飽きる力 の商品レビュー
これまでの生き方、努力の仕方をいつまでも続けても成長しない。飽きる力で、様々なやり方、様々なことにトライしてみたら考え方や視点が広がり成長につながりということだったと思う。オートなんちゃらについてはよくわからないけど、問題があるところに集中して視野が狭くなっていては物事が進まない...
これまでの生き方、努力の仕方をいつまでも続けても成長しない。飽きる力で、様々なやり方、様々なことにトライしてみたら考え方や視点が広がり成長につながりということだったと思う。オートなんちゃらについてはよくわからないけど、問題があるところに集中して視野が狭くなっていては物事が進まないので、まず飽きて違う視点を持とうということが書かれていたと思う。その通りかなと思う。以外に役立つ本かも。
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オートポイエーシスという聞きなれないものについて語られているので、直接的に飽きる力を書いていないように感じられるかもしれないが、それこそまさしくオートポイエーシス的に飽きる力を語っているように思う。 飽きる力は否定的なイメージが付きまとうが、その力を意識的に活用していけば、おもし...
オートポイエーシスという聞きなれないものについて語られているので、直接的に飽きる力を書いていないように感じられるかもしれないが、それこそまさしくオートポイエーシス的に飽きる力を語っているように思う。 飽きる力は否定的なイメージが付きまとうが、その力を意識的に活用していけば、おもしろい展開になると予想し、それは間違いではなさそうだと思えた。 飽きる力は人間に元々備わっていて、記憶したものを忘れていく力のように、なくてはならないものなのだ。 日本人の美意識のようなもののせいで、飽きる力はその効果を発揮しきれずにいた。意識を変えるでもなく、飽きる力は全く別の次元へ私を飛ばしてくれるような感覚がある。無意識と有意識を繋ぎ合わせ、頑張りすぎないやり方を飽きる力を使いつつ、探していきたい。
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「日々、自分のなかで経験がすごい速さで動いてしまう、そのことに対して、飽きていくということなのです。飽きるということは速度を遅らせるという面をもちます。速度を遅らせて、選択肢を開くということなのです。」 「意識の間接的活用」 よりよく動くためにどうしたらいい、という内感 とにか...
「日々、自分のなかで経験がすごい速さで動いてしまう、そのことに対して、飽きていくということなのです。飽きるということは速度を遅らせるという面をもちます。速度を遅らせて、選択肢を開くということなのです。」 「意識の間接的活用」 よりよく動くためにどうしたらいい、という内感 とにかく、何度でも、それこそ「飽きるまで」立ち返っていきたい本
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一所懸命に物事を成すことも大事だけれど それに、ふり回されて上手くいかなくなったら、思いきって「飽きてみる」つまりは執着をすてる。 まじめな人が必ずしもHappyになれるとは限らないもんね。ということを、のう科学的にすこし小難しく書かれています。 よかったら、読んで見てください。...
一所懸命に物事を成すことも大事だけれど それに、ふり回されて上手くいかなくなったら、思いきって「飽きてみる」つまりは執着をすてる。 まじめな人が必ずしもHappyになれるとは限らないもんね。ということを、のう科学的にすこし小難しく書かれています。 よかったら、読んで見てください。 志學館大学 : 気がつけば、いつも1人
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飽きる力の飽きるとは、選択のための隙間を開くこと。一生懸命やっても伸びないときに有効な努力を続けるためには、どうすればいいのか。著者の専門の「オートポイエーシス」への取り組みを通じてわかったこと。同じ成功はない。やみくもに努力を続けるのではなく、「飽きる」ことで次のステップを見つ...
飽きる力の飽きるとは、選択のための隙間を開くこと。一生懸命やっても伸びないときに有効な努力を続けるためには、どうすればいいのか。著者の専門の「オートポイエーシス」への取り組みを通じてわかったこと。同じ成功はない。やみくもに努力を続けるのではなく、「飽きる」ことで次のステップを見つけるのです。
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筆者は「オートポイエーシス」を提唱しているが、それが今ひとつ理解できない。 本人もつかみどころがないものだと本書でも言っているのであるが。 *オートポイエーシス(autopoiesis)は、1970年代初頭、チリの生物学者ウンベルト・マトゥラーナとフランシスコ・バレーラにより、...
筆者は「オートポイエーシス」を提唱しているが、それが今ひとつ理解できない。 本人もつかみどころがないものだと本書でも言っているのであるが。 *オートポイエーシス(autopoiesis)は、1970年代初頭、チリの生物学者ウンベルト・マトゥラーナとフランシスコ・バレーラにより、「生命の有機構成(organization)とは何か」という本質的問いを見定めるものとして提唱された生命システムの本質に迫ろうとする概念である。(Wikipediaより) はて、飽きる力とオートポイエーシスとの関係もよくわからないのであるが、本書から得たことは「面白くするために努力する」「努力して得られたものは本能として身に着けて、忘れる」「がんばっているという状況になった場合は、本当にゴールへ進んでいるか経験のしかたを見直すべき」 少し気分が救われたような感もあるが、やはりわからないのである。
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進歩のプロセスに「飽きる」というポイントがあった。ただやみくもに同じ努力を続けるのではなくたまには違う視点で事象を捉える。この、ごく当たり前の昔から言われてきた「視点変換(?)」の発動トリガーとして、飽きたー、という状態がある。普段はネガティブに捉えてしまう「飽きる」という現象も...
進歩のプロセスに「飽きる」というポイントがあった。ただやみくもに同じ努力を続けるのではなくたまには違う視点で事象を捉える。この、ごく当たり前の昔から言われてきた「視点変換(?)」の発動トリガーとして、飽きたー、という状態がある。普段はネガティブに捉えてしまう「飽きる」という現象も、飛躍のトリガーとして、前向きに捉えることが出来るようになるのかな、って感じた一冊。一部難解な箇所があり、特にオートポイエイシスについては小生のような素人には殆ど理解できない。理解できないまま、筆者がオートポイエイシスの研究に(飽きもせず)ハマっていく過程が記されており、難しくて解らんが何だか面白そうなテーマだなぁ、と感じさせる。
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主な内容はわかったが、よくわからない本。 簡単にまとめてしまうと、「ずっと同じ方向の努力ばかりしてないで違う方向の努力もしてみましょう」ということなんだろう。 そのきっかけとして「飽きる」ということがある。 「飽きる」とは、全く見えないながらも何かを感じとって起こる?らしい。...
主な内容はわかったが、よくわからない本。 簡単にまとめてしまうと、「ずっと同じ方向の努力ばかりしてないで違う方向の努力もしてみましょう」ということなんだろう。 そのきっかけとして「飽きる」ということがある。 「飽きる」とは、全く見えないながらも何かを感じとって起こる?らしい。 その直感とも言えそうなサインを読み取って、方向性を変えながら「がむしゃらな努力」じゃない方法で進みましょう、ということらしい。 それを説明するキーワードとして「オートポイエーシス」なる概念がある。 これがまたよくわからない。 ほっといても何か進めていれば勝手に組み上がる感覚、とでも言うのか。 言葉にすればするほど理解していないことが晒し上げられるように意味がわからない。 すっきりしない本。
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仕事で、息詰ま李、閉塞感をおぼえたら、とりあえず寝て、また明日考えるということでいい。そうやって、心に隙間を作ることが、閉塞感の打破に繋がるのであろう。
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~の力、という題名をつけて 売れ筋をねらいつつ、自分の研究テーマを発表しようとしている 本かな、と思ったら、やはりそのようである。 しかし、そのテーマがやけに面白い。 読み終わっても、一体なんのことやらさっぱりわからなかったが (哲学系の人はわかるでしょう。きっと。) 魅力...
~の力、という題名をつけて 売れ筋をねらいつつ、自分の研究テーマを発表しようとしている 本かな、と思ったら、やはりそのようである。 しかし、そのテーマがやけに面白い。 読み終わっても、一体なんのことやらさっぱりわからなかったが (哲学系の人はわかるでしょう。きっと。) 魅力的で楽しい本だな、と思いました。
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