ペラギウス・コード の商品レビュー
ローマ時代末期、初期キリスト教時代に、ローマを中心にペラギウス主義といわれる教義を展開したペラギウスの伝記。 のちに主流となるアウグスティヌスの思想、原罪の罪と肉体の穢れを強調した思想を、悲観主義として批判し自由意思を強調したものだったが、のちに異端とされる。 本書は、自らはそ...
ローマ時代末期、初期キリスト教時代に、ローマを中心にペラギウス主義といわれる教義を展開したペラギウスの伝記。 のちに主流となるアウグスティヌスの思想、原罪の罪と肉体の穢れを強調した思想を、悲観主義として批判し自由意思を強調したものだったが、のちに異端とされる。 本書は、自らはその教義を示す書籍を書かなかったペラギウスの思想を、ペラギウス家に代々仕え、ペラギウスの子供のころからの友であり、秘書であったカエレスティウスの視点を通して伝えている。 ローマ史を淡々と描いている塩野七海のローマ人の物語とは異なる、とても私的な描き方になっているが、ペラギウスの思想そして、当時のローマ人の暮らし、同時期に生きたローマ人の考え方、また、教義を広める拠点となったアカデミアでの学生との姿が、非常に生き生きと伝わってくる。 アカデミアでの教義、ペラギウスの思想を展開するために、カエレスティウスは二人の故郷であるブリタニアに赴く。カエレスティウスは、ペラギウスの思想の熱心な信奉者であるペトロス司教が興した学院での学習方法に驚き、ペラギウスが書籍としてその教義を残さない真の理由を知る。その学院での勉強とは、自らが考えることではなく、ペラギウスの書簡としてペトロス司教に届けられた手紙を、教師がそのまま教え込む「授業」だったのだ。自由意思を尊重するペラギウスは、学生自らが考えることを求めていた。 ブリタニアから帰還したカエレスティウスは、奇跡的にペラギウスとの再会を果たす。すでにローマは蛮族によって蹂躙され、また異端とされたペラギウスは国外に脱出する途中だったのだ。 その後、ペラギウスがどのように姿を消したかは、明らかになっていない。 カエレスティウスは、ペラギウスの秘書であった過去を隠し、アレキサンドリアで暮らしている。 この物語は、静かに、美しい景色と、静かな音楽を背景に、映画で観たいと思った。 そんな物語でした。
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ペラギウスって誰?「誰か」とさえ思わない、ペラギウスって何、恐竜の名前? とか。…そんな人が大多数であろう。古代ローマ、それもカトリック公会議とかアウグスティヌスとか教義論争とか異端とか、その他に馴染みのある人のほうが、極く極く少数のはず。つまり採算度外視の刊行かな、それならば尚...
ペラギウスって誰?「誰か」とさえ思わない、ペラギウスって何、恐竜の名前? とか。…そんな人が大多数であろう。古代ローマ、それもカトリック公会議とかアウグスティヌスとか教義論争とか異端とか、その他に馴染みのある人のほうが、極く極く少数のはず。つまり採算度外視の刊行かな、それならば尚のこと私が買わねば誰が買う!?だけど「世界史」の記憶の残像のある方には、「アリウス派異端宣告、アタナシウス派を正統と認定、アリウス派的教義はゲルマンで…」なんてことを断片的にご記憶かも。ちょっと違いますが、そのようなエピソードを史実(如何せん資料が少なすぎるけれども)に基づき、ペラギウスという人物に焦点を当てて物語に仕立てたものだ、と言ってもいいでしょう。激烈なる論争の末に駁されたということは、返せばそれだけ論争の種となるべき強固な考え方だった、ということです。当然のことながら、本人は異端どころか「正統だ」と信じていたはずです。私は「ペラギウス」という名を素通りできないから、「何これ?」と手に取った。限りなく史実に拠ったとはいえ「フィクション」であるとしても、でも私は、せめて私だけでもこれは買って読まねば。「ダ・ヴィンチ・コード」に因んで『ペラギウス・コード』というタイトルは、意図はわかるけれどそれほど効果あるかしらん(原題は「THE PELAGIUS BOOK」)。こういうのを面白いと感じる方には、必ず面白いはずです、請け合います(こんなんじゃ、なんにも言ってないような気もしますが)。あ、そうだ! 塩野七生読者のみなさーん、殊に「ローマ人の物語」から「マキアベッリ」をなぞっておいでの各々方、5世紀ローマ帝国のこのような一面もご存じのほうがいいと思いますよ〜!「ルネサンスもの」の基礎にもなりますよ、保証します!?これなら少しは宣伝になるかな?もちろん、単独の物語として読めるから、これは大事なこと。
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