知らなかった!都道府県名の由来 の商品レビュー
明治時代の廃藩置県の際に、都道府県がどのように名付けられ、どのような変遷で現在のような分け方になったのかなどが解説されている。各県を順にひとつずつ解説しているのだがなかなか興味深い。自分の住んでいる県の変遷のことすらよく知らなかったし、あまりゆかりのない遠方の件についても意外性...
明治時代の廃藩置県の際に、都道府県がどのように名付けられ、どのような変遷で現在のような分け方になったのかなどが解説されている。各県を順にひとつずつ解説しているのだがなかなか興味深い。自分の住んでいる県の変遷のことすらよく知らなかったし、あまりゆかりのない遠方の件についても意外性に驚くようなことも多かった。県の名前似の由来などについては筆者の個人的な意見が述べられている。思いっきり主観的なことだが、地名にはこだわりと好き嫌いがあるようで面白かった。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
・所謂雑学本のつもりで読み始めたのだけど、結果としてはとても面白かった。「次にこんなことを調べてみたいなぁ」と思えるような引っ掛かりがいくつも新しく生まれた。知の生産という意味では非常によい読書だったと勝手に思っている。 ・さて、この本は47都道府県それぞれの名前の由来について書かれたものなのだが、名前の由来とくると当然日本史の話になる。明治政府による廃藩置県。さきの大河ドラマ『八重の桜』で描かれたように幕府側に味方した藩は基本的に藩名を奪われ、新政府側が拠点を置いた地名を県名に採用されている等、県名一つとってもそのドラマは存外に奥深い。また西日本・九州方面の県名については古事記に出てくる名前が由来になっているなど、この本をきっかけに日本史を見返す面白さもある。
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長野県は松本市出身の筆者の熱い語り口による県名由来の本。 何故、長野県は長野県になったのか…? 幼い頃の疑問より始った、このテーマは今や日本全国をカバーしています! 私は岐阜県ですが、とても面白かったです。 皆さんは県名の由来、気になりませんか? 是非、お手にとってご覧下さ...
長野県は松本市出身の筆者の熱い語り口による県名由来の本。 何故、長野県は長野県になったのか…? 幼い頃の疑問より始った、このテーマは今や日本全国をカバーしています! 私は岐阜県ですが、とても面白かったです。 皆さんは県名の由来、気になりませんか? 是非、お手にとってご覧下さい~ \(☉∀☉)/
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明治時代になり今の都道府県に落ち着くまでにどのような経緯があったのかを書いている本。 題名の通り確かに都道府県名の由来や決まるまでのあれこれはある程度わかるし面白いのだけれど、郡名をそのまま県名にした場合はただそれだけの話で面白味が無いという感じに書かれていたりもする(^^; わ...
明治時代になり今の都道府県に落ち着くまでにどのような経緯があったのかを書いている本。 題名の通り確かに都道府県名の由来や決まるまでのあれこれはある程度わかるし面白いのだけれど、郡名をそのまま県名にした場合はただそれだけの話で面白味が無いという感じに書かれていたりもする(^^; わかるのならばその郡名の由来も書いて欲しかった。 ある程度歴史や地理を好きな人は読んでみると良いかも。ちょっとクセはあるかなと思う本。
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廃藩置県による県の命名を「安易」と批判的。 こういうものは得てして自分の住んでいるところが気になるわけで、案の定地味だった。 名前からして地味だもの、三重。わたしゃ地味は好きですが
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昔から廃藩置県について興味を持っていました、特に300以上あった藩がどのような経緯で、いまの県に落ち着いたのか、さらに県庁所在地名がどのように決まったのかについて、この本は期待に応えてくれました。 私は兵庫県(兵器の庫という意味らしい、p182)で高校まで過ごし、現在は埼玉県...
昔から廃藩置県について興味を持っていました、特に300以上あった藩がどのような経緯で、いまの県に落ち着いたのか、さらに県庁所在地名がどのように決まったのかについて、この本は期待に応えてくれました。 私は兵庫県(兵器の庫という意味らしい、p182)で高校まで過ごし、現在は埼玉県に住んでいますが、両県とも、現在に到るまで右往曲折があったようですね。ただし新政府も県庁所在地とは別の場所に大学を配置したり、多くの配慮をしているようですね。 以下は気になったポイントです。 ・現在の長野県の人びとの意識の根底をしばっているのは、長野県と筑摩県(松本が中心)の図式である(p18) ・県庁所在地を決めるに当たっての基本条件として、1)地理的に見てなるべく中央、2)石高や人口が多い中心的な場所、である(p23) ・県という名称は、戊辰戦争以後に使用している、旧幕府領の主要地を「府」、その他を「県」と呼んでいた(p24) ・最初に置かれた10府は、江戸・京都・大阪・度会(三重)・甲斐・越後・箱館・長崎・神奈川・奈良府がおかれた(p25) ・明治新政府は、帝国大学を各地に設置するとともに、それへの予備の高等教育機関として、旧制高等学校を全国各地に設置した、東京・仙台・京都・金沢・熊本・岡山・鹿児島・名古屋(八高)・その後に、長野・新潟・愛媛・山口が名乗りを上げたが、長野の代わりに松本に決定した(p36) ・官軍は奥州越列藩同盟から、まず、久保田藩(秋田)、弘前藩(津軽)を脱退させることに成功、この時から津軽と南部との対立は深刻になった(p46) ・明治新政府は明治元年12月に、陸奥国を、磐城・岩代・陸前・陸中・陸奥の5カ国に分割した(p48) ・新政府が盛岡県という名前を許可しなかったのは、盛岡藩が朝敵に回ったから(p51) ・仙台藩が降服したのは明治元年9月11日、62万石は没収され、石高は28万石へ、盛岡藩(南部氏)は20から13万石に減知された(p55) ・秋田藩の廃藩置県がスムースにいったのは、抱えていた債務を新政府が肩代わりしたから(p67) ・高崎藩(8万石)、前橋藩(15万石)はそれほど差がなく、距離的にも近かったので、高崎と前橋を含む旧来の「群馬郡」の名前をとって群馬県とした(p74) ・千葉県は3つの旧国が集まってできたが、1000年以上も続いていた政治の中心地は、館山(安房)、市原(上総)、市川(下総)であった、下総国の千葉郡が千葉県の由来(p95) ・関東でも中心地は、相模原市(相模国)、市原市(上総国)、市川市(下総国)、府中市・国分寺市(武蔵国)であって、東京都心部は閑散とした村であった(p102) ・日米通商通商条約では、当時既に開港していた箱館と下田に加えて、神奈川・長崎・新潟・兵庫が開港されることになった、下田港は神奈川港開港後に閉鎖、新潟は明治後、その港名はそのまま県名として使用された(p108) ・山梨県の前身の甲斐国は、享保9年(1724)に柳沢吉里が大和へ転封となってからは、甲斐国全体が幕府の天領(御三卿の領地)となったので、甲斐府が置かれた(p114) ・甲府は、甲斐府中の省略形、東京の府中市は、武蔵国の国衙が置かれた地名であり、府中とは滅多につけられるものではない、駿河国府中は駿府となって今の静岡市につながる(p118) ・京都は東海道53次の出発点と教えられてきたが、以前は山陰道に向けての出発点であった(p165) ・明治9年の改定によって、奈良県、鳥取県、香川県、宮崎県等、多くの県が消滅したが、この4県のみ復活した(p167) ・古事記に示されている「大八嶋の国」とは、1)淡道(淡路国)、2)伊予之二名(四国)、3)隠岐、4)筑紫(九州)、5)伊岐(壱岐)、6)津島(対馬)、7)佐度(佐渡)、8)大倭秋津洲(奈良県御所市付近)、である(p205) ・淡路島で起きた稲田騒動(1870)が四国に及ぶのを避けるために、淡路島を四国から切り離して兵庫県に編入した(p213) ・廃藩置県において、律令時代から1000年以上も使われてきた旧国名を完全に排除したのが特徴、明治政府の姿勢が現れている(p258) 2010/11/14作成
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よくよく考えなくても、いきなり今の都道府県名に なっているわけがない、というのに気がつきました。 そこに至るまでに、紆余曲折があるはずです。 何せ何年も何十年も使う予定になる看板ですから。 内容は…歴史っぽい感じ、です。 なので、歴史があまり好きじゃない人には へ~ほ~で終わっ...
よくよく考えなくても、いきなり今の都道府県名に なっているわけがない、というのに気がつきました。 そこに至るまでに、紆余曲折があるはずです。 何せ何年も何十年も使う予定になる看板ですから。 内容は…歴史っぽい感じ、です。 なので、歴史があまり好きじゃない人には へ~ほ~で終わってしまうかと。 もしかすると、読んでいて苦痛かも? 昔の県の地図何かもついていて 眺めてみるだけでも面白いです。
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