うべきではなかったのか。 いやいや、高齢者の定義は65歳以上ということになっているのだから、65歳以上全員、約2600万人を対象に調査しなければならなかったのではないか。 いやいやいや、住民が生きてそこにいるかどうかを行政が把握していなければオカシイというならば、国民全員を対象にやるべきだ。 原理的にはそこまでいかなければならないはずだ。 20代、30代、40代に対してもやるべきだ。 しかしそこまで国民の管理が徹底した社会というのは、ずいぶん窮屈な社会だろう。お宅の40歳の息子さんは家に閉じこもっているようだが、生死確認のために役場から来ました、というような社会。 あそこで騒いだ人たちは、それを行政に望んでいたんだろうか。 この社会はそういう姿であるべきだといっていたんだろうか。 それは論理の飛躍だというのであれば、では、なにを騒いでいたのだろう。どうすればいいといっていたんだろう。やっぱり年金詐取が問題だと言いたかったのだろうか? であれば、年1回ハガキで現況届けを出せばよいという善意に基づく確認方法の欠陥を追求すればいいはずだが、あまりそういう議論は聞かれないまま終熄したようだ。結局、この方法は変更されたのだろうか。一番確実な解決方法は、65歳以上の年金受給者の自宅を、毎年役場の人か警察官が訪ねて本人確認することだが、ずいぶん人手と金がかかる話だな。 というわけで、どうもよくわからないままです。 無縁社会というのは、お葬式に誰もきてくれないということが問題なのかな。 誰がお墓まいりするかが国民的課題だとアピールしたいのかな。 人は一人で死んでいくというのは当たり前のことだと思うが。
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ほんのわずかの出来事で無縁死に落ち込むことがあることが分かりぞくっとする。こんな社会に誰がしたのか?
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現代社会の問題点を取材した内容。 だが。 孤独死でいつまでも発見されないのは悲劇だし、周りにも迷惑なので避けたい事態だ。 無縁死で遺骨の引き取り手がないのは、家族の有りようの変化や、個人の事情が大きいので一括りには出来ない。 無縁で何がいけない? 引き取り手がなくて何がいけな...
現代社会の問題点を取材した内容。 だが。 孤独死でいつまでも発見されないのは悲劇だし、周りにも迷惑なので避けたい事態だ。 無縁死で遺骨の引き取り手がないのは、家族の有りようの変化や、個人の事情が大きいので一括りには出来ない。 無縁で何がいけない? 引き取り手がなくて何がいけない? かわいそうだと思うのは血縁者以外の人間だ。 本人は既に何も感じられないのに。 縁の薄い社会になりつつあるのだから、それを踏まえた身の仕舞い方を考えて行くしかない。 個人的見解だが、その家の墓に入ること、または入らないことの重要性が解らない。 疎遠になっていたから入れちゃだめなの? 血族だけど、名字が違うから入れちゃだめなの? 故人を偲んで弔いたい人が引き取ればいいんじゃないの? 血縁者以外は引き取ってはいけない意味は何なの? 100年も経てば、その人のことを覚えてる人もいなくなる。その墓に対して、生きてる私たちがそれ程執着する必要はあるのだろうか。 自己責任とは、本当に都合のよい言葉だ。 確かに国の責任でも、ある。個人の責任でも、ある。 無知が最大の原因だ。 身の仕舞い方については考えてさせられる内容だった。
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2017/12/25 ふつうに働いて、ふつうに生きていても世間や家族と縁が薄くなってしまう。 結婚しても、しなくても。子供がいても、いなくても。働いていても。 孤独死というのは、歳を重ねれば起こる可能性は高くなることだとは思うけど、生きていて周りとの縁が薄いということが心細くて、自分に意味が見出せなくなりがちだと思う。 今私は育児中で、実家もそれなりに遠いため周囲との縁を作っているところだけれど、「人とのつながりがなくなるのは、生きている孤独死みたいなもんですよね」という取材対象の方の言葉が響いてしまった。 この本の趣旨とは違うけれど、産後しばらくはこういう気持ちだった。 クリスマスに読んだけど単純に悲しくなった…
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日本の無縁死は年間3万2千人という数字に衝撃を受ける。 日本社会の深層において、実は多くの日本人が深い孤独感と絶望感にさいなまれているという。他人の心の内というのは外からは見えないから分からない。だが、高齢者などが訪問販売などによる詐欺にひっかかってしまうのは深い孤独感ゆえに誰...
日本の無縁死は年間3万2千人という数字に衝撃を受ける。 日本社会の深層において、実は多くの日本人が深い孤独感と絶望感にさいなまれているという。他人の心の内というのは外からは見えないから分からない。だが、高齢者などが訪問販売などによる詐欺にひっかかってしまうのは深い孤独感ゆえに誰か話し相手を求めたケースが多いという。最近の詐欺事件の頻発というのは孤独感をおぼえる人が多くなった証左であろう。 この本を読んで気づかされたことが3つある。 ①家族・親族に対し無責任だったから無縁になったのではなく、実は責任感が強くて無縁になった人が多い 無縁死する人というのは若い頃に放蕩した結果、家族・親族から見捨てられて独りぼっちの老後を過ごさねばならなくなってしまうのだと思っていた。だからそれは自己責任であり同情の余地なし、と考えていたのだが、その認識は間違いであった。人にはそれぞれ事情がある。連帯保証人となってしまい借金を抱えたり、病気で働けなくなったり、などして家族を養えなくなってしまった責任をとって家族・親族の元を去っていくケースも多いという。 ②会社というのは社縁をつくる貴重な場なのだが、大切なのは家族・親族である 若い頃には会社に勤めてバリバリ営業していたというケースも多いという。仕事にかまけて家族・親族をないがしろにした結果である。 ③人が老いて弱るのは確実であり、いい歳になったら定職について身を固めないといけない 人が老いるのは確実である。20代から30代、30代から40代、40代から50代、50代から60代、などあっという間である。独り身は気楽であるのだが、その結末は老後の孤独となる。ネットの普及によりみんなとつながりあっているような感覚になるのだが、それは錯覚である。本当につながりあえるのは家族だけなのである。いい歳になったら定職について身を固めないといけない。 この前、生涯就労を提言するレポートを読んだ。老後に必要なのはカネではなく、人とのつながりなのだ。生涯就労というのも無縁社会をなくすひとつの解なのかもしれない。
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