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消費社会から格差社会へ の商品レビュー

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2018/12/26

三浦展と上野千鶴子の対談です。とくに前半は、三浦の『下流社会』(講談社新書)の内容に上野が斬り込むかたちで、戦後の日本社会の諸問題が論じられています。後半には、三浦のパルコ出版局時代の仕事について、上野がインタビュアーとなって話を引き出しています。 団塊と団塊ジュニアについての...

三浦展と上野千鶴子の対談です。とくに前半は、三浦の『下流社会』(講談社新書)の内容に上野が斬り込むかたちで、戦後の日本社会の諸問題が論じられています。後半には、三浦のパルコ出版局時代の仕事について、上野がインタビュアーとなって話を引き出しています。 団塊と団塊ジュニアについての世代論に、両者の話は向かっていくのですが、とくに上野の皮肉をまじえた嘆き節が目立っています。わからなくはないのですが、そうした人びとの意識の変化を前提に、どのような社会を設計するべきなのかという展望が示されていないのは、多少残念に感じてしまいます。

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2017/08/18

本人たちもいっているようにコインの裏表としての三浦展と上野千鶴子が語り合うりメンバー80年代。「スカートの下の劇場」と「大いなる迷走」から続くそれぞれの時代ウオッチャーとしてのプライドとリスペクトがスイングしあって、最初はどっちがどっちの発言かわからなくなりましたが、80年代の消...

本人たちもいっているようにコインの裏表としての三浦展と上野千鶴子が語り合うりメンバー80年代。「スカートの下の劇場」と「大いなる迷走」から続くそれぞれの時代ウオッチャーとしてのプライドとリスペクトがスイングしあって、最初はどっちがどっちの発言かわからなくなりましたが、80年代の消費による自己実現が日本の社会を決定的に受身社会にした、と突き放します。そういう意味でポスト団塊、団塊jrの存在も含めて団塊世代のレガシーを検証している本です。今となって非常に納得性の高い指摘ばかりですが、さて、団塊世代で語る社会論はいつまで続くのか?急遽始まる最終章の上野t千鶴子による三浦展の個人史の聞き取りは当事者による増田通二論やパルコ論になっていてとても出色だと思いました。

Posted byブクログ

2010/12/27

消費によって、人は王様になれる。 身近に王様になった人を見ると、それがあたかも自分でも可能なことのように感じるようになる。 密度は濃いけれど内容にまとまりがないからよく理解できない。 「それはあんたが努力したからじゃなくて、時代の上げ潮に乗っただけだろ。オレたちに同じことができる...

消費によって、人は王様になれる。 身近に王様になった人を見ると、それがあたかも自分でも可能なことのように感じるようになる。 密度は濃いけれど内容にまとまりがないからよく理解できない。 「それはあんたが努力したからじゃなくて、時代の上げ潮に乗っただけだろ。オレたちに同じことができると思っているなんて、あんたたちの方が間違っている。」 三浦展のバカ売れした「下流社会」によって一気にクローズアップされた格差という言葉、現象。でも、実際には格差社会なんでもっと昔からそうだったわけで、昨今の社会は格差社会なんてものではなく、格差から目を背けられない社会といった方がよい。 格差がだんだん当たり前じゃなくなってきた。それは「権利」とか「平等」とかが広まり、浸透していることの裏返しなのかもしれない。 消費によってステータスを得て階層を得ることができた。それは決して超えられない壁を金によって越えるという奇跡だった。そしていま、金という魔法の杖が無くなったから、壁を越えられなくなった。今、既に私たちは超えられない壁があるなんて我慢できないし、耐えられない体になってしまったのだ。不条理に対して我慢が効かなくなったのが私たちだ。 愛を求めて夢も求める。誰かさんの思う壺だ。

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2010/11/03

良くも悪くもファンブックである。 私は三浦展と上野千鶴子の大ファンなので面白かった。 本書をファンブックとして成り立たせるためには最低でも三浦氏の「下流社会」「ニッポンの若者論」あたりは読んでおきたい。 対談としてはまるで酒の席にいるような臨場感があるが、社会学者の評論としては...

良くも悪くもファンブックである。 私は三浦展と上野千鶴子の大ファンなので面白かった。 本書をファンブックとして成り立たせるためには最低でも三浦氏の「下流社会」「ニッポンの若者論」あたりは読んでおきたい。 対談としてはまるで酒の席にいるような臨場感があるが、社会学者の評論としては反省会程度である。 なぜなら彼らはそれぞれの著書で既に(社会学者としては)語り尽くしているからだ。

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