帝国の落日(上巻) の商品レビュー
ヴィクトリア女王の即位60周年記念の日から始まる。そこには大英帝国の繁栄を祝い、そしてその構成員でもある多くの人種や民族の姿が。アングロサクソンだけではなく、アイルランド、スコットランド、インド系、アフリカ系、アラブ系、中国系などなど。かつての栄光である。大英帝国はその広大な領土...
ヴィクトリア女王の即位60周年記念の日から始まる。そこには大英帝国の繁栄を祝い、そしてその構成員でもある多くの人種や民族の姿が。アングロサクソンだけではなく、アイルランド、スコットランド、インド系、アフリカ系、アラブ系、中国系などなど。かつての栄光である。大英帝国はその広大な領土と多様な植民地を持っており、多くの異なる文化や民族が共存していた。本書は、その繁栄と衰退を描く。 若干、大英帝国の歴史を正当化している印象を受けた。「帝国の力をもって奴隷貿易が廃止され、帝国の力に守られていくつものキリスト教宜教師団が刻苦の場へ送られていった、善をなしたいという気持ちが大英帝国を支えるエネルギーのひとつだったことは事実で、そこにはキリスト教徒としての義務感が伴っていた」と書かれるが、薄ら寒い。侵略と差別の歴史、とは懺悔しない。 ー 英国民は頂点に達していた。豊かで活気に満ち、創造的な四〇〇〇万強の国民が、自己分析も叶わない力に圧されて、祖国の島から溢れ出していった。 無邪気な好奇心、とも言えるのかも知れない。人間が家畜を支配したように、時代は、他民族を重んじる精神にも乏しかった。自ず、反乱や戦争の歴史でもある。 ー 英国人とボーア人は長年の敵同士だった。ナポレオン戦争後、英国が喜望峰を手に入れたときにはじめて衝突して以来、断続的に小競り合いを繰り返してきた。英国の手に渡るまえのケープ岬には、ユグノー派のオランダ人、フラマン人、ドイツ人、フランス人が入植して、オランダの旗のもとに「ボーア(農民)」ーのちには「アフリカーナー(アフリカ人)」ーとして知られる共同体を形成していた。当初は多種多様だった成員もすっかり融合し、アフリカの部族のひとつといっていいほどひと目でそれとわかるひとまとまりになっていた。緊密に組織され、伝統主義的、人種差別的、個人主義的で、厳格なカルヴァン派の姿勢に即して敬虔だった。要するに、信仰においても日常生活においても原理主義的な「フォルク(民族)」だったのである。彼らはあらゆる変化に疑いの目を向け、独自の理想を守って生きる決意を固め、絶対の神のもとに不変の権利が保障されていると確していた。事のはじまりから英国にとって、ボーア人は厄介きわまりない邪魔者だった。帝国構想において、南アフリカは重要な役割を果たしていたからである。 ー ウィンストン・チャーチルにいわせると、アムリトサル事件は「大英帝国近代史上、前例も類例も見ることができない…・・・異例の出来事であり、奇異かつ不吉に突出した出来事」だった。 これは事実である。少なくともインド大反乱を経て英国の直接統治がはじまった一八五八年以降、戦闘中を除いて、英国が被支配者に対して殺人的姿勢をとったことはほとんどなかった。しかし、大戦後数年間のインドの状況はそれ自体、前例も類例もないものだった。インド亜大陸の英国人支配者は、自分たちの統治力が数世代を経ていまだ絶対的ではあるものの、遠からず終わりを迎えるだろう、という真実に気づきはじめていた。インドは英国の領土のどれとも異なっていた。偶然に手に入れたものでもなければ、統計表に登場する実態のよくわからない名前だけの存在でもない。親戚の若者の誰彼が入植した植民地でもないし、これが買いだと勧められる投資先ですらない。インドは英国にとって真実を映す鏡像であり、「厳しい第二の母」だった。皆の記憶にあるかぎり、英国人は両国を行き来してきた。 良くも悪くも、世界に多大な影響を与えたのは確かだ。興味深い内容。
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