数になりたかった皇帝 の商品レビュー
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タイトルは始皇帝のことでした。28の物語を集めており、この28は完全数だそうです。楚の項羽に最後まで随っていた兵士は28騎という数字も史記に出てくるとのこと。実際に数えたのだろうとの解釈も面白いです。論語に登場する数字で3が70回と1の32回を大きく凌駕しているのは楽しいですね。中国では3を重視しているということなのでしょうか。因みに3位は十の20回、続いて四の18回、百の17回・・・と考えていくと楽しいです。額面・百円(算数字では1,000,000円)と書き間違ったいう手形の決裁をめぐって最高裁まで争われた1980年の事件になると、事実は小説よりも奇なり!でした。祈りは「数」と結び付くことによって深化していくという言葉も全く同感です。数珠とロザリオの共通点もありますが、羊が何匹と数えていくことも、祈りに似た精神の安定をもたらしているのですね。
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岩波『科学』への連載を含む28(完全数!)のエッセイ集。円満字さんにしてはちょっと平凡な仕上がりかな?特に李白の白髪三千丈で,何故「三千」かって話は,ちょっと独善的かも。確か「三千丈」は,高島氏が著書で押韻にからめて説得的な話を書いていたと思う。あっちの方が百倍よかったな。 ...
岩波『科学』への連載を含む28(完全数!)のエッセイ集。円満字さんにしてはちょっと平凡な仕上がりかな?特に李白の白髪三千丈で,何故「三千」かって話は,ちょっと独善的かも。確か「三千丈」は,高島氏が著書で押韻にからめて説得的な話を書いていたと思う。あっちの方が百倍よかったな。 でも「億は一〇万、兆は一〇億」は良かった。漢字でもなんでもそうだけど,複数の意味をもつ語は,繰り返し使われる語義が前面に出て,長い間にはその一つの意味に固定化してしまう。位取りを表す「億」「兆」もそう。 古くは「億」は「おもんぱかる」という意味で使われていて,位取りとしては十万だったり万万だったり一定していなかった。単にたくさんを現す語だった。近代化を経て,万より大きな位取り専用の文字が必要になった関係で,「億」は万万に固定され,「おもんぱかる」の語義が衰退した。鋭い考察だ。
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最初はなんだかつまんねーなーっていうか…なにがしたいの?って感じだったけど。 徐々に古典についての考察というか、そういうのが入ってきて楽しめた。 漢字と数字。 相容れないような、なんとも微妙な関係がいいですな。
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