三島由紀夫と戦後 の商品レビュー
昭和45年(1970年)11月25日三島由紀夫が市ケ谷の自衛隊東部方面総監部で割腹自殺してから40年以上経った。三島先生の「このままでは日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう」...
昭和45年(1970年)11月25日三島由紀夫が市ケ谷の自衛隊東部方面総監部で割腹自殺してから40年以上経った。三島先生の「このままでは日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう」という託宣は、まさに現代の日本を一言で言い表す表現であろう。小説における氏の耽美的な且つ濁った日本の姿、その表現はまさに芸術として完成されたものである。しかしこの本に石原慎太郎が書いているのだが、師弟関係にあった川端康成が三島先生を実は好きではなかったのではないか。とか、三島氏は実際には天皇を尊敬しておらず、氏の行動に利用していただけではないか。とか推測で語っていた。これは小説家としても三島先生の足元にも及ばなかった、平凡な物書きの嫉妬心が滲み出ていて実に哀れである。
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なんかいろいろ書いたのに消えてるー 三島由紀夫は太宰治と並んで気になる作家のひとりである。 その破滅型の人生に、多くの人は結局寂しかった人生・道化のような人生といった結論を与えたがるが、それも含めて本人たちは輝いた生を生き、世の中に見せ付けたことをしてやったり、と思っているの...
なんかいろいろ書いたのに消えてるー 三島由紀夫は太宰治と並んで気になる作家のひとりである。 その破滅型の人生に、多くの人は結局寂しかった人生・道化のような人生といった結論を与えたがるが、それも含めて本人たちは輝いた生を生き、世の中に見せ付けたことをしてやったり、と思っているのではないだろうか。 石原慎太郎の回顧録のようなものが出て、あの人は結局云々ということを言っているのだが、思想のために死んだ芸術家と巨大な権力を手に入れてしまった人間を比べれば、生きている間はともかく、歴史の審判を経て輝くのは芸術家である以外にないと僕は思っている。
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