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根津美術館 の商品レビュー

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2021/03/05
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 図書館で「琳派」の本を探していて、確か根津美術館に「 燕子花図」があったなぁと、ただそれだけで手に取った。  根津嘉一郎翁(山梨県出身、実業家、政治家)が、個人で美術品や工芸品を購入し、国宝が7件、重要文化財が87件他に重要美術品等を何千件も所蔵、東京青山に創建した根津美術館。2009年に新築オープンしたとのこと。  美術品や工芸品の価値というのは、その造形や味わいといったものについて、それが創作された時代の技術的及び文化的背景の歴史的な位置を知ることによってさらに深まるのだろうなと、いまさらながらに気がついた次第である。  またひとついい勉強をさせてもらった。

Posted byブクログ

2011/10/25

人はみな「幸せになりたい」と願いながら生きています。けれど、幸せのカタチは人それぞれ。文筆家・橋本 治氏は、尾形光琳の筆による国宝「燕子花図屏風(かきつばたず・びょうぶ)」(根津美術館蔵)を見て、「幸福」を感じたそう。氏が尾形光琳と出会って感じた、その幸福とは――。  * * ...

人はみな「幸せになりたい」と願いながら生きています。けれど、幸せのカタチは人それぞれ。文筆家・橋本 治氏は、尾形光琳の筆による国宝「燕子花図屏風(かきつばたず・びょうぶ)」(根津美術館蔵)を見て、「幸福」を感じたそう。氏が尾形光琳と出会って感じた、その幸福とは――。  * * * 尾形光琳の描いた「燕子花図屏風」を見ていると、あるいは、その存在を胸に思うと、こういう絵を存在させてしまった日本にいること、日本人であることを「幸福だな」と思う。 この絵のために付け加える余分な言葉などいらないと思う。「この絵の前で言葉を失う」ということになると、「圧倒されて言葉を失った」ということにもなってしまうが、尾形光琳の「燕子花図屏風」は見るものを圧倒なんかしない。もっと穏やかな、幸福な気持ちで包み込んでくれる。 画面全体を覆った「金色の水」が画面の外にまで溢れ出て、その中に足をひたしているような気分になる――「仲良く燕子花と一緒に黄金の足湯」といったようなところだろうか。 「黄金の水」というのもなんだかへんなもので、よく考えると体に悪そうな気もする。だから、「燕子花図屏風」の背後にある金色は、「水」ではなくて、「太陽」だなどということも考える。これもまたへんな考え方で、燕子花の花盛りが似合うのは、雨の降る梅雨空で、金色の太陽が燦然(さんぜん)と輝き続ける頃に、紫の花は枯れている。 でも、「燕子花図屏風」のバックが金箔ではなくて、梅雨空を連想させるような銀箔だったとしたら、「燕子花図屏風」は、これほどの幸福感を見る人に与えないだろう。 (中略) この絵を描いた人は、紛れもなく「幸福な人」だ。なんの濁りも、なんのてらいもない。その幸福な人が、自分の一番好きな花でもあっただろう、燕子花の絵を描いた。ここに描かれている燕子花は、紛れもなく「花の形をした美しい青春」だ。だから、金色の太陽がよく似合う。その幸福感を表明するのに、輝く黄金の色はふさわしい。 安土桃山時代を席捲(せっけん)した豪華な金箔の障屏画(しょうへいが)は、戦国という時代を生き抜いた武将達のステイタスとなった。その絢爛(けんらん)豪華な勢いが、尾形光琳の元禄時代になって「青春の耀(かがや)き」となった。 そう考えると美しい。「なんでそんなへんなことを考えるんだ」と言われても、尾形光琳の「燕子花図屏風」を見ていると、それが自然に思われる。 (中略) 「時代を貫いて存在し続ける幸福のイメージ」というものはかなりすごいものでもあるはずだけれども、過去の日本にはそれがあった。その幸福のイメージが、紺と緑の光輝く燕子花の形となって、なおも残っている。それは、本当に幸福なことなんじゃないかと、私は思う。

Posted byブクログ