我的日本語 の商品レビュー
エッセイを集めたような本である。ちくまの冊子を集めたのかもしれないが記載されていない。文学色は少し薄れて誰でも読める文章になっている。中国のことをもっと書いてもらっても面白かったと思う。
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2012.9.21 推薦者:ヴァネッサ(http://ayatsumugi.blog52.fc2.com/blog-entry-186.html)
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リービ英雄は、17歳の時父の仕事の関係で来日し、初めて日本語にふれる。日本語を母語としない彼が、日本語の響きや、文字の美しさにひかれながら、自ら日本語でエッセイや小説を書き綴るようになるまでの過程を描いた著作。英語を母語とする彼はまずは『万葉集』の英語訳という仕事を研究者として行...
リービ英雄は、17歳の時父の仕事の関係で来日し、初めて日本語にふれる。日本語を母語としない彼が、日本語の響きや、文字の美しさにひかれながら、自ら日本語でエッセイや小説を書き綴るようになるまでの過程を描いた著作。英語を母語とする彼はまずは『万葉集』の英語訳という仕事を研究者として行っていたが、それには飽きたらず、自ら日本語で表現しようということに目覚めていく様子を描く中で、日本語を母語とする者では見過ごしがちな日本語の魅力を再発見することができる一冊。
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★3.5 英語が母語で、日本語とのバイリンガルで、しかも日本語の書き言葉についての造詣の深さに感銘。 特に印象に残った箇所は20ページの以下の部分: 「ぼくは英語ならタイプを打つが、日本語のワープロは使わない。一度試みたことがあったが「変換する」という行為が嫌いだった。ロー...
★3.5 英語が母語で、日本語とのバイリンガルで、しかも日本語の書き言葉についての造詣の深さに感銘。 特に印象に残った箇所は20ページの以下の部分: 「ぼくは英語ならタイプを打つが、日本語のワープロは使わない。一度試みたことがあったが「変換する」という行為が嫌いだった。ローマ字か仮名で打ち込み、ボタンを押してその軸を選ぶ、そのことにすごく引っかかってしまう。自分で文章をかきながら、感じか平仮名か片仮名を、選ぶ。そこに日本語の、いい意味での不自然さが入っていると思う。」
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それぞれの「言語」によるworldといううのは面白い。 しかし、考えてみると、やはり日本語の「世界」とworldは別物だと思うな。それは恐らく小説と大説の違いに等しい。
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NHK週間ブックレビューで取り上げられていたのが気になって手に取った作品。別作者の「日本語が滅びるとき」と同じような内容を期待していたが、結局は、作者の日本に対する雑感が述べられたものにすぎないように感じた。外国出身者が書いたというところに価値があるのかもしれないが、私にはわから...
NHK週間ブックレビューで取り上げられていたのが気になって手に取った作品。別作者の「日本語が滅びるとき」と同じような内容を期待していたが、結局は、作者の日本に対する雑感が述べられたものにすぎないように感じた。外国出身者が書いたというところに価値があるのかもしれないが、私にはわからなかった。
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新宿で日本語を文字通り体得し、日本語で書くようになった作家リービ秀雄の自伝的日本語論。日本語のうちにある緊張を、イメージを喚起する詩的な力に変える可能性を万葉の歌や俳句のうちに見届けるとともに、自作の小説を紹介しながら、真名ではない仮名の含まれる混じり文で書くことの可能性を探る...
新宿で日本語を文字通り体得し、日本語で書くようになった作家リービ秀雄の自伝的日本語論。日本語のうちにある緊張を、イメージを喚起する詩的な力に変える可能性を万葉の歌や俳句のうちに見届けるとともに、自作の小説を紹介しながら、真名ではない仮名の含まれる混じり文で書くことの可能性を探る。それは、不純なもの、正統的でないものが混じり込む言葉で語ることの肯定であり、日本語を翻訳に、翻訳の創造性に立ち返らせる試みである。それをつうじてこそ、言語の歴史を踏まえつつ、世界史的な現実と渡り合える日本語の表現が生まれるのだ。 そのように異言語に身を晒すことの重要性を説くリービの議論のプロセスには首肯できる点が多いとはいえ、それによって最終的に、近代国家の統合のために仮構されたにすぎない「日本語」という言語が全体として自明化されそうな傾きにはいささかの危惧を覚える。
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リービ先生自身の作品が日本語で生み出された経緯を語る本でした。日本語を母語としないものが日本語で日本を、世界を書く、日本語は誰のものか、日本文化の担い手とは誰のことをいうのか、という問いは私にもとても興味があります。最初は万葉集を引き合いに出して、翻訳の話が出て来ます。田児の浦ゆ...
リービ先生自身の作品が日本語で生み出された経緯を語る本でした。日本語を母語としないものが日本語で日本を、世界を書く、日本語は誰のものか、日本文化の担い手とは誰のことをいうのか、という問いは私にもとても興味があります。最初は万葉集を引き合いに出して、翻訳の話が出て来ます。田児の浦ゆうち出てみれば真白にそ不尽の高嶺に雪は降りけるの「真白にそ」white,pure whiteと授業で訳したことを思い出しました。翻訳とは置き換えではなく、ときに作者の意図するところを強調した映像、イメージとして伝える場面があるんだとオモシロく思ったものです。
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