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不完全なレンズで の商品レビュー

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9件のお客様レビュー

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2018/09/02
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

フランスを拠点に活動した写真家ロベール・ドアノーの芸術家や写真家の撮影の詩的な回想録。被写体はブラック、ピカソ、ユトリロ、ブラッサイなどなど。岬のうらぶれた居酒屋、ビストロから絢爛たるベステギの舞踏会まで。芸術の都パリの面影に触れることができる。

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2015/10/17

"機会あるたびに、私は彼らの写真をさっと掠めとるように撮影したものだ。  それがまっとうなやり方かって? 考えたこともない問いだ。” ・・・いい時代だったんだろうな。 パリの写真家(1912-1994)。 ブレッソンを語ったところが面白かった; ”即決こそが、彼の...

"機会あるたびに、私は彼らの写真をさっと掠めとるように撮影したものだ。  それがまっとうなやり方かって? 考えたこともない問いだ。” ・・・いい時代だったんだろうな。 パリの写真家(1912-1994)。 ブレッソンを語ったところが面白かった; ”即決こそが、彼の領域なのだ。 「力いっぱいに、巻かれたゼンマイ」。こんな評言が彼の気に入らないはずはないだろう。  アンリ・カルティエ=ブレッソンの精神のメカニズムは、電光石火で機能する。この直観と地理と文化、そして他の多くの素材を精神に混ぜ合わせるために、彼の頭の歯車はなんと素早く回転していることか。” ”しかし、驚くべきことは、おびただしい苦役を犠牲にして得られたイメージが、正確無比なフレーミングのなかで、じつにみごとな均衡と穏やかさを示していることだ。” ”アンリ・カルティエ=ブレッソンとは、キューピッドとその矢である。優雅さと集中力。今度会ったら、そのあたりをちょっとつついてみよう。”

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2016/11/04
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

堀江敏幸/文学柔夜話Vol.6 フランスの写真家ロベール・ドアノーの名前はご存知なくても、「市庁舎前のキス」というモノクロ写真はお馴染みでは?恵比寿の東京都写真美術館の外壁にどーんとある、アレです。あれを撮った人です。 彼の著作「不完全なレンズで」を翻訳した経緯の話。 福原義春の駒井哲郎コレクション展のカタログ執筆や 林洋子との公開対談に至るいきさつ。 木村伊兵衛渡仏時にパリ案内したのがドアノーだったこと、仲介したのが高田美だったこと。 中条昇平といい、仏文学者は英文や独文の人たちに比べると映画やら写真やら、ビジュアル重視のようで。 *************** ドアノーは緒形拳を撮影しているそうで、そのドキュメンタリーが来年公開されるそう。ちょっと調べたら・・・・ 2011.1.10 渋谷のライブ&レストラン・バー「サラヴァ東京」 ピエール・バルー撮影のドアノー+緒形拳の映像上映 +ピエール・バルー&堀江敏幸「ドアノーのパリ郊外」トーク

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2019/06/02

[関連リンク] Twitter: https://twitter.com/#!/solar1964/status/195162828120920065

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2011/12/30

amazonの「おすすめ」で目にした本。表紙に惹かれてる。でも、円高の日本に注文して送料込みで買う、までの道は遠い。

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2011/09/16

『これがヌード写真だったら、同様の実験をするのは無理だったろう。女性の身体は流行の気まぐれをこうむって、あまりにも形を変えやすい。映像の二重映しを許さないのである』-『「デ・ブブリエの抜け道」におけるアジェ氏』 例えば、全く読めないにもかかわらずフランス語の本を読みたいという気...

『これがヌード写真だったら、同様の実験をするのは無理だったろう。女性の身体は流行の気まぐれをこうむって、あまりにも形を変えやすい。映像の二重映しを許さないのである』-『「デ・ブブリエの抜け道」におけるアジェ氏』 例えば、全く読めないにもかかわらずフランス語の本を読みたいという気持ちだけで、発音すら覚束ないままに読み(?)進めたとして、そこからは何も生まれないのだろうか、と考えてみる。論理的に考えれば、何も意味として理解され得ないのだから何かが生まれるべくもない、との答えに至ることは至極当然だと解ってはいるのだが、どこかでそれを否定したい気持ちがやはり残る。 ことは単に言葉の意味の問題なのだろうか、ということなのだ。フランス語でなく英語なら何かが生まれるか。もっと端的に日本語で読む場合なら必ず何かが生まれると言えるのか。そんな風に誰に対するでもなく詰問したい気持ちが沸々と湧いてくるのだ。 もちろん、ドアノーの語る世界に親しみがある人ならば、この「不完全なレンズで」でドアノーが「言っている」ことにきっと直ぐに「ああなるほど」となるのだろう。彼が言及する芸術家や文化人、その作風や人となりについて、前提となる知識があればドアノーが「言わんとしている」こともより深く理解できるには違いない。しかし、何故か自分には「言っている」ことに対する既知が「言わんとしている」ことの理解に対する絶対必要条件であるようには思えないのだ。それが絶対必要であるとすると、自分の中で静かに湧き続ける頁を繰りたい気持ちの源はなんなのだろう、と解らなくなってしまうのだ。 本の価値は情報だと断定する作家もいるけれど、そうであれば、この本の価値は文中に数多く添えられた注釈の番号と本の後ろにまとめれた事実にこそある筈だ。しかし、ドアノーの語る世界を知ることがこの本の面白さの全てなのか。自分が頁をめくりたいと思う気持ちは事実の発見や「へえー」と感じるところにあるのではない、と断言できる。ドアノーの語られた世界を知ることではなく、ドアノーが世界を語るのを聞くことが面白いのだ、と。 例えば、自分はたまに英語で小説を読んだりもするけれど、その読みたい気持ちの何割かは、このドアノーの本を読んで面白いと思う気持ちとつながるものだと思う。翻訳されたものを読めばよりよく小説が語っていることは理解できるのに、敢えて曖昧な理解を抱え込みながらも作家の書いたままの文章に接して生まれてくる何かを感じたいという気持ちを、あきらめることができない。理解できている世界がたとえ小さかろうとも。そして、その考え方を推し進めていくと、読めもしないのに、この本は原文のフランス語で読んでみたらどうなるのかな、という気持ちに辿り着いてしまうのだ。 それは何も「オリジナル」に対するこだわりではないのだと思う。結局のところ言語に対する非常に大きな懐疑と、人と人とのコミュニケーションは大いなる幻想と勘違いによって成り立っているにもかかわらず、結局のところ通じ合い得るのだと確信が、そこにはかかわっているのだと思う。そういえば以前、川上弘美のフランス語翻訳をかなりまじめに購入してみようかと思ったこともあったけ。 ドアノーの言わんとしていることが確実に理解できたとはおよそ言い難いけれど、ドアノーが何かを言いたいという気持ちで溢れていることは間違いなく受け止められる。その納得さえ得られればこの本を読んで面白かったと言ってもいいんだろう、と自分は、やや慎重に判断するのみである。 『私はそれらを、郊外人たちにおずおずと見せた。目にしたのは、まったき関心の欠如だけだった。宝の発見者としての私の歓びは、ひとさまに伝わるようなものではなかったのである』-『ヴィラ・メディチとバヴィヨン・ミミール』

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2011/05/19

こちらはドアノー自身が書いた本。 ドアノーはジャンティイ Gentilly の生まれだ。その後モンルージュ montrouge へ居を移しているが、どれも環状線(20区の堺)のすぐ外側、14区の南、場所でいえばモンパルナスのはずれにあたる。 14区はラ・ロトンドやル・セレクトとい...

こちらはドアノー自身が書いた本。 ドアノーはジャンティイ Gentilly の生まれだ。その後モンルージュ montrouge へ居を移しているが、どれも環状線(20区の堺)のすぐ外側、14区の南、場所でいえばモンパルナスのはずれにあたる。 14区はラ・ロトンドやル・セレクトといったパリの異邦人たちのたまり場で知られるが、高速道路の向こう側はもうパリとは呼べない。 RER B線の不思議な雰囲気。パリジャン、パリジェンヌとは相容れないパリ在住者の気配、が濃厚な場所だ。 ちょうど……八王子の感じだろうか。 東京じゃない、とは言わないが、東京のことをあまり好きでない人たち。なにかが足りない、あるべきではない感じがする町。でもその不完全さが、パリ(東京)とは違うぞ、というアイデンティティの拠り所になっているような場所。 機会があったらRERでジャンティイへ行ってみるといい。北駅から、レアル〜リュクサンブール〜ダンフェール=ロシュロー〜シテ・ユニヴェルシテール、でジャンティイへ。やたら集合住宅が多くて、移民意識の強い子供たちに目を配りながら、モノクロの写真を1枚。ドアノーのひとり語りに、自分の写真を重ねてみると、パリで芸術家であることの片鱗に触れられるかも知れない。

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2011/01/24

写真家から自ら被写体との交流やその背を語るフランスの香りが漂う本。でもフランス語ってまどろっこしい。

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2011/01/15

モダニズム詩のような文章ですね。 写真は好きです。あの回転木馬の写真なんかは引き伸ばして飾っときたいくらいね。あとピカソがお茶目。あの撮り方はどっちが考えたんだろう。

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